今回は美容医療における医師の目、センスについて、私見を混ぜながら述べます。
その前に、表題の「美しいと可愛い」を説明します。
美しさには基準があります。万人が見て、より美しい形態を集積すれば、美しさの方向性が見いだせます。数字に表すこともできますし、人種や社会で分けて、その中での美しさの基準を見出すこともできます。また美しさは、外面に生きている人間が醸し出すのですから、社会性、文化性、精神性、所作、行動等ダイナミックな(動的な)内面性からも影響されます。
可愛さは、究極的には1対1人称の好ましさです。もちろん美しい人を好み、可愛いと思う人は多いでしょう。でも、子供は可愛いけれど綺麗でない子はいくらでもいる。彼女は可愛いけれど、それなりの綺麗さだという関係はいくらでもあり得ます。可愛さは”愛”=共に時を過ごしたい気持ちにさせる相手に対して感じるのでしょう。テレビ越しでも、すっと見ていたい。うちの子は生意気で憎ったらしいけれど可愛い。そんな個人的な感情的な基準でしょう。
どちらに重きを置くかはケースバイケースです。それに、元の形態が千差万別なのだから、つまりスタートラインはバラバラなのだから、ゴールをどこに置こうが、道程は60億通り=地球の人口分ある訳です。私が考える美容的センスとは、それを見極める能力のことです。
患者さんはそれぞれが形態的(時には機能的)特徴を持ち、それぞれが求める形態的理想がある。美容外科医としては、美の基準に照らして、ある方向性が見いだせる。サジェストもするが患者さんの希望と擦り合せる。そこで私たちにできることは何か?、いろいろ用意します。それも持続性、侵襲、ダウンタイム、費用はいろいろあります。そうしていってある方法をお勧めします。選択肢をいくつか提示するときもあります。こんな風に美容外科診療をするためには、何が必要か?。センスといえば簡単だが、要するに症例経験です。そして、常に相手の形態を観察し。社会性も把握し、求める理想的形態を把握する。毎日の診療でそのような細かい目で診療しなければ、美容的センスなんて身に付きません。
私は、生れながらに、知らないうちに、父から美容外科医の教育を受けました。一緒にいたり、車に乗せてもらっていると、父が突然「あそこ歩いている女性美人だなぁ~。」とかいうのです。「俺はこうして、ひとりでも多くの女性の顔を、頭に入れているんだ。」とも言いました。気が付くといつしか、私にも、そんな習性が身に付いていました。電車に座っていれば、反対の列の女性をちらちら見る。ストーカーではありません。観察です。自動車を運転していて、横断歩道を渡る女性をじっくり見る。ある時には走っていながら、歩道上の美人に見とれていて、事故りそうになったこともあります。最近では家族を乗せていながら、観察していると「またぁ~、よそ見ばっかりしてる!」と怒られながら、あきれられています。
そんな私は、この習性は、生涯一美容外科医であるための修行だと思っています。何のこっちゃぁ~ですね。