先日、当クリニックグループにおいて、私の美容医療教育が功を奏した同僚である吉沢医師が、私に近づいて忠言してきました。「先生がいずれは引退したら、ここで(当グループという意味)リフト手術、特に切開リフトをちゃんとしっかりできる医者がいなくなりますよね?。」次いで「出来るだけ僕が、先生の手術を見て勉強しますかね?。」と訊きます。そこで私「まだまだやるよ!。要は診察と手技の両方が必要だろ?。幾つもの方法を使い分ける知識が求められる訳だね。」と答えました。さらに彼は「だって軽い侵襲の治療や非切開手術が多くなっているけれど、患者さんのニーズに応えられないことがありますよね。」と讒言を垂れますから、私「患者さんの裾野を広げるためにはダウンタイムの軽い診療が求められるけれど、私たち形成外科医出身の美容外科医は、切開手術も含めてオールマイティーでなければならないんじゃないかね!。」と答えました。
私は今から37年前に、北里大学形成外科・美容外科に入局しました。出勤初日に、当日の手術を各術者が全員に説明する朝8時からのカンファレンスに出ました。するといきなりフェイスリフト手術の手順が黒板書きされました。それも敬愛するDr.Fyが術者でした。時系列を戻しますが、彼は私が大学6年時の形成外科のポリクリ(臨床講義)の際に、私を熱心に入局させようと勧めた学生教育を担当する講師です。その意味では恩人です。またそれ以前の大学生時代から、私は美容整形屋である父と共に、日本美容外科学会,JSAPS側に参加していましたから、彼とは顔見知りでした。話をさらに巻き戻せば、父は50年以上前から、顔面シワ取り術と称して、フェイスリフトもどきな手術を多くしていました。ご存知の方も多いと思いますが、芸能人のバレバレ結果も多く見られましたよね。その通り原始的な手術法でした。ですから、今から37年前に、大学病院でフェイスリフトを、それもSMAS法で手術していたのは驚きでした。ですから私は、大学病院での形成外科・美容外科の高度な知識と技術に感銘したと同時に、入局してよかったと思いました。更にその後は正書や学術誌を読み漁って、美容外科だけでなく形成外科の診療にも邁進することになりました。
私はその後15年間医局に在籍しました。美容外科診療は、主に父のクリニックで毎週アルバイトしていましたが、他の幾つもの美容外科クリニックでもアルバイトしました。一時は友人の医師(今年のJSAS学会長であるDr.H)に、「日本一アルバイトのくちの多い美容形成外科医だね。」と云われていました。ですが私は、北里大学病院では併せて5年間しか診療していませんが、医局から関連病院に出向して、その頃は形成外科診療が面白くなっていました。でも同時進行として、美容外科診療を、他の形成外科医と比べても一番多く経験していました。やはり美容外科診療が好きなのです。その意味で、医局で教育してくれた多くの形成外科医師に感謝しますし、アルバイトとして雇ってくれた沢山の美容外科医にも父にも、感謝しています。
私の出自はこの様に特別です。父は私が産まれた時は、その叔父が院長だった埼玉県川越市内で唯一の救急病院に住み込んで、副院長として手伝っていました。聞くところによると、私も家の表で、外傷の救急患者さんを見る機会があったそうです。幼少時に目に触れたから、私は血に慣れているのです。なお父は北里研究所病院で、医学博士取得の為の研究もしていました。その後私が小学校に入る頃に、北里の皮膚科医から、昭和53年までは銀座美容整形外科と標榜することになる医院を継承しました。私は何度も医院を訪れたことがあり、ここでも患者さんと接していたそうです。私が高校を卒業したのは昭和53年ですが、まさにその時!、”美容外科”が標榜科目に制定されました。父のクリニックは、当然に、銀座美容外科医院と改名しました。その時私は、将来”まともな美容外科医”を目指す気持ちを固めました。翌年私が北里大学医学部に入る際に、父は”北里”同志で大変喜びました。その後私の大学卒業時前後には、形成外科医の学会,JSAPSと、非形成外科の学会,JSASの反目が激しくなっていました。父は両方に属していました。ですから私は卒後の就職先をどこにするのか迷いました。具体的には、卒業した北里大学形成外科・美容外科医局に入るか?、当時多くの新人医を雇っていた十仁病院美容整形(S.や中央グループ総帥も同期)に就職するか?、の二択が残りました。実際は北里大学形成外科に入局するのですが、父は「やはりこれからの時代は形成外科医局でみっちり修行してから継いで欲しい。」と言って背中を押してくれたのです。その言葉が今の私を創りました。その後は上に書いた様な経歴ですが、私も美容外科・形成外科の医学博士を取得するまで、北里の医局に在籍したのです。退局後の経歴は、銀座美容外科は閉めて、今はない美容外科クリニックの院長を7年間勤めてから、現在はこの東京皮膚科・形成外科グループで、もう17年間沢山の美容外科・形成外科診療に従事して、患者さんに喜びを与え、私も楽しんできました。
この様に、6年間の形成外科研修後に、医局に在籍して実地診療を9年続けながらも、新人時代から積極的に美容外科を診療してきた医師は、他に類を見ません。なぜなら当時は、大学等の形成外科の医局員に対して上級医は「美容整形(当時はまだ、JSAS側をこう呼んだ)なんかに手を染めるな!。裏側(非形成外科の美容外科医)はまやかしだ!。金儲け主義のインチキ医者だ!。」と強弁しました。そういう風潮でした。両者の反目が極期だったからです。さらに言えば、父や私は、JSAPSとJSASに所属していましたから、コウモリと呼ばれていました。でも私は当グループに移る際に、形成外科医出身の美容外科医院を探して就職しました。さてその後、形成外科医療を修めた美容外科医であるJSAPS側と、”直美”等の非形成外科医のJSAS側の反目は緩和されました。でも私は今や逆に、この風潮に心を痛めています。昨今は”直美”ならまだしも、腰掛け的に形成外科に所属して肩書(エセ経歴)だけ着けて、数年でビジネス的美容外科チェーン店に就職する輩が後を立ちません。連中は、金儲けに走るいい加減医師の極致です。時代が悪いのですが・・。
と言うことで、形成外科と美容外科の素養=知識の蓄積と技術の研鑽無しには、最良の美容医療:形成外科&美容外科は出来ません。切開リフトはその点での最たる診療です。診療とは診察と治療ですが、手術に臨んでは、術前の診察に基づいた手術プランと、その結果としての適切なデザインが、結果の50%を左右すると考えられます。手術は何時間も必要ですが、ひたすら”丁寧”に切開、剥離、切除、縫合を繰り返すからです。もう一つ術後の対処も定期的に必要となることが多く、適時診る時間を惜しまないことも必要となります。その三つの面で、稼ぐことを第一目的とするビジネス的チェーン店は、オートメーション医療ですから不可能です。その為中長期的には、良好な結果が得られない場合が当院に来院して、多く診られます。毎回書きますが、彼らは売り上げの50%を広告に費やすので、倍の数の診療をしなければクビになります。したがって診療時間は半分以下でしなければならないので、端折るのです。
私はやはり、吉沢医師にも勧められて、美容医療=形成外科・美容外科の真髄を突く切開リフトを、まだまだ年齢を顧みずに、丁寧に継続的に施行していきたいと心に留めました。頑張ります。
症例は47歳女性。数年前まで(その後出産して余り来られない)頻回に来院した患者さんと、SNSで知り合い私の症例を気に入り、遠方にも関わらず、4年前から来院されています。有難い事です。これまで幾つかの手術をさせてもらいました。
こめかみリフトは2回しました。一回めは2年前で、斜め45度方向でMalar狙い。二回めはその3ヶ月後にButtress方向へ剥離してJowlまで引き上げました。昨年夏にもう一度Malarを挙げる希望があり、患者さんにMid face liftはどうかと訊かれましたが、後戻りが多く結果を得るのが難しい手術だと説明して断念しました。その後Jowlは挙がっているがその後方にたるみが残ると申告されました。私は、もう一度こめかみリフトでButtressよりも後側を剥離する用手的シミュレーションをして3回めのこめかみリフトを提案しました。今年に入って再来しました。今回は下に剥離してエラ方向を挙げることに決まりました。笑窪も引っ張れると考えました。
画像は各方向を経時的に観ていきましょう。
上左図が術前、上右図はデザイン後です。正面像ではデザインが見えませんです。
上左図は手術翌日です。右剥離腔の先端に内出血があり、波動を触れました。血腫と考え、穿刺→NS,生理食塩水注入→吸引すると凝血しかかっている血液が1.5CC抜き取れ平坦化しました。この時点では笑窪も出来にくく出来ていました。上右図は術後1週間で抜糸後です。動かせばできる笑窪は減っていましたし、血腫は再発していません。内出血はビリルビン(血液中の赤血球が壊れて出てきたヘモグロビンの成分の色素)化し黄色くなっています。
左図は術後1ヶ月です。画像は自撮りして送ってくださいました。ですから診察していません。血腫が再発して瘢痕化していますね。
術後3ヶ月は来院されました。血腫後の瘢痕は自然に吸収(リモデリング)されました。なお今回の主眼点である笑窪ですが、上右図は笑ってもらいました。笑窪は目立ちません。
2ヶ月ぶりなので、アナムネ,anamnesisを訊きました。患者さんの記憶などに基づく病歴の聴取です。血腫後の経過を聴いたのですが、「自然に消えました。」とだけで続けて笑いながら「いい意味で顔が変わったと思います。」と突然仰る。更に「たとえば免許写真が違う人なのです。」と仰るので私は慌てて、初診時からの画像を開いて視て、「確かに変わりましたね。若返った。前は暗い感じですもの。」と言いたい事言ったら、患者さんは「そうなんです。先生のお陰です。」とお褒めに預かりました。二人で喜び、楽しみました。すると早速「次の相談です。」との事。「その際もお楽しみに!。」と促すと、次へ進みます。
次からは右斜位像、左斜位像、右側面像、左側面像を経時的に載せました。
上左図は術前、上右図はデザイン後。切開線は前に曲げます。剥離はButtressまで。
翌日診ると、右剥離腔に血腫が生じていたのですが、穿刺→NS洗浄→吸引したので平坦化しました。上右図の術後1週間では黄色くなっています。
上左図の術後1ヶ月で送ってくれた画像では、剥離腔の先端に血腫が瘢痕化した硬結が診られます。実際には残念ながら診ていません。この時ステロイド局注したら早くリモデリングされます。でも上右図のごとく日時が自然吸収を助けます。
左斜位像では何故か・・。術前診察時にデザインを描いていました。上右図は濃く書き直しました
左剥離腔には翌日も術後1週間でも血腫は診られませんが、腫脹はあります。
術後1ヶ月では光っています。術後3ヶ月では張りがある中下顔面が若さを魅せます。
右側面像ではデザインがよく見えます。笑窪を作っていませんがその外側まで剥離します。
直後や術後1週間では血腫の処置後の跡が見られます。上右図の術後1週間の画像をよく診ると、剥離腔の先端に紫色が見え、その下に段差があります。この時点でそこを穿刺したら早く治ったのかもでしょう。
術後1ヶ月に送って下さった画像では上上右図の紫色部に硬結が写っています。上右図の術後3ヶ月ではどうなったか心配でしたが、吸収されてホッとしました。
右側面像ですが、デザインで切開線に交差する二本線は引き上げる方向です。笑窪を作ってもらってその方向を指しています。
剥離範囲が白いのは局所(局部とは言わない)麻酔の中に止血の為のエピネフリン(薬剤名:アドレナリン)を混ぜているからです。術後1週間では内出血の成分のビリルビンが黄色く残っています。跡1週間前後には吸収されます。
術後1ヶ月でも3ヶ月でも張りのある頬と下顎縁がくっきりです。
術直後の縫合部の近接画像です。真皮縫合(美容屋でない美容形成外科医しかできない手技)でしっかり引き上げていますから、皮膚は連続縫合です。
術後3ヶ月では傷跡(傷ではない)の赤い線はメイクで隠せます。真皮縫合で合わせれば、いつまでも幅はゼロです。
当院では、厚生労働省より改定され施行された省令「医療機関ホームページガイドライン」に遵守しホームページに加筆を行っています。
施術のリスク・副作用について・麻酔薬にて、アレルギー反応を起こす場合があります。その場合は適切な処置を行います。・腫れは個人差がありますが、手術直後から少し腫れがあり、翌日がピークで徐々に引いていきます。目立つほどの大きな腫れは1~2週間程度です。・術後のむくみや細かな左右差の改善には、3ヶ月程度かかります。・内出血が起こった場合は完全にひくまでに2週間程度かかることがあります。・感染予防のため、抗生剤を内服していただきます。・抜糸までの間、鼻下を伸ばす表情はお控え下さい。・口唇部の違和感は、2~4週間程度かかります。・手術後2週間は、口を大きく開けることはお控え下さい。・手術直後は、つっぱりを感じることがありますが、2週間程度で改善していきます。・手術当日は、洗顔をお控え下さい。・手術後3日間は、飲酒・激しい運動・サウナ・入浴など、血流が良くなることはお控え下さい。・手術後1週間(抜糸まで)は、鼻孔部位のお化粧はお控え下さい。・ケロイド体質の方は傷跡が残りやすい場合があります。
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