2015 . 10 . 23

美容医療の神髄25-歴史的経緯第25話- ”口頭伝承から、自分史話へ”その2

こうして思い返すと、6年目までの研修時代に何をしたのかといえば、医師としての成長は言うまでもでもないのですが、形成外科診療以外には目もくれていなかったかも知れません。まあ若い医者っていうのはそんなものでしょう。もっともプライベートがゼロではなく、特に、2年目に東京の日比谷病院にローテーションした1年間は、時間が取れたようです。

その前に1年目に何をしたのか?。新人医師は、専門的な医療を学ぶ前に、医師としての最低限のノウハウを身に付けなければなりません。

北里大学形成外科は2チームに分かれていて、私の入ったA teamには、1年次二人、2年次一人、3年次一人、7年次(チーフ)が居て、その上に手の外科と美容外科を専門とするする助教授、腫瘍や再建を専門とする、のちに教授になる講師がスタッフとして居ました。入局して数週間は、採血や注射の練習ばかり、その後に薬の処方法や、患者診察法の訓練をして、先輩の手術の助手をしながら勉強していき、手術が回って来たのは3ヶ月頃でした。

今でも覚えていますが、その時反対のB teamの4年次の恐いU先生につかまって、「よく使う点滴の成分を覚えろ!、そうでなければ手術後管理できないからさせられない。」と可愛がられることに。夕方5時から夜中まで、10種類の点滴剤の成分を覚えさせられて、仕舞いには「何の為にその成分があるのか考えろ、判らないなら、なめてみるか飲んでみれば判るからな!」といじめに近い言い草。さすがに飲まないで済みましたが、夜までかかってやっと覚えて、確かにその後からはさっと点滴の成分が頭から出て来る様になりました。はたで見ていた同僚は冷ややかな目で見て居ましたが、今になって思うととっても有り難いことでした。U先生には今でも感謝しています。

いよいよ初手術の症例は、耳前の副耳切除。1歳児で全身麻酔手術です。手術そのものより、段取りをちゃんとしないと出来ない訳で、麻酔の先生と打ち合わせたり、親に説明したり、患児とコミュニケーションを図ったりして、しかも曲がりなりにも初めての手術ですから、緊張もあり疲れたのでしょう。朝6時から採血や注射をして、定時カンファレンスでプレゼンして、9時に手術室に入ったころには、どっと疲れていたのです。気がつくと麻酔をかけてもらう間に、睡魔が来ていました。麻酔のせいでもあったのかも知れません。麻酔医から「さあどうぞ」といわれた瞬間に緊張の糸が切れて、こっくりと一瞬寝てました。思い出すと恥ずかしいことです。もちろんこれまで28年間の外科医人生で、手術中に寝たのはただ1回のことです。

そんな新人医師も、勉強していけば、だんだん格好が付いてくるのですかね。病棟で、手の外傷の患者さんを処置していたら、2年目のナースが、「この患者さんの外傷は何の腱と何神経ですか?、教えて下さい。」と訊いてくる。さすがに4ヶ月目くらいで勉強した範囲内なので詳しく説明してあげたら、「先生さすが」とか誉められたのを覚えています。実はその相手が現在の配偶者です。こっちとしては逆に「新人だからといって馬鹿にしないで、素直に尋ねてくるなんて可愛いかな?」と思った訳でした。

その後、麻酔科にローテーションすると、夜は時間が出来ますから、何かと遊んだし、休みには父とゴルフに行くこともありました。でも、美容外科についての話は記憶にありません。むしろ、形成外科医療の内容に付いて聴かれたり、形成外科で美容外科診療をどれだけしているのか探られたのを覚えている程度です。その後3ヶ月形成外科ローテーションに戻った際には、新人は一人だったので、いい意味でも悪い意味でも可愛がられた覚えがあります。

こうして2年次に一般外科研修をすることになって、誰がどこに出向ローテーションするのかの話し合いとなりました。いくつか候補がありましたが、当然の如く私は東京の日比谷病院を希望しました。東京出身者は私だけですし、まだ実家が東京にありましたからとごり押しました。しかも、日比谷病院の院長は、父の大学から外科医局時代の同期で、病院も近くであるし毎年同窓会で会っているそうで、父も「Fのところなら安心だね。」と喜んだのです。実は近くに居たら、父のところに寄る機会が増えるのも嬉しかったようです。さらに言うと、院長のご子息は私の一つ年上で、慶応高校の先輩、北里大学の先輩です。彼は当時はまだ北里大学外科に在籍していて東京の病院には勤めていませんが、その後継いだのは当然です。

いよいよ、2年次には外科ローテーションで日比谷病院に出向することとなりますが、その一年は、父との交流、美容外科と形成外科の動静に関わります。昭和63年といえば、バブル最盛期です。むしろこの頃は、私は形成外科医局員で、美容外科を外から見ている様なところがありましたが、混沌として来たのは感じたのです。次回2年目からは時計を早く巻きますかね?。