2017 . 8 . 17

美容医療の神髄-歴史秘話第102話-”口頭伝承”:美容整形屋と美容形成外科医”その77”「地方都市20:美容外科医は辛いよ!」

しばらく番外編が続いていました。美容外科医は辛いよ!のキーワードは”整形ゴロ”の暗躍です。3年以上の年月がありますから、話題に欠きませんが、やばい話もあります。しかも当初から波乱含みです。

A美容外科グループには、大分院の他に浜松院と松本院と旭川院がありました。私が大分院を開設したのは医師歴16年次は平成14年、2002年でした。大分院は数十年来有名な美容外科医が持っていたものを私が行く前年に譲り受けたのですが、その件は以前に説明しました。松本も前年に開設したのですが、私は東京から行けるの隔月に一回ほど行きました。信州大学も訪問した話は長々と書きました。浜松院はA美容外科グループの本部事務所が岡崎市にあるために近くの中都市を狙って出したのと、開設者として皮膚科上がりの美容形成外科もどきが見つかったので任せてみたのです。そういえば岡崎院も作りましたが、ライバルが強いので譲りました。旭川院は西武クリニック系列からの貰い受けでした。これがやばいやり方で、あくまでも開設者は函館にある医療法人を利用しつつも、コンタクト屋の付属眼科院から始めたようです。2000年には私も行きはじめました。眼科検査機器の並んだクリニックの片隅で手術しました。ちなみに今は有名な関西のK大学形成外科であるI助教授もアルバイトに行っていて、彼とは今でも仲がいいので、会うたびに思い出話しになります。旭川院は遠いので、開設者は医療法人ですが、常勤医師は元来居りません。長年検査技師を装った事務長が検査してコンタクトを売りまっていて、私たちが行くときに美容外科手術を貯めこんでいました。旭川の冬は雪国で危ないし、人は屋内で暖房に当たっていないと死ぬ程なので患者は激減します。でも食べ物は東京にない物が多く楽しみました。

医院は中都市を狙いました。大都市に参入できる広告戦力はなく資金もギリギリだからです。A美容外科グループとはどのようなグループかというと、やばいところから金を出してもらってそれなりの資金力を使って中都市に開設し、どうにか医師をやりくりしていくのでした。二人の人物が金を廻していくのです。これまで紹介してきた今は亡きK氏ともう一人のK氏です。イニシャルを分けて、コンサルタントをKn氏。やばい人をKb氏とします。

遂に登場したkb氏は準構成員でした。私が大分院の開設者として赴任する前のバイト時に初めて対面しました。Kn氏と私は既に3年以上の付き合いでした(その5年以上前にコムロでも面識が有ります。)が、Kn氏とKb氏は大分院開設以来ですから2年の付き合いだった様です。Kn氏は医師では無いのですが、経営者でした。でも、経済的にも貧窮していました。そこで、経済力のあるKb氏に助けられたのでしょう。いや利用されたのです。そりゃあ金に飽かして金を取るのが、その道の商売法ですから、お互いに利用されつつ上手くやっていくしかない訳です。

ここからは詳しく書いて内容がバレると、反撃されては生命に関わるので、実名はイニシャルで、内容はぼやかして書きます。

私の医師16年次は平成14年、2002年に大分院に赴任すると、先ず診療所の管理者(=院長)の書き換え届けをしなければなりません。その際診療所の不動産(ビル内の借り物件)の借り主も届けなければなりません。あくまでも私が資金を借りて物件を借りる形になります。実際は前の管理医師から名前が変わるだけです。その際に資金を貸す側が賃貸の連帯保障人になります。それらの賃貸の書類を添えて院長の届けをします。その際に初めてKb氏に会い書類に署名をもらってビルで待っていてもらい、保健所には代理人のKn氏に同行してもらいました。その時のKb氏の肩書きは宮崎市にある不動産会社社長でした。

その節は、Kb氏は美容外科コンサルタントのKn氏に資金を出したいい人、宮崎は二人の出身地でその繫がりだけとされていました。後年宮崎県の人が銀座美容外科医院を支配するのですが、彼とは関係ありません。とにかく、当初Kb氏は普通の不動産屋を装っていました。

その後私は診療を開始します。大分には毎週3〜5日程度泊まり、行き帰りは飛行機です。知る人ぞ知る国東半島の先端にある大分空港からは、ホーバークラフトで市内に30分くらいかかります。知っていますか?。ホーバーって怖いんですよ!。波がちょっとあると跳んでいる様に揺れます。酷いと30度くらい傾き乗客は倒れそうになります。Gが強いんです。毎週乗っていたら、波を見て大体予想がつく様になって、構える様になりました。そのうちむしろ面白くなりました。でも結構体力を要しました。

診療は通常の美容外科と同じ様に、10時から18時にしました。院長室が応接室みたいで普段はそこに陣取り隣が診察室。待合室は広く受付ブースに受付嬢?が二人陣取ります。実はこれらの部屋はパーテーションで仕切られていて天井は繫がっています。空調の為です。これが後でやばい種になります。奥の手術室は仕切られていて、2ベッド有りますから使い易かったです。

A美容外科になってから2年。E先生は10年程診療していましたから、地域でそれなりに知られていて、広告も地方版は廉価で出来る為既に打っていて、患者さんはリピーターも新規も来ました。大体30分単位で予約を受け付け注射等の治療はその枠で、手術は時間単位で枠を設定します。つまり1時間に二人診ればいい計算でした。その結果丁寧に診療出来ました。

さてこうしてA美容外科大分院での診療が始めるのですが、数ヶ月後には早速、Kn君とKb氏の策謀が始められます。なんかストーリーが早いんです。それは、整形ゴロどころか、やばい話しに繫がって行きます。では次回から慎重に少しずつ説明します。