時事問題は語らないつもりでしたが、私達美容医療に携わる者と国民を、時代が違う方向にいざなう可能性を感じるので、普遍的な論議を述べ、美容医療のあるべき姿を語りたいと思います。
文明とは、技術です。科学技術、経済学、政治技術、法律。民主主義国家なら、これらを持って国民を経済的に豊かにする。言ってみれば、楽に生きられる様にする事です。国民一人一人が技術を磨き発揮する事で、すべての国民が互いに豊かさを享受でき、こうして国民国家が興隆する筈だという方策です。
文化は、どうやって生きる為ではなく、何の為に生きるかを考える事です。脳の前頭葉の働きです。例えば食事を生きる為だけに食べる。腹が減ったから食べる。またはその為に働くのは、文明です。それに対して、どんな食事を楽しむかは、食文化ですよね。脳を使いながら食べると楽しいのです。文化には、文学、書物、音楽、映像、絵画、それには漫画だって含まれます。これらを楽しむことで豊かな人間性を得られます。資本主義社会では、知的財産が資産価値を保護されますから、たまたま食える人がいるだけで、文化は本来食べられる物ではなくていい。むしろ食べられる国家の国民が余興でするのが文化だとも言えます。
医療は文明の力です。第一義的には生きる事を突き詰めるのが医療です。前にも言いましたが、これが医療の第一義目的です。技術で生命を司るのですから文明の最たる物です。生命の保持以外に機能の保持を求める第二次的医療はどうなのでしょうか?。生命は保障されていて、よりよく生きる事だけを目的とするなら文化ですが、身体機能は一人一人の国民の能力の向上保持の結果として、国民国家の向上に寄与しますから、これも文明の道具でもあります。第三次的医療である美容外科医療は何でしょう?。美容外科は形態の改善を第一の目的としますから、それは生命や、身体機能を向上させないので、文化の一つです。美しく生きたい人が美しくありたいのは、先程の文化の範疇でしか理解できない向上心です。これを文化的と言わずにはいられません。でもこれが精神機能を回復させるとすれば、文明の一つでもあります。難しい論点ですね。
だから敢えて、美容医療には文明性と文化性がある事をまとめてみます。機能を向上させる事も目的とする形成外科医療は、文明の力であり、形態を改善する美容外科医療はより文化的であると考えていいでしょうか?。
今回は、美容医療を分類するのが目的ではありませんでした。生きる為の戦闘性と、生きる事を楽しむ平和性を語りたかったのですが、この時代には、障害が多くなっているので、語りたかったのです。
なんか時代が、政治がヤバい方向性にあるのを感じませんか?。戦闘的で、文化を見捨てる様な人々が席巻しているかも。経済性を第一にして戦闘する人達、国家の為といいながら、国民の文化どころか文明をも損ねる様な態度で行動する人達。先程も言いましたが、生きやすくする為の文明性が落ちれば、文化はさらに衰退するのです。細かい事は言いません。美容医療をもっと楽しんで欲しいだけです。
楽しむのは、文化です。音楽を楽しむ、書籍を読んで、映像を見て楽しむ、その他。美しい者を見て感動しない筈はありませんよね。だから、美しい者を作り出すのはもっとも楽しいことなのです。美容医療は心を豊かにします。もう一度、分類して見ます。私達が多く取り扱う眼瞼下垂手術は形成外科的な、機能医療でありますが、形態的にも良好化しないと患者さんは不満足となりますから、文明的で、一部文化的です。実際、患者さんは機能向上を喜び、精神的機能も向上します。ホントに活き活きします。話が大風呂敷になりますが、国民みんなが機能向上して精神機能をも取り戻せば、国威発揚になるのにといつも思っています。何しろ日本人の半分以上は一重瞼の結果眼瞼下垂であり、機能損失を伴っていると言えるからです。精神機能も低下の一途ですよね。
こう考えると、日本の失われた20年は、その結果ともいえるかも知れません。それまで、経済的文明性を第一に求めてアクセク生きてきた昭和時代の日本国民は、文化的生活にに手を掛けようと思ったら、西洋文明の権化である米国に「マッタ!」を掛けられてしょげちゃったのです。文化を賞揚できなくなった我々は、再び文明的に生きようとしても、もう活力を出せなくなっていたのかも知れません。
だから、もう一度考え直してみましょう。美容医療は文化です。美しくありたい心は、食べられませんが、心を豊かにします。そして、それで食べている職業人には経済的恩恵をもたらし、文明を与えます。トリクルダウン理論というそうです。そして機能的な美容医療は精神的な向上=頭脳的向上=社会的機能の向上をもたらします。結果として国家の社会的文明を向上させ、興隆をもたらす筈です。そしてその上に、文化的向上も得られる筈です。
取り留めもない論議になりましたが、一つ言えるのは、「正義の戦争より、退廃でも平和が美しい。文明を向上しなければ、いい国にはできないが、その上に文化を築き上げていかなければ、国民は豊かになれないという事です。
実は、先程都知事選の公示を見ていて思い始めたのです。戦闘的演説を聴いて、嫌な感じだった。文化的かどうかは判らないが、あの二人の演説には美しさとは言わないまでも、文明と文化のバランスが感じられたから、書き出してみたのです。今後もこの程度の議論、専門分野である美容医療分野の論議は、時折差し入れていきます。