本症例は面白かったので初回から再掲します。過日完成をみました。開瞼向上と重瞼線の改良をバランスよく手術していくことが肝要であることを提示する症例です。
最近他院で埋没法が行われた後に物足りなくて、当院で切開法を敢行しました。開瞼の向上という結果は出ましたが、左右の微妙な開瞼の差と瞼縁のカーブという形態と機能の問題。前頭筋収縮の非対称、影響して重瞼の非対称が無いとは言いません。
素直に認めて、でもサービスを込めて修正してきました。今回も見える修正点を埋没法で左右1本ずつ、黒目整形を加えてみました。
上の画像が術前術直後です。両眼共に画像上で開瞼が向上しています。もしかして患者さんが力を入れてくれたのかも知れません。
でもよく見ると右に比して左が弱い?。下の近接像
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カテゴリー別アーカイブ: 美学
美容医療の神髄-歴史秘話第59話-”口頭伝承”:美容整形屋と美容形成外科医”その35”「相模原編1」
いよいよ平成11年、1999年、年齢は40歳となります。北里大学形成外科に入局して13年次です。入局以来多くの年月を出向して過ごしました。さすがに1年次は大学で研修医(形成外科9ヶ月と麻酔科3ヶ月)でしたが、そもそも、他科研修は出向が多く、2年次に一般外科、3年次は結婚してすぐ北九州を希望して整形外科研修。その後も4年次に熊本で形成外科レジデントでした。5年次に大学に戻り形成外科研修5ヶ月と救命救急センター5ヶ月をした後、6年次のチーフレジデントを外部で修め、日本形成外科学会認定医を取得した後は、茅ヶ崎徳洲会病院で2年。白金の北里研究所病院(当時はまだ別法人)で2年。茅ヶ崎でもう1年。特例で銀座美容外科医院にも出向扱いで1年出ました。数えてみると、それまでの12年間で大学病院で研修や診療した
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美容医療の神髄-歴史秘話第56話- ”口頭伝承”:美容整形屋と美容形成外科医の二人の行動が歴史を語る。”その32”
12年次は平成10年、1998年です。銀座美容外科に於ける、フルタイムの美容整形というか美容外科的診療経験は私を一団飛躍させました。それまでいくつもの美容外科チェーン店にバイトに行っていたし、銀座でもバイトしていたのですが、フルタイムだと大違いでした。患者さんに対する責任を感じながら、経営も考えていかなくてはならない。そこで持ち上がったのが週末のバイトの件でした。
その前に話は飛んで戻って、基礎研究と臨床研究の続きがありました。9年次に北里研究所病院で毛の移植の研究をしたのは、前任のS教授の提案でしたが例によってはしごを外されて頓挫しました。前の教授は、TBCから金だけもらって後は適当にしろっていう策だったのです。その後どこでどう繫がったのか北里大学形成外科医局の研究テーマに移行し、一
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美容医療の神髄54-歴史秘話第54話- ”口頭伝承”:美容整形屋と美容形成外科医の二人の行動が歴史を語る。”その30”
時系列に戻ります。平成9年(1997年)の茅ヶ崎徳洲会は一年で辞します。翌年は銀座美容外科医院に北里大学形成外科・美容外科医局から常勤で出向します。この年には研究を再開します。もちろん臨床的には美容形成外科を診療します。JSAPSでの発表もします。常勤で美容外科診療をする際には、経営も頭に入れなくてはなりません。その結果予期せぬアルバイトの口も発生しました。
そのときでしたか、北里のUc教授が声を掛けてくれて、翌年大学に戻ります。その辺りの経緯からその後への方針が見えて来ます。そこで平成10年(1998年)12年次から再開します。
銀座美容外科医院は昭和36年に父が開業した無床診療所です。当初は整形外科と皮膚泌尿器科を標榜していました。これまでご紹介した通り、銀座東一診療所と言っ
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何とか眼瞼を若返らせてきた症例。
眼瞼のアンチエージングは難しいのです。いろいろやってやっと若年時に近づいて来た症例です。症例は66歳の女性で、これまで、下顔面と中顔面のスレッドリフトを紹介して来た症例です。上顔面とは、瞼から上部分をいいますから、瞼を若返らせるのが優先順位です。
まず眉下切開で、皮膚性下垂を除去しました。次に切らない眼瞼下垂手術=黒目整形=NILT法を外側だけ行いました。上の画像の如く、外側が下がっていて三角目になっていたからです。術直後は逆三角目になりましたが、これまでも述べて来た様に、いくつかの原因で術直後はオーバーだから、戻って丁度いいでしょうと言いました。
ところが1週間経ても、左は良好なカーブが出来たのに対して、右はやはり外上がりが残りました。更に、左の目尻の上に皮膚が被さっているのが
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