生きる為の文明と何の為に生きるかの文化とを対比すると、自ずから生物として生きる為の健康と、人間の生きる為の真善美の概念を論じなければならないと思います。それは、時代がどう捉えるかも云え、極論すれば正義の戦闘と堕落した平和の対比にも繋がる事です。70年前を歴史知識として思い出しつつ、考え直してみましょう。
なんて思い上がった論議をするかと、顰蹙を買いそうですが、美容整形から美容外科、形成外科を包括した美容医療の歴史に於いては、戦後レジームが大きな貢献、流れを作ったのを、もう一度反芻したいのです。だって、今の美容医療だって、戦後レジームの中で出来上がったのですよ。美容医療を間違った方向に導かない、また昔日の様に否定、非難しない時代を作り上げてきた筈なのに、もう一度やり直しみたいな情勢が残念なので、言いたい事を書きます。
戦後日本では美容整形が発展してきました。確かに、米国からの文明の注入ではありました。しかし、これまでにも念を押しましたが、美容医療は人が人を作る。美は人間のみが扱える。人間の営みの一つであり、より人間的行為ですよね。正しい行為であるとすれば、真実であり。善き事であります。美容医療は真善美なのです。それは芸術と同じです。そして、芸術は見る人嗜む人ごとに価値の大小が生じます。
芸術と同じ様に、美容医療の対象者は、社会的または対象者の内面的な状況で価値が左右されますされます。可愛い、綺麗、美しい、格好いい。どれも美容医療の目標ですが、どこを目標とするかは、対象者である患者さんに似合うかです。これまで、述べてきました通り、良い機能は良い形態に宿るのです。ここで言う機能は社会的機能と生物的機能の両面を含みます。生物的機能は生命維持や社会生活上の能力として、文明的に有用性があります。社会的機能は、それぞれの人が、人間として、社会の中での振る舞い、態度として、より豊かな人格を得るかという事で、文化の一部です。
ここまで書いて、これは民主主義的な価値観と同じではありませんか?。国民市民が経済文明の上に自由な文化的生活を送る権利がある。これが民主主義の根幹でしょう?。上に述べた美容医療のコンセプトと同じことを言っている様に思います。だから、美容医療は真善美であり、民主主義社会が求める真善美と同じくしています。
話しを戻して、美容医療における文明と文化の調和を、美容と健康の観点から、考えてみます。 人間が生きやすくするために文明が利用されるのですから、その目標の一つとして健康的生活も入ります。民主憲法である日本国憲法でも目標とされています。美容医療のうち生物機能を改善する診療はこの一部に入ります。眼瞼下垂症治療はもちろん、マイナーコンプレックスを取り除くための形態改善は社会で生きるための精神的障害の治療という意味で健康増進治療の一部だと言えます。ほくろや粉瘤などのできものの除去手術は健康のためですが、美容的に(傷跡がないに等しく手術する。)我々が細心の注意と技技術を使う際には健康のための美容医療でもあります。 人間がより善く、より美しく生きる事を文化的生活とするならば、美容目的に限る形態の改善をとりおこなうことは文化です。芸術です。鼻を格好よくする、まぶたをキラキラに光らせる。若返り治療も形態の復元は改善につながる訳です。すべての美容医療は形態の改善を目的としていますから、文化の一部であります。ただし、これまでに述べてきたごとく、よい機能はよい形態に宿るといえますから、どちらも包含しているはずです。要はバランスです。主目的と従目的があり、そちらも満たすことが出来るのが我々美容医療の専門家だといえます。 ここで、議論を付け加えます。形成外科と美容外科の異同はこれまでにも論じてきました。形成外科は機能改善を主目的としながら、保険診療の中で形態の良好化も分担する。美容外科は形態の改善を唯一の目的とする美容医療であり、自費診療であるが、社会的機能も改善される。なんか言っていることは同じようで違いますが、要するにどちらにスタンスを取るかです。機能改善を主とするか、形態改善を主とするかのパーセンテージの問題です。そして、保険診療と自費診療の使い分けは、我が国では厚生労働省が決定しているだけです。混合診療が認められない日本国では例えば、美容目的が51%で機能治療が49%でも費用は按分できなくて、自費診療になってしまいます。 美容と健康の話しに関連して:形成外科を研修してない美容整形屋は、美容目的の治療しかしません。ましてや、保険診療医療機関として登録していないクリニックが多いくらいです。これでは片手落ちですよね。だから、ビジネスに徹しているのです。コマーシャルをしているところは、ビジネスで美容医療をしている証拠です。だってお金かかりますからね。 思い出しましたが、美容整形の医者と言えば父がそうでした。彼は美容整形に生涯を捧げました。生前よく吠えていました。「美容と健康は両立しない。美容のためには死んでもいいくらいの気持ちで係ってくれないとこっちも真剣に診られないよ。」とか、「馬鹿な奴がいてさ、健康健康ばっかり言ってて、運動しすぎて身体壊した人や、おつむがいっちゃった人もいるよ。もっとひどいのは『健康のためなら死んでもいい。』って言っている奴もいたよ。」美容整形屋である父は、機能的医療には目もくれずに居たから、こんなふざけたことを言っていたのを思い出しました。 私達は形成外科を学びながら、美容外科を診療してきましたから、こんなバカなことは言いえません。自らの出自を笑いながら、形成外科を研修するように言いながら、美容外科をも診療させてくれた父に感謝しつつ、私達は機能と形態、美容と健康、ひいては文明的で文化的な、バランスを取った美容医療を行っていきたいと肝に念じるのでした。
ところで次回は、美容医療のゴールである、可愛い、綺麗、美しい、格好いい等の目標を説明しましょう。これは文化人類学の話しですかね。