今回は知的作業の社会人で、術中も楽しく勉強しました。そうであれば知的能力が高く見えた方がより似合うので、目の窓を大きくすることの有用性が高いと考えられます。
症例は25歳、女性。先天性一重瞼=皮膚性眼瞼下垂。LF,Levator Function;挙筋筋力(滑動距離)=13mと正常下限値。開瞼時前頭筋を常時収縮している。ソフトコンタクトレンズ装用的は2年で、後天性筋性眼瞼下垂は極軽度で、一重瞼に依る筋力成長不良が主体と考えられる。眼裂横径22㎜:内眼角間38㎜:角膜中心間58㎜で眼球は離れていないのに目の窓の間隔が遠いのは蒙古襞の被さりと拘縮の証拠。下眼瞼圧迫で上眼瞼全体が膨らむ眼窩脂肪ヘルニアである。
画像を視ましょう。
下は術直後の開閉。
術後1週間で抜糸した直後です。
下に近接画像の術前
きつい目元です。細いし、角膜が2/3隠れています。目頭は鎌型に下向きです。下に手術直後。
開瞼が向上して、普通の二重瞼の幅になり、縦横のバランスも合って、目頭が横向きです。
手術後1週間では傷跡が目立たないのです。腫脹はピーク時の約40%が残っています。
術直後の画像だけでは結果を見て取れません。疲労と局麻の残存と患者さんの疲労によって、開瞼が不足の写真になります。手術後1週間で抜糸しても、腫脹はまだ解消中です。そのために随意的に(撮影時はこっち見てもらいますから、意図的に開いてもらいます。)開瞼しようとしても、力が入りにくいのです。明らかに開瞼は向上しています。目頭の傷跡はこれからが大事です。
開瞼機能は生命力を司るのですが、逆に生命力を反映します。覚醒して活動する際に眼瞼を開かなくてはなりません。その為に眼瞼挙筋が収縮しています。収縮させるのは脳からの電気信号です。活動時には脳からの信号が増加していつもより大きく開きます。いわゆる目をカッと開いて気合いを入れた顔つきです。逆に疲労や眠気で信号が弱まると目の開きは落ちます。
目の窓は縦横のサイズに支配されます。
縦のサイズには二通りあり、第一眼位(顔面正立時の正面視)での、眼瞼縁の幅は挙筋の筋力を示し、瞼縁に皮膚が被っている場合(つまり一重瞼)の幅は見かけ状の開瞼と言います。皮膚を持ち上げるのが重瞼術(二重瞼にする手術)で、挙筋を強化する方法は短縮術や修復術と言います。通常後天性腱膜性眼瞼下垂は伸びた挙筋腱膜を修復するだけで治せます。
横のサイズは蒙古襞の被さりの程度に左右されます。ただし、眼球の位置は個体差があり、内眼角間距離との兼ね合いで蒙古襞の除去幅が左右されます。いつも計測していますが、角膜中心間距離は平均60㎜です。患者さんの距離から60㎜を引いた値(マイナスは考慮しない。)を内眼角感距離から引いた値が蒙古襞を示します。これまでの統計上、二重瞼の平均値と一重瞼の平均値は3㎜の差があります。だから、一重瞼を二重瞼にする重瞼術を施行する際には内眼角間距離を3㎜近づけなければ【不自然】な形態になります。一辺4㎜のZ−形成では1.5㎜ずつ被さりが取れますから両側で3㎜近づきます。更に目頭付近の瞼縁の弧の長さが3m伸びるため、瞼縁が丸くなり吊り目が解消します。本症例でも術直後でも解ると思います。
吊り目とは、一重瞼で、眼瞼下垂状態で、蒙古襞が拘縮して目頭部が被さっている形態と機能を言います。英語でSlant eyeと書きます。傾斜した目という意味です。やはり目の窓が小さい(細い)アジア人は美しくないし、キツい目元で印象がよくありません。上段に述べた様に視機能(視界)が低減されるので、アジア人の平均的な知的能力が低いと揶揄されるのもここが一因となっています。失われた20いや30年の原因の一つともなっていると思います。
何回も書いて来たのですが、一重瞼と伴う眼瞼下垂状態。蒙古襞の拘縮による吊り目とSlant eyeは遺伝子変異が原因です。約20万年前にアフリカでホモサピエンスという種が産まれた際には全員二重まぶたでした。彼らのうちの一群が出アフリカ後、2万年前にアジアに達したらその頃は最終氷河期で北東アジアは寒冷地でした。ある時一重瞼で蒙古襞まで隠れている変異遺伝子が産まれその子孫が寒冷地に適応性が高い為に生き残ったのです。その氷河期が終わってもそのまま定住した後、南下して中国、朝鮮半島を経て約1万年前には日本列島に到りました。天皇家が代表例です。但し日本にはその前から南方から来た人が居ました。徐々に混血して日本には二重瞼と一重瞼が約半数ずつ存在しています。
このように、眼瞼の形態は大部分が遺伝子に決定されます。二重瞼と一重瞼では天と地の程の差があります。もちろん、二重瞼が優位です。その理由は窓の大きさが格段に違うからです。目の大きい人を好ましく感じる率は圧倒的に高いのです。何故なら、機能的には目が大きく露出している方が生命維持能力が高いと感じられるからで、危険を察知する能力も含んで周囲から視情報をより多く得られる。その結果知的に向上する。現代では知的能力が社会に直結します。生きる為の知恵の領域ですが、急激に発達する情報社会に於いては、混沌とした情報を知性を活用して選択する必要があり、その為にも開瞼機能が高い者が有用視されます。上に書いたように一重瞼は氷河期の名残です。残念ながら遺伝子は簡単に消えないし、変異も万年単位に一回で頻繁には起きません。でも最近の日本は経済的に氷河期でしたから、これはこれでむしろ日本人に適応していたかも知れません。この数年はアベノミクスで経済的に興隆してみえますし、私達美容形成外科分野は忙しいくらいです。でも、オリンピック後には化けの皮が剥がれると予想されています。みなさんも今のうちに治しておきましょう。私の治療後は美容的形態(社会的向上度)と機能的有用性が得られ、豊か(経済的と限らない人生の豊かさ)な人生を過ごせることでしょう。
次回術後3週間の経過を診ながら、優しく知的な目元を愛でたい思います。