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2024 . 10 . 18

小顔の男性ならこれ!。口元から次々に治します。

口元の手術は私にとって定番でドル箱でした。約10年前から多くの症例を手術して、大部分をブログ提示してきたからです。画像を追うと結果がよく見えるからでしょう。皆さんが「ブログ観ました。」と言って来院されました。かと言って、私は口の専門家ではありません。美容形成外科医はオールマイティーをモットーとします。 美容外科・形成外科は、体表とその深部の形態的な改善を目的とする点で、同じ手技を共用します。なお形成外科は、原因のあるマイナスの形態を元に戻す医療です。もう一つの目的として、機能的な損失も取り戻すことも加わります。対して美容外科は、正常範囲の形態をより向上させる医療です。機能的損失を来さない様に努力するのは当然です。ですからどちらにしても、形態的な改善を目的とする”全ての部位”に対して、【
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2024 . 10 . 7

頤,おとがいとは顎先ですが、字を見ると、顔(頁は顔の部品を指す部首)の臣ですから、貴賓を現して魅せます。

昨今ではSNSでの”情報”(あくまでも情報であり知識ではない)に捉われる国民が多くなりました。IT社会は情報採取には有用ですが、知識の蓄積(積み重ねないと次へ進めません)と教養の涵養には有用とは言えません。IT社会の道具であるSNSサイトは視聴者が選ぶ必要があります。ですから提示者は受けそうな画像を載せて、自分本位の意見を書くだけです。通常反論が出て炎上しても、”議論”にはならず、落とし所が見出せないで済まされます。つまり定説が得られません。対して知識とは、実存する書物に対して、反論したり書いたりして議論して、多くの人が認める学問的な説を作り上げることです。また教養は生活に役立つものではありませんが、人格を創り上げます。本や教科書(小中高大学校だけではない一生の勉強の材料)などを読まないと知
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2024 . 8 . 30

ギューっと目を閉じたら浅くなった二重瞼。前回の切らない眼瞼下垂手術の効果=目の開きは保たれていますからMT法で可能です。

人間は類人猿から枝分かれしたのですが、現世の人間はホモサピエンスという種類で、特徴的な構造を作る基本的な遺伝子は皆同じです。ちなみにチンパンジーとホモサピエンスは、1%も違いません。でも遺伝子は一定のインターバルで突然変異します。交配もします。だから基本的な構造は同じでも、個人的な形態と機能は皆微妙に違います。 これまで何度か触れてきた話題です。類人猿の時代から、いやその前に枝分かれした哺乳類も多くは二重瞼でした。哺乳類が進化するに従って視機能が高まったのは、生存に優位だからです。少なくともホモサピエンスがアフリカで発生した際は、皆二重瞼だったと考えられています。二重瞼は視界が広い分、視機能の利用に有利です。 約2万年前は最終氷河期で、北東アジアは極寒で、しかも砂漠化していたので
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2024 . 8 . 23

目頭切開は蒙古襞の拘縮解除が目的です。切除してはいけません。Z-形成法に限ります。二重瞼者に合わせて変える方法

目頭切開術は美容整形屋(昭和53年までは美容外科という標榜科目はなく、美容医療の医療機関は適当な科目名を名乗っていました)の定番でした。外人顔を造るためです。先の大戦後GIにモテるために流行り、その後の高度成長期には芸能人もこぞって受けました。でも蒙古襞を”切除”する原始的な手術法でしたから、虫みたいな変な目元になりました。父が手術した患者さんのうち何人かは、今でも診ていますが、バレバレで格好も良くないかも・・。 蒙古襞は読んで字の如く、東アジア人に特徴的な変異です。2万年前のシベリアでは極寒で、モンゴルは砂漠化して砂が飛ぶから、目が大きく開く人は絶えていきました。結果的にまぶたが一重瞼で目の窓が小さくて、機能的には先天性前葉性眼瞼下垂症の人が生き延びました。つまりこれらの変異は、寒冷
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2024 . 8 . 2

外国人もJowl Lift :引き上げて若く、ついでに鼻唇溝に入れた異物も目立たなく。お隣の国はやはり美容医療後進国ですね。

皆さんは興味がなくてご存知ないのか?、嫌いだから忘れたいのか?、本邦の美容医療の歴史は古いのに認識していません。日本国では既に、先の戦争の前後に美容医療が行われ、学術的発表も為されています。とは言っても他科からです。重瞼術は眼科医が、隆鼻術は耳鼻科医が書いています。お下の治療は当然泌尿器科が書いています。戦後すぐに美容医療を進めたのは十仁病院ですが、実は戦前は泌尿器科でした。結構流行っていたそうです。戦後に占領軍のGIにぶら下がる女性を対象に、外人にモテる様に変える美容整形が興隆しました。その後の高度成長期には、雨の後の竹の子の如く美容整形医院が林立しました。昭和30年代の東京では、山手線の各駅に美容整形医院がありました。駅の看板も必ず掲げられていました。私は電車通学でしたから、毎日窓から目
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