2017 . 1 . 5

美容医療の神髄-歴史秘話第73話-”口頭伝承”:美容整形屋と美容形成外科医”その49”「相模原市から隣の大和市へ編3:美容形成外科学」

耳鼻科や口腔外科とはそれまで接触する機会が少なかったのですが、それはオーバーラップする部位があり、疾患もオーバーラップするので、むしろ取り合いになる可能性さえもあるからです。

例えば、口腔外科医とは歯科の免許を持つ者のうち、歯と口の中を外科的に診る研修をして来た者ですが、口の周りは顔ですから、容貌にも影響する場合があります。少なくとも歯や歯槽骨や、上下顎骨の形態は顔面の輪郭に影響する訳ですし、歯は表情により見える所なので審美歯科という分野さえもあるくらいです。耳下腺を始めとする唾液腺は口の中に唾液腺を分泌する開口部(耳下腺開口部は見て判る。)があるので口腔外科医も守備範囲です。実はその時初めて教えて貰った事がことがあります。複数の診療科目がオーバーラップする疾患に於いては、各学会が折衝して、守備範囲というか領域を分けたり、共に領域としたりを決めるのだそうです。実は各学会が認定する専門医の試験範囲をここからここまでにすると決める際に、関連しそうな科目に告げるそうです。大和徳洲会には口腔外科が既に開設されていて、東京のS大学歯学部卒で口腔外科医局に十数年在籍した私とほぼ同じ年次のばりばりの口腔外科医と研修歯科医が二人出向していました。近隣にはまともな歯科医が少なかったようで、一般歯科としても繁盛していました。彼とは、外様同士で早くから打ち解けました。これも医局が小さくて風通しがいいとからです。既に私が赴任した時点では、北里の後輩の耳鼻科医と、その口腔外科医と筑波大学出身の心臓外科医と、やはりS大学出身の副院長で産婦人科医が呑み友達みたいになっていて、私もすぐに仲間に加えてもらいました。

また、形成外科・美容外科は顔面の形態と機能の診療をするのに対して、耳鼻科は名前の通り、鼻と耳の孔の中を診るから形態にも影響するから、形成外科と被る疾患がある。そもそも隆鼻術を戦前に本邦で初めて施行したのは耳鼻科医です。また耳下腺を診る事が出来る耳鼻科医は居ますし、逆に耳鼻科出身で後に形成外科医に転科した医師も居ます。

合同手術は医師が少ない科目が手伝い合う仕組みですし、徳洲会内の研修医上がりの若い医師は忙いし、外様とは疎遠になりがちでした。今考えてみれば、徳洲会に入った医師は多くが駅弁大学卒業でした。地方大学出身で、卒業した大学の付属病院に就職しても症例が少なく、いい指導医が居なくて面白そうじゃないから、アクティブにしかも手広く学べる徳洲会に就職したのでしょう。比べてみて、先に挙げた様な大和徳洲会に他大学(例えば私と耳鼻科医と眼科医は北里)から出向してきた医師はいわばこの世界ではエリートが集まっていたのです。だから、外様と内部の待遇の差だけでなく、上下関係による差も感じたのでしょう。大和徳洲会には茅ヶ崎徳洲会時代の私のしごいた若い医師が沢山居たのに、余り関わらずに、外様連中とたまに遊び、たまに合同手術をしました。

具体的に覚えているのは、a;口腔外科医と美容外科医である私による手術。b;後輩の耳鼻科医と形成外科医による耳下腺腫瘍摘出術。c;耳鼻科手術後の重篤な後出血を治す為に耳鼻科医と口腔外科医と私で四苦八苦した。d;心臓外科手術後に胸骨正中切開創が開き、私と共同で筋皮弁で充填しようとしたら、心臓外科医が術中に前胸動脈を傷めて出来なくなったどうしような症例等。中小病院ならではの、知ったか滅ちゃかな医療を経験しました。更についでに長男の扁桃腺の手術をした際にも後出血という術後合併症を起こし、私が仕事が手に付かなかったこと等もありました。

次回に簡単に説明して(内容はどうでも良く姿勢が大事)、研修制度の説明もします。ところで眼瞼形成術の臨床経験は学会活動にも役立ちました。父との交流にもです。JSASでの活動はこの年が最高潮でした。預かっていたを十仁札幌院を辞めても、JSASへのスタンス移動は継続していました。日本美容外科医師会でのクーデターはその翌年のことでした。その辺りから再開します。さらにアルバイト人生は、教授も巻き込み進行します。銀座美容外科で非常勤での診療も継続していましたが、父も体力が落ちて来たので、継承について検討し始めましたが、障害がありました。この辺りの話しも次回以降にします。