ボツリヌス菌毒は、今世紀になってやっと、医学的に実用化が為されました。イギリス製のダイスポートと、アメリカ製のボトックスです。どちらも普及していますが、アメリカで歌手や俳優を使って宣伝されましたから、世界的にも、”ボトックス”といえば通じるので、こう称します。
医学的使用は、美容医療上の使用が喧伝されていますが、もともと広い分野で求められていました。局所の神経が筋に接続する部分=神経筋接合部を遮断する作用は、様々な疾病に有用なのです。もう一つ大事なことがあります。ボトックスは切れる。必ず戻る=可逆性があるのはなぜかというと、末梢神経は枝分かれによって再接合というか再挿入されるからです。標的となる神経筋接合部の間に挟まったボトックスの分子は、電気信号を遮断します。挟まったものは永久に取れません。でも、その手前の神経が、枝分かれをはじめ、近くの筋に達します。もちろん神経筋接合部も作られます。通常約半年かかります。つまり、ボトックス分子はそのままでも、ボトックスの効果はなくなるのです。人間の身体の強さを見ることになる訳です。
話しを戻します。医学的利用は過剰に反応する筋の収縮を止めるために使われます。困る筋の収縮、ない方がいい筋の収縮、左右差がある筋の収縮等々です。身体は意識下に随意的に筋を収縮させていないことが多いのです。例えば、歩くときに、歩く意志はあっても、どう手足を出すかは、無意識に動いていますよね。手と足を反対交互に出そうと意識していないはずです。逆に同じ側の手足を一緒に出すのには意識しないとできませんよね。人間は言葉をつかえるので、随意した行動は脳内で言葉で命令していますから、意識下に行動しているのが判りますが、不随意の行動は言葉で認識されていないわけです。視覚で見れば(鏡でも)動いているのは判るますが、動かそうとして動かしはていない運動はよく行われています。ましてや寝ている間や、病的な運動。他に左右差が多い筋、神経はたくさんあります。それに、筋にはトーヌスというのがあって、姿勢を保つために常に一部の筋が弱く収縮しています。顔面も表情の準備としてや、発語の準備時、発語時にトーヌスが保たれています。この中にも有用でないものがあります。
整理しましょう。
1、病的な収縮:いくつかの神経の病気で、一部の筋が病的収縮する場合があります。代表的なのは眼瞼痙攣です。原因がいろいろあるのですが、眼瞼下垂に合併する場合も多いのです。この場合、私達の治療(手術)で改善することが多いのですが、経過が長く、神経回路が異常になって定着してしまうと、治りません。ただし原因療法として私達の手術が第一選択です。手術が優先できない人では、ボトックス治療から始めている患者さんも多く、術後にもボトックスを一時的に使い続ける人がいます。鑑別は難しいのですが、まぶたをテープで持ち上げたら痙攣が治ったら、眼瞼下垂が原因の眼瞼痙攣の要素があるということです。
2、反射的収縮:神経信号は、随意的には脳の命令に従いますが、不随意的には、脳だけでなく、脊髄や、脳幹からの反射でも動きます。ですから、何らかの問題で脳のコントロールが落ちると、下位の脊髄の反射だけが不随意に出ることがあります。典型的には、脊髄損傷で脳からの信号がなくなると、その下で勝手に反射運動が起こって、ガクガク動く症例があります。痙性麻痺という状態です。この患者さんにとっては困る筋収縮なのです。
3、筋肉のトーヌス:これが左右差があることは、少なからずあります。顔では当然。身体でも利き手や効き足、姿勢もまっすぐな人のほうが少ないくらいです。特に首だと、先天性か後天性に筋肉が片側が強い病気があり、頭が傾いていて不便なのです。筋性斜頸といいます。
4、美容医療:やっと、自分の分野に来ました。顔の動きです。感情や思慮は意識に残りますが、それが反映して表情筋を動かしてあらわした表情は自分では見えていません。鏡で見れば見えますが、今度は意図的な表情となり普段と同じ運動かどうかは疑わしいものです。常々表情を出し、また瞼を開く、しゃべる、食べるなどの行動を日常行う限り、表情筋は運動しています。その表情筋の運動が、左右差があったり、性質的に、どこかが強すぎたりすると、皮膚が折りたたまれている機会が増えて、しわが刻まれてきます。また我国では、年々社会環境が悪化していますから、苦悩する表情の機会が増えたようで、眉間にしわを寄せている人が漸次増加中だと感じます。
5、咬筋肥大:もうひとつ顔には咀嚼筋があります。片側4筋ずつありますが、頬とエラを繋ぐ咬筋が一番大きく、力があります。これが本題でしたね。咬筋はみなさん知っての通り、100㎏もの収縮力があり、食物を噛み潰し、擦り下ろし、栄養とするための、つまり生きるために重要な筋肉です。ところが、こんなに重要な基本的構造なのに、発達に個体差が大きく、厚い人は3cm近くあり、薄い人は1cm前後しかありません。原因として考えられることはいくつかあります。①日常的に硬いものを摂食する嗜好。よく噛む人。ガムだって、肉だって、何でもあり得ます。②歯ぎしりは寝ているときにするものですから、本人は判らないことですが、酷い人は、朝コメカミ付近が痛いので、判るそうです。③噛みしめ癖は精神的で、歯を食いしばってという行動は感情的ですかね。いずれにせよ今般の社会状況から、咬筋の収縮機会は増えているようで、日常でも、エラ付近の咬筋やこめかみの側頭筋がぴくぴく収縮している表情を見る機会は増えています。
6、皮膚付属器=腺や毛:神経筋接合部はアセチルコリンという化学物質を流し、神経を伝わってきた電気信号を、筋へ伝えます。ボトックスはこの流れを遮断する作用ですが、汗腺や皮脂腺、立毛筋でもアセチルコリンによる作動性があります。したがってボトックスは汗腺や皮脂腺、立毛筋の過剰な働きを止めることが出来ます。汗腺の中でも特にアポクリン汗腺は腋臭症の原因となり、遺伝的に約十倍の強さを持つため、止めたいものです。ボトックスか手術が適応となります。前にもブログ内でご説明しましたよね。遺伝的な腋臭症体質ではない人でもエックリン汗腺が過剰に働く人は少なからずいらっしゃいます。これは多汗症といい神経回路の過剰反応です。っとなれば当然ボトックスの出番です。局所での神経遮断ですから、ほかに影響がなく、しかも確実な効果が得られます。これも前に触れましたよね。皮脂腺にも効きますが、顔の皮脂腺が過剰な脂ぎった人には、少量ずつを浅く(皮脂腺は約2㎜深)投与すると、解消できます。人の手でそんな細かい作業は難しいのですが、水光注射という新しい器械を導入したので、今後開始していきます。立毛筋の作用は鳥肌を立たせることですが、日常そこまででなくても毛穴を広げてしまっています。ボトックスが効果あるかもしれません。
以上の様にいろいろな目的で、ボトックスは、局所の神経筋接合部の遮断効果を与えられ、適正量なら、ほかに異常を来しません。よく「ボトックスはこわくないんですかぁ?」と尋ねられますが、「適正な量を局所だけに作用させますから、全身副作用はありません。」と説明し、信用しない人には、「ついでに言うと、食中毒の様に死ぬためには一千万円係ります。」と説明します。
では適正量はどの程度をいうのでしょう。機会を見て、個々の使い方の説明をいたしましょう。