大和徳洲会病院は200床以下の中病院ですが、各診療科を揃えていました。今考えると当時の院長の趣味でもあったのでしょう。彼は茅ヶ崎から今や大病院の鎌倉院へ異動して行ってキャリアーアップしていきました。、大病院で各科を揃えて、レパートリーを増やして稼ぐのが面白かったのでしょう。しかし医局員が小人数なのに所謂マイナー科目の外様の医師が多いため、結果的に徳洲会プロパーの人数の割合が低く、しかも彼等は比較的若いので、いきおい外様医師が幅を利かしていました。そして、その後外様の医師が病院を運営していく様になりました。さらに徳洲会グループの上層部に根回しして院長まで更迭する羽目になるのでした。いわゆる内紛状態になります。まるで明治維新の様です。その折りには、私にも副院長の打診さえもありました。迷いましたが断りました。その前に、医者らしい合同手術の話しに戻して再開します。
c;耳鼻科のトラブルに救急的対処と手術:あるとき院内救急コールが鳴り響きました。館内放送で「ドクターレッド6階病棟」とか叫び続けるのです。直ちに院内の手の空いている若い医師が、我先にと階段を駆け上がります。私達年配の医師はエレベーターでつるんでいきます。この場合やはり、若い医師団は徳洲会プロパーで、年配の部長クラスは外様が多くなります。当然私は後者でいつもの連中=口腔外科医や外科部長の女医とエレベーターで急行?しました。実は口腔外科医は耳鼻科医から相談を受けていたそうで、エレベーター内で「鼻茸を削った後に詰め物を取ると、再出血した症例らしいよ。」と耳打ちしてくれました。後段で述べますが、実は長男の扁桃腺の手術後にも後出血したのですが、ちゃんと治めたのす。(もし治らなかったら私はそこにいない訳です。)だから逆に、耳鼻科領域は血管の豊富な部位ですからよくあることだと捉えていました。ところが行ってみると、コール後もう5分程度経ているのに、詰め物が真っ赤で、入れ替える際には水道の様に出るのでした。口腔外科医と外科の女医と顔を見合わせて、「こりゃあ、出血した血管の元を処理しないと止まんないんじゃない?」と即決し、耳鼻科医に耳打ちし部屋の外に連れ出して「俺らみんなで助けてやるよ!」とか偉そうに言って手配を始めました。耳鼻科医は後輩で5年下だから子供扱いして、私達同年輩の3人で手助けするのです。ある意味外様同士の結束ですが、いい意味でベテランの勘も働きましたから、こりゃあ大変だと思いました。若いプロパーの外科、内科の医師は手をこまねいていました。
もちろん後出血が止まらないのは耳鼻科医に何らかの手技的問題があったのでしょう。鼻茸をドリルみたいので削る際に解剖学的に気を付けるべき血管を傷めたのでしょう。でもそれを見つけて止めようにも鼻の孔の中の狭いトンネルの中が血の海になっていたら、止めようがないのです。私達形成外科医が触る顔面も血管が豊富(だから治りが良い。)なのですが孔の中の手術ではないので止められます。もし術後出血が滲むとブチばれて、患者さんに怒られます。それに比べて、つくづく孔の中をいじるのは難しいことなのだなと思いました。そこで耳鼻科医に聴くと「削ったのはこの辺りの外側です。鼻の前と横から入る血管を順に止めてみましょう。」と提案され、口腔外科医も同意。私は「おいおいその血管って顔の前を通っているんだぜ顔切らないと露出できないぜ!」っとビビルふりすると、口腔外科医が「だから森川先生の出番なんですよ!」だってえ。だってその頃眼瞼下垂手術をやりまくっていたから、その辺りを切ったことあるのは私だけです。眼科医や耳鼻科医は滅多には顔を切りません。もちろん私は形成外科医ですから、できないとは言わせてもらえません。段どりを取って外科部長のM女医に麻酔をかけてもらい手術に臨みました。鼻の横の眼頭部の付近を弧状に切開して骨の外側を出すと、鼻の中に通じる血管が孔を通っています。これは解剖の通りです。大事なことは眼瞼や靭帯などの解剖は私が良く知っている部分なのです。前から後ろまで3本の篩骨動脈を順にクリップしてみました。そのたびに詰め物を取ってみてもまた血が出る。仕方ないので縫い戻しました。何しろ眼瞼の手術は目を開いていれば傷跡が見えないのですが、鼻の横は見えるので丁寧に縫いました。仕方ないので、翌日の出直し手術を3人で念入りに打ち合わせました。こうなりゃ次は、外頚動脈を片側結紮してみましょうということになりました。鼻の孔の中の外側と内側と前方の壁に行く血管は外頸動脈から枝分かれしています。頸部で内頚動脈の分岐より上で外頸動脈を露出しました。ここも形成外科医の守備範囲ですが、外頚動脈の結紮の経験はありません。その手術は心臓血管外科医にもアドバイスしてもらい、外頸動脈は口の下ですから詳しい口腔外科医と二人で結んでみました。でも止まらない。となれば、もう内頚動脈系しかない訳です。でもそれを結紮したら、脳梗塞になりかねない。脳の血流は両側から交流しているので大丈夫なはずだという説もありましたが、少なくとも機能低下はする。もし剥離する際に血栓を作れば脳血栓を起こしますから、後遺します。怖いので、内頚動脈をその場で触るのは止めました。そしてまず確かめようということになりました。造影検査です。造影材を内頚動脈に流してX線で見ます。これも手術に近い手間がかかりますし専門家が必要です。検査は脳外科医に依頼しました。ここからは脳外科医が専門です。脳内の海綿静脈洞という太い血管は鼻の天井のすぐ上にありますが、鼻の中が交通していました。でも病院には、放射線科科医が常勤していません。さすがに脳外科医は得意ではないとのことで外部から招聘たら、簡単に血栓を作って止めてくれました。やれやれでした。でもみんなで連日の緊急手術を頑張って眼を血走らせて施行して私たちの絆が強まりました。院長からも労われ礼を言われました。こうして、外様のマイナー科目の医師たちが逆に病院での存在感を高めていき、運営にもタッチすする様になっていきました。
このシーンは記憶に残っています。医療に於いては絶対トラブルが起きないとは断言できません。生きる死ぬの病気なら、残念ながら助からない事もあり、医師の成績は生存率で計れます。生命に関わらない病気で困っている患者さんを楽にして上げる為に行なう医療に於いては、医師が治して上げたいのに治らなかったりして可哀想な事もありますが、それも医師の成績です。でも医師は人間ですから、極稀に合併症を来す事はあります。特に外科系では見て判断して手を動かすので、集中力を要し、気が付かない内に予期しない結果を呈する事は絶対無いとは言い切れません。私等は毎日の手術なので、毎晩寝る前に明日の手術の内容を脳内シミュレーションしています。手術に及んでは日夜集中力が求められるます。だから外科系の医師は内科系より平均寿命が5年は短いと言われています。
その意味で、予期しないトラブルは意図しても防げない事があります。一つ間違えないでいただきたいのはそれは失敗ではありません。医療行為に絶対はないのです。ある一定の率で予期していないトラブルは起き得ます。その場合リカバリーが大事です。上記の症例経験は病院全体でみんなが束になって取り戻そうとしたので、助かりました。最終的には患者さんにも感謝されました。勿論私達もホット胸を撫で下ろしました。主治医の耳鼻科医は後輩ですから、その後も連絡は取っていました。
このところ歴史を年代を追って書いて来ましたが、年を重ねるごとに、覚えていることは私の医師として経験が主体となります。したがって、時代が進むに従って記憶は濃くなり、いきおい記載量も増えて来ました。致し方ないのですが、逆に言うと記憶だけでなく感覚的に、大変だったとか怖かった思いが蘇るからです。そういえばもう一つ思い出しました。これより3年前の11年次に茅ヶ崎徳洲会病院に出向していた際に病院単位で一人いや二人を助けようとした大騒動。つまり出産時の大出血はすごい事になると言う典型的な症例を思い出しました。長くなるので一度止めて次回にまた、いくつかのビビる症例を紹介していきます。