カテゴリー別アーカイブ: 先天性と後天性

2024 . 7 . 8

目頭切開は蒙古襞の拘縮解除が目的です。切除してはいけません。Z-形成法に限ります。二重瞼者に合わせて変える方法

目頭切開術は美容整形屋(昭和53年までは美容外科という標榜科目はなく、美容医療の医療機関は適当な科目名を名乗っていました)の定番でした。外人顔を造るためです。先の大戦後GIにモテるために流行り、その後の高度成長期には芸能人もこぞって受けました。でも蒙古襞を”切除”する原始的な手術法でしたから、虫みたいな変な目元になりました。父が手術した患者さんのうち何人かは、今でも診ていますが、バレバレで格好も良くないかも・・。 蒙古襞は読んで字の如く、東アジア人に特徴的な変異です。2万年前のシベリアでは極寒で、モンゴルは砂漠化して砂が飛ぶから、目が大きく開く人は絶えていきました。結果的にまぶたが一重瞼で目の窓が小さくて、機能的には先天性前葉性眼瞼下垂症の人が生き延びました。つまりこれらの変異は、寒冷
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2024 . 6 . 7

一重瞼という先天性前葉性眼瞼下垂症患者さんは、遺伝子が同座ですから、蒙古襞の拘縮を伴います。

眼瞼下垂症手術は切らない手術では自費診療ですが、切開法では保険診療です。もちろん適切に診療されて、厳密な診断に基づく場合に限られます。ところで眼瞼下垂症は、私も毎回書いて来た様に、概ね四つのカテゴリーに分けます。先天性と後天性。前葉性と後葉性です。その中で先天性前葉性眼瞼下垂症、つまり遺伝的な一重瞼や、その上眼瞼挙筋の筋力低下を伴う先天性後葉性眼瞼下垂症を伴う場合でも、蒙古襞は被さり拘縮していることが、ほぼ必発です。 題名に書いた通り、一重瞼の遺伝子は蒙古襞の拘縮を起こす遺伝子と同座と考えられています。同座とは同じDNAが決めるということです。なぜかと言えば、目的があるからです。2万年前にモンゴル地方は最終氷河期でした。そこでは目がぱっちり開いている人は凍ってしまい見えないから、自然淘
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2024 . 5 . 30

眼瞼下垂症は手術法を間違えないで下さいな。今回左側は短縮縫合法で、右側は前葉切除法と使い分けました。

昨今、眼瞼下垂を手術する美容医療の医師が増えています。SNS上で話題ですから、チェーン店系の非形成外科医も手を出してしまいます。また、眼科が担当すると考え違いしている患者さんも、たまにいらっしゃいます。何故違うのかと言えば、確かに眼科は眼球周囲を取り扱いますが、目的は視機能を診療する分野ですから、多くの眼科医は形態に留意するべきである、眼瞼を取り扱うのは得意としません。ただしそのような意味では、眼瞼は機能と形態の両面を留意しなければなりません。形成外科医は機能と形態のバランスを考えて治療する科目ですから、確かに合致します。したがって形成外科を学ばないで、医師となって直ぐに就職するチェーン店系美容外科の医師達は、機能面を学べないので、手術を担当するべきでなかったのかもしれません。 という
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2024 . 2 . 28

可愛い女子は何回かの美容医療を受けて来ましたが、経年変化に対して修正術を依頼されました。

Poly surgeryとは読んで字の如く多手術です。同一部位の複数回手術と、数々の部位の手術症例があります。これまで形成外科分野では、Poly surgery症例を好ましくないとされて来ました。その理由の一つには、同一部位を手術する場合には、それまでの治療法(手術に限らず侵襲)が少なからず影響するからです。深部も含む瘢痕(傷跡)が硬くて切りにくかったり、剥離(皮膚ならず内部の組織を剥がす事)の際に引っ掛かって力加減が難しかったりで、私に手間が増え、又は結果の良否に影響する可能性さえあり得ると言えます。もう一つの理由として前医が不明だったり、覚えていなかったり、少なくとも前の治療法が解らないことが多く、私が手術時に開けてびっくり玉手箱状態のことも少なからずあるから、私は術中に”どうしよう?!
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2023 . 9 . 16

症例の女子は美人なので、目力アップすると似合います。社会機能的に聡明性が高まります。中国でも”目は口ほどにものを言う”のだそうです。

美容医療は昨今始まったのではありません。外傷後の形成外科治療は第一次大戦後にヨーロッパで有用でした。UKは王国ですから、戦傷者を、戦争に行かせた王室が面倒を看たのです。使われた技術は発展して、美容医療にも流用されました。日本では戦前から数名の施行医(ただし当時は眼科医や耳鼻科医)が存在しました。学術誌にも載っています。戦後日本では原爆の研究のためにGHQ (主にUSA )の形成外科医がやって来ました。ついでに美容医療も教えました。学んだ医師が、GIにモテる為の美容整形を受ける女性の為に、美容医療手術を施行しました。その後高度成長期には、美容整形クリニックが雨後の筍の様に増えました。昭和30年代には、既に山手線の各駅に存在しました。昭和51年に形成外科が、昭和53年に美容外科が標榜科目(広告に
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