2015 . 10 . 9

美容医療の神髄22-歴史的経緯第22話- ”口頭伝承話”その22

1年目の医局員としての生活は、まだまだ続きます。

こうして6月からの新人医局員生活も5ヶ月が過ぎる頃には、形成外科路は何かを、知性的ではなく感覚的には判る様になります。何を感じたかといいますと、第一に美しい医療をモットーとする。そして病気や怪我を治す機会ばかりですが、美しい仕上がりを生命、機能と同列に重要視する。そんな感覚が形成外科の姿勢として身に付きつつありました。

ところがこうして12月に入る頃には、4人入った新人医局員が徐々に出向病院に移動して行き、大学病院には私一人となってしまいました。そうなると、丁稚奉公はキツさを増します。朝の採血や注射は病棟40人分を、時には早朝6時前からこなし、回診やカンファレンスでの準備やカルテ運び等の肉体労働もこなします。今でいうブラック雇用みたいなものです。逆に1年生に割り振られる症例は私が全例こなせるから、手術の機会が増えて面白さは増していきましたがし、術前の勉強する機会も増えて充実感が増していきました。先輩医師からも一人で可愛がられて、所謂いじめではありませんが、厳しさも向けられるので、一身に受けなければなりません。もっとも、勉強も教えてもらえます。時には、夜遅くまで点滴や注射法を手取り足取り教えてくれました。今も感謝しています。またそのまま夜には、食事や飲みに誘われて、疲れていても断れません。連れて行ってもらえばやはり下働きやお酌役に徹します。運転手も兼ねている場合も多く、危ない目にも遭いました。充実した6ヶ月の大学病院形成外科の新人研修医生活でした。ちなみにその間に、看護婦さんとも懇意になるのはよくある話ですが、現在の配偶者はそのうちの一人です。

その後は麻酔科にローテーションします。その後他科ローテーションが続きます。麻酔科では数多く経験をさせて頂きました。内容は割愛します。大学病院の研修は危ない話に満ちていますからね。こうしているうちに、医師としての1年目が過ぎていきました。

もう一つ、学術活動も1年目から始まります。日本形成外科学会と日本美容外科学会JSAPSに入会させてもらいました。貰えるというのは、入会時に大学病院の教授クラスの推薦が無いと受け付けられないからです。だからこの二学会の会員は大学病院形成外科に入局しないと入れません。他科からの参入は不可能なのです。父はその前から美容整形外科医だったので、発足会員として特例で加盟していたのです。ちなみに、もう一つの日本美容外科学会JSASにおいては、誰の推薦でもいいことになっていましたから、父の推薦で入ることは出来たのですが、当時はまだJSAPSとJSASの反目が強く、大学の医師がJSASに入ったらまずい情勢だったので、見合わせていました。な訳でJSASには7年目に加盟します。父は数少ないJSAPSとJSASの会員でしたから、あっち行ったりこっち行ったりの意味でコウモリとか、二股とか云われていました。私と別々になっているので、父は「うちは股裂けだな!」とか言っていました。私はまだ、形成外科1年生としておとなしくしていましたから、「関係ないから。」といって学会のいざこざには巻き込まれない様にしていました

ところで、医師になってどういうコースで育っていくのか?。つまり研修法ですが、今でこそ国家試験合格後には、臨床研修病院での2年間の研修が義務づけられていますが(2004年時〜)、当時は各病院や、各大学病院での研修コースはバラバラでした。また病院で研修しないで、新人から医療機関に就職する者もいました。十仁病院は私の卒業年次に6人の新人を雇ったそうです。

臨床研修システムとは、病院に常勤して医師としての実力を養成するカリキュラムです。大学病院の医師は診療、研究、教育の三つの仕事を持っていますが、1年目は教育される人です。2年目までは研修医という枠で雇用されます。もちろん無給ではありませんが、他の職よりも低給です。

実は、昔は無給でした。昭和43年まではインターン制度というのがあり、第二次世界大戦後にGHQが医師国家試験を制度化(それまでは医師は無試験だったのです。)した際に、医学部卒業生は1年間のインターンを終了してから国家試験を受けることになったのです。医師でなく無給なのに、医業をするという危ない制度でした。戦後医師が不足したから出来た制度です。

昭和43年に、東大の医師がボイコットして制度が変わりました。だから実は、この頃卒業して大学で教育専任の医師が結構いました。私が習った教授の中にもいました。さてしかし大学医学部を卒業してすぐの医師が診療できるでしょうか?。一般市民が考えてもこわい話でしょ?。インターン制度は卒直後の臨床実地訓練です。その後の大学病院では上級生時にベッドサイドでの勉強をする様になりましたが、あくまでもゴッコです。そして昭和43年から臨床研修制度が出来ましたが、義務化はされませんでした。

もっともほとんどの新人医師は、大学病院それも出身大学か、または大病院に就職します。それはそうだ、こわいもん。制度の恩恵は補助金です。あまり知られていませんが、一人当たりいくらは厚生省から補助金がでています。私は今から13年前に出向病院で臨床研修委員会副院長をしていましたから、金額も知っています。いや、大事なのは医療の最低水準の維持です。新人医師に医療のノウハウを一通り仕込む。新人医師は一応の医学知識は持っていても、実際に診療をしたことは無いのです。原則的に学生は、侵襲のある行為は練習できないのです。侵襲とは、損傷を与える可能性のある程度の行為のことです。注射でも手術でも投薬でも検査でも医師以外の者がすれば障害罪なのですが、医師がする患者さんの利益になる医療行為は例外なのです。2004年までは、臨床研修制度はあれど各医師の努力規定でした。ほとんどの医師が出身大学の各診療科目単位の医局に入って研修していたのです。

つまり、臨床研修制度のカリキュラムは、各大学病院ごと各医局ごとにバラバラでした。敢えて言えば、各学会が認定する専門医の試験制度が、カリキュラムの下地になっていました。日本形成外科学会の認定する専門医の試験と症例経験の提示は高度なので、それに合格する為には、高度の形成外科診療水準を身に付けなければならないので、北里大学形成外科医局のカリキュラムも凝縮していました。その為に6年間の臨床研修を受けられて、私は優位でした。

長くなりましたので、実際のカリキュラムについては次回説明します。それは、形成外科という科目の診療内容を支持するものです。