2016 . 8 . 22

美容医療の神髄-歴史秘話第56話- ”口頭伝承”:美容整形屋と美容形成外科医の二人の行動が歴史を語る。”その32”

12年次は平成10年、1998年です。銀座美容外科に於ける、フルタイムの美容整形というか美容外科的診療経験は私を一団飛躍させました。それまでいくつもの美容外科チェーン店にバイトに行っていたし、銀座でもバイトしていたのですが、フルタイムだと大違いでした。患者さんに対する責任を感じながら、経営も考えていかなくてはならない。そこで持ち上がったのが週末のバイトの件でした。

その前に話は飛んで戻って、基礎研究と臨床研究の続きがありました。9年次に北里研究所病院で毛の移植の研究をしたのは、前任のS教授の提案でしたが例によってはしごを外されて頓挫しました。前の教授は、TBCから金だけもらって後は適当にしろっていう策だったのです。その後どこでどう繫がったのか北里大学形成外科医局の研究テーマに移行し、一時は私も週に一回相模原に通って、ヌードマウスを飼ってもらい毛を移植してみました。でもUc教授はその有用性を認めませんでしたから、中止しました。その後今度は解剖学教室との、合同研究が持ち上がりました。

何故か北里研究所病院形成外科・美容外科部長のUt先生=私の北研病院出向時の上司がm相模原の解剖教室からのご遺体提供の話を嗅ぎ付けて来て、キャダバーサージェリーをする事になりました。cadaver surgeryはUSAではフレッシュで出来ます。法律が違うからですが、Ut先生はUSAに留学していましたから、経験してきました。Fresh Cadaverとは要するに、ホルマリン漬けされていない亡くなってすぐのご遺体で、生きている時の組織の構造を保っているご遺体です。我々形成外科・美容外科医が手術する際の顔の状態と、ほぼ等しい手術が出来るのです。特に手術中の写真は解剖的な細かい構造を描出できて、とても勉強になります。ところで北里大学解剖学教室では、ご遺体を篤志献体に頼っています。大学3年生時の学生が実際に解剖して学ぶ為です。でも年間何体かは余ります。それを解剖学教室は希望する研究者に提供してくれます。

私とUt先生で、ご遺体を手術してみました。やはりホルマリン漬けになったご遺体は硬い。ホルマリンは蛋白を凝固させる薬剤で、だから殺菌作用がある訳です。私達が知りたい構造は顔の皮下のコラーゲンや脂肪細胞の厚み、筋や筋膜や腱や軟骨等などですから、それらは皆一塊に固まっていて、層も配列も判らない。今気が付いたのですが、だから、卒前教育では形成外科・美容外科の解剖知識を教えようがないのです。逆に言えば形成外科医は、生体での壊れて来る人を治す、または壊して取って再建する機会が多いので、層や配列を生で見るチャンスがある唯一の科目な訳です。いずれにしてもFreshでないCadaverは手術の為の臨床解剖研究には利用出来ない事が判りましたので、Ut先生も断念しました。私達はご遺体の次の利用法を検討しました。

そして、銀座美容外科に出向している間にも、研究日を取り、相模原に通って北里大学形成外科・美容外科で臨床と研究を模索しました。これもUc教授に誘われたからです。いろいろな案がありました。私はかねてから思っていました。眼瞼の解剖はいまだ精密に解明されていなく、逆に説明が混乱していました。何故なら、白人とアジア人では眼瞼の構造が違うからです。白人の解剖的研究には定説があります。アジア人は形態が違うのに、解剖学的構造がどう違い、一重まぶたと二重まぶたではどのような構造的差異があるのかも研究されていなかったのです。日本では戦中の忌まわしい人体実験が国際的に非難されたために、戦後解剖学的研究がしにくくなったのと、宗教的なベースがあるからです。

北里大学では昭和45年の開学当初から解剖学の実習のために篤志献体を頂いていました。実習では4人の学生が1体を半年間かけて解剖していきます。突然ですが、今から30年以上前の記憶が蘇ってきました。思い出せば、大学3年生時の解剖実習の際には顔面の細かい解剖をする時間は設けていません。内臓や運動器官や、脳や神経や大血管の解剖に時間を費やすからです。記憶をたどると、顔面の解剖は、器官をばらした覚えはありますが、皮膚や眼瞼や外鼻の層は剥がしていかずに、神経血管は大きなものしか確認できませんでした。一つには上に述べたようにホルマリン漬けのご遺体では層を分けられないからでありますが、もう一つ、顔面の表層は生命にかかわるような病気が稀だからでしょう。つまり形態改善という第三目的の医療である形成外科・美容外科の基礎的知識は不要と捉えられていたからでしょう。私は形成外科・美容外科医になりたかったので、当時「顔面の細かい解剖させてくれないかなあ?」と思っていました。そしてだからこそ、卒後教育としての、大学形成外科医局での臨床場面での知識収納が、美容外科医療にも必要だと強弁してきたのです。

話は戻して、解剖学実習のための篤志献体のご遺体は人数が変動します。たいていの場合、生前に予め献体の意思を表明して頂いていますが、亡くなる人数はこちらが決められないので、多めに依頼しています。その結果開学以来30年近く経ると、実習に使用するべきご遺体が余剰になってきました。そこで管理する解剖学教室の教授が割り振って、臨床科の研究に共同で使用することになりました。こうして私たち形成外科・美容外科医局員が、顔面のそれも眼瞼だけを細かく解剖させてもらえることになりました。何と卒後13年、学生時代の解剖実習から20年近く経って、形態的機能的解剖をするチャンスに恵まれました。

銀座美容外科に出向中に、相模原の大学に通って研究の計画を立てていた段階から、翌年の13年次の人事として北里大学形成外科・美容外科医局の研究員=北里大学医学部の助手として戻る機会を得たのですが、実は研究員=助手は13年目が定年で私ができる最終年度だったのです。この点についての教授の好意には感謝します。その辺のやり取りは次回以降に13年次に進みますが、元に戻って、12年次の外勤=新幹線整形ならぬ飛行機整形のバイトの件ともさらに今後も展開するバイトの件についても書き連ねようと思います。