皮膚性筋性併存の眼瞼下垂症手術切開法と目頭の蒙古襞による拘縮解除術Z−形成法は究極の黒目整形です。術後2週間での経過画像の提示をします。内容は手術時のコピペが主になる事をお許しください。
創跡も目立たないし、腫脹も引いたし、内出血も消えました。
症例は21歳、女性。先天性一重瞼。アイプチでは挙がらない。かといってPuffy eyeではない。眼裂横径23.5mmと小さく、角膜中心間距離が56mmと眼球は離れていないのに、内眼角間34mmと一重瞼としては正常範囲だが逆に蒙古襞が被さっている数字。蒙古襞は縦に突っ張る所謂吊り目を呈している。眼瞼挙筋筋力;Levator function は14mmと正常範囲で筋原性の先天性眼瞼下垂ではないが皮膚眼瞼下垂に為に上方視は不能。
この蒙古襞では一辺4㎜のZ−形成術による目頭切開=蒙古襞の拘縮解除術では、通常の二重瞼幅だと末広型になる事。眼瞼下垂はLT法で改善可能な事。重瞼線は末広型の最高線である6㎜がシミュレーションでは好まれた。21年の長年間、当然前頭筋が開瞼時に収縮して来た為眼瞼の皮膚は伸展弛緩が見られるため、2mmの若干の切除が好ましいと伝えました。手術はPlanに従うだけです。手術の結果は術前Planが60%を占め、手術中の手技に依る差は30%、術後の経過も10%程度を占めます。では画像を提示します。
上の画像は術前と術直後です。デザインですが、重瞼線を6mmに設定し、皮膚切除幅は2mmとし、蒙古襞の稜線に縦線を置き、一辺4mmの60度のZ−形成を連続させています。手術は皮膚、眼輪筋を同幅切除します。目頭切開は三角皮弁を剥離しておき、内眼角靭帯;MPT(正しくは内側眼瞼腱)の上下の眼輪筋の拘縮を切離しておきます。眼窩脂肪をよけながら、瞼板上縁の挙筋腱膜を露出させます。その後眼瞼結膜側から結膜粘膜とミューラー筋と腱膜を糸で寄せます。その糸を表に出して重瞼固定を眼輪筋最浅層に掛けます。一度座位で形態と機能を確認した後、皮膚連続縫合します。この縫合法の方が創がきれいです。
そして手術後1週間で抜糸しました。下右は術後2週間時です。
今回また近接像を比較します。
上が右眼瞼で下が左眼瞼:左から術前と術直後と1週間後と2週間後です。1週間では抜糸はしたのですが、内出血がまだ見られます。術後2週間では消えています。腫脹はゆっくり軽減するタイプでしょうと考えていましたが(根拠は覚えていません。)、2週間での画像では目立たなくなりました。キリッとしています。
まあ比較するまでもなく、術直後からMRD;角膜中心ー瞼縁間距離は1.5㎜前後向上しています。重瞼線は、1週間後までは、腫脹で設定の1.5倍程度になっていますが、2週間後にはクッキリとしてきました。瞼縁や重瞼のカクカク感も治って来ました。カーブはあくまでも末広ですが、自然界に良く有る二重の形態で、瞼縁もアーモンド型に近づいています。術後の形態と機能は左右差が少ないと見られます。
形態的には2週間で完成に近づいています。3ヶ月は診ないと完成は宣言出来ないのは、重瞼の定着のためです。今後の経過観察時の画像も楽しみです。患者さんは満足しています。
今回の症例は経過良好で、ダウンタイムも短く済みました。本当に個体差が大きいのです。年齢差も影響します。精神状態の差異も大きく影響します。もちろんデザインにも左右されます。私は最近、一日平均1例以上の切開法手術を行なっていますが、毎日の診療に於いて経過の程度の大小、日数の長短を経験します。術前にある程度予想が付きますが、結構外れます。その事を痛感する毎日です。本症例ではむしろ予想に反して早い方でした。今考えると、目元が暗いから精神的にも暗いのでは無いかと考え違いしたのでしょう。実は精神的に落ち着いている人で、しかも明るく知性に溢れる人なのだから、経過も早いのだな。私は自らの予想が違いました。改めて反省しています。ではその事を次回患者さんに告り、謝ります。