14~15年次=2000~2001年=平成12年〜13年度は北里大学形成外科美容外科医局からの大和徳洲会病院への出向でした。次の年は退局する事になりますから、権威的に大学でなければできない様なレベルアップの仕上げをする最後の機会です。教授もそのつもりで奨めたのでしょう。医学博士の審査を受けて合格し博士号を取得します。更に美容外科学会専門医の取得に取り組みます。
主に13年次に、知力を集中し手を動かして、研究に専従したのですが、出来上がった研究成果の発表は、国際美容外科学会;ISAPSの東京大会があったので英語で発表しました。ついでに学会の運営は前北里大学形成外科教授ですから、当時の教授にも頼まれて受付や誘導等の裏方仕事を三日間手伝いました。これは勉強にはなりましたし、同僚の関東の美容外
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カテゴリー別アーカイブ: 美学
黒目整形は内側が重要です。追加手術を希望されました。修正手術は面白いです。
これまで切らない眼瞼下垂手術=黒目整形=NILT法で瞼縁の形=カーブを調整して来た症例です。まず今回の画像。
今回右内側に追加しました。
きれいなアーモンド型にできました。
前回左内側に追加したのです。やはり右内側は落ちています。
左はアーモンド型なのに右の内側が二重がだぶついています。
初回の手術後です。
右も一回は挙がったのですが今回よりは不足です。
黒目整形は切開法も非切開法も含みます。どちらも、眼瞼挙筋の強化を目的としますが、挙筋の強化法には二種類あります。先天性眼瞼下垂症に対しては皮膚側から切開して挙筋腱膜の直接の短縮を要します。後天性腱膜性眼瞼下垂症に対しては眼瞼結膜側から結膜とミューラー筋および腱膜を縛る方法で腱
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可愛いくて綺麗で知性的な症例はより向上を。目は大きい方が視界も広い。魅力的!
先週の症例の患者さんは黒目整形が似合う。可愛さアップだけでなくイメージを汲み取ってのデザイン調整が功を奏するからです。知性的でキリッとした雰囲気を作り出せました。
まずは画像をご覧下さい。
左画像は1週間後です。
症例説明はコピペします。22歳、女性。先天的には狭い二重瞼。3年前他院で埋没法。ソフトC.L.を1年間装用した。埋没したら右の下垂が露見したとのこと。肩凝り、頭痛も生じてきて自ら眼瞼下垂症を疑われたそうです。LF14mmと正常範囲だが、MRDは2.5㎜と落ちている。つまり後天性腱膜性眼瞼下垂症でしょう。眼裂横径25mm、内眼角間33m、角膜中心間57mm。蒙古襞の被さりは多くないが、拘縮は強い。前回は平行のラインにデザインされているが、埋没では緩んだし、目頭付近の
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美容医療の神髄-歴史秘話第78話-”口頭伝承”:美容整形屋と美容形成外科医”その54”「相模原市から隣の大和市へ編8:美容外科・形成外科学」
私が医師として14〜15年次に出向した大和徳洲会病院形成外科・美容外科部長時代の医療経験談は前回で一度止めました。
ところで、医療制度の根幹を為す研修制度は2004年に施行されますが、準備段階としてこの年に大和徳洲会病院に出向した際に院内臨床研修委員会が発足しました。何故か私が副委員長に任命されました。これまでは、臨床研修は国家的規模の制度が整備されていませんでした。いつものことですが、本邦の政治の官僚的特徴です。厚生省と文部省の縦割り行政も一因でしょう。例えば北里大学病院では研修医として1〜2年次を雇っていましたが、卒後研修はまず各科に所属して、他科へのローテーションはか各科のプログラムに任せていました。私が回ったのは一般外科と整形外科と麻酔科と救急救命科でした。内科系は回っていませ
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当院の黒目整形は他院での手術後症例を改善できますが・・。1週間後の経過
他医での手術後の修正を求められる症例が引き続いています。これもむしろ逆に、ブログでの啓蒙広告活動が、功を奏している事と感じます。それだけ読者が増えたということでもあり、有り難い事です。1週間後の経過の画像を頂けましたので載せます。内容の一部は再掲です。後段に哲学的検討が加わります。
症例は20歳の女性。先天的には一重瞼で眼瞼下垂状態を認識していた。3年前に眼科医院で切開手術を受けているが、重瞼は外れた。下垂も残存しています。眼球位置は、角膜中心間距離60mmと平均値であるのに対して、内眼角間距離が39mmと離れている。眼裂横径も24mmと小さい。つまり蒙古襞が被さっているし、その結果突っ張り(拘縮)が強くいために開瞼を阻害している典型的な症例です。実は挙筋筋力(滑動距離)12mmと正常
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