2017 . 6 . 17

美容医療の神髄-歴史秘話第95話-”口頭伝承”:美容整形屋と美容形成外科医”その70”「銀座から地方都市へ13:美容形成外科医」

私が医師16年目、時は平成14年、2002年にA美容外科を開設していた前後の事ですが、地方中都市チェーン展開の話題に移りました。3院あるうちの一つ、松本院の話を始めたら信州大学形成外科を訪問した際の話題に移りました。眼瞼下垂の゛研究者゛としての第一人者である松尾教授との面談について書きました。今回その続きから。

話の中で、術式についての質問には答えませんでした。考えてみれば、松尾教授の形成外科医グループへの貢献は、眼瞼下垂症の術式そのものにあるのでは無く、普及に力を入れたことにあるのです。これは美容外科・形成外科診療、美容医療全体の方針を転換する分岐点の一つになったと考えられます。

実はその数年前から、松尾先生はマスコミに露出するようになりました。マスコミは学術的優位性など知る由もありません。彼等は勉強していませんし、ビジネスなので知性など持ち得ないからです。一度売れそうなコンテンツ、この場合は人ですが、それを見つけたら何度も焼き直して使うしかない訳です。ですから最初に顔を繋ぐのが大事です。その点でお互いに利用価値があるのです。利用価値はM教授自身が自分で言っていました。詳しいことは覚えていませんが要約すると、国民一般へのへの広報はマスコミを利用しなければ浸透しないと考えること。美容医療としての重瞼術や上眼瞼たるみ取り術を含めての眼瞼形成術一般において、美容整形屋よりこちら側=形成外科医側が総合的に見て優位であるのを知らしめるためであると考えられました。更に先々のいつかには、重瞼術は眼瞼下垂症手術の一つとして保険診療になると筈だと豪語していました。現在徐々にその方針が浸透して来ています。

ところでそのマスコミへ売りつける際には、私達北里大学が利用していました。松尾先生が教授になったのは平成4年ですが、その後学会で毎回眼瞼下垂症等の発表をしてきました。それまでにも日本形成外科学会や日本美容外科学会JSAPSで、眼瞼下垂症や重瞼術等々の眼瞼形成術の発表は散見されました。特に眼瞼下垂症については、形成外科側しかなかったし、私もそれまでにも手術をしていました。さらに言うなら、非形成外科医の美容整形の時代や、チェーン店系美容外科医が重瞼術等を施行した患者さんで、医原性眼瞼下垂症を併発した症例は非常に多く存在しました。私も、父の施行した重瞼術後の症例は数例治していました。しかし眼瞼下垂症について国民一般は知りません。元よりマスコミも、合併症があることを知っている人は居ても、(その頃美容整形がいかに危ないものであるかをマスコミが喧伝していました。)医学的なコメントを流してくれる者を知りませんし、広告を出している非形成外科医の美容整形屋が妨害しました。事例は知っています。

そこで眼瞼下垂症の研究者としての第一人者となりつつあった松尾教授を利用することを、形成外科医たちが考えました。そのような動きの中で、北里大学はライバルですが、北里研究所病院形成外科・美容外科がお互いの広報に利用しようと画策しました。私が在籍した平成7年の事だったと思います。Ut部長の他に北里大学形成外科名誉教授で顧問のS先生が手を貸しました。S名誉教授は教授時代からマスコミに顔が効いていました。本邦最古参の形成外科医の一人であるからで、また学会でも権威者ですから、マスコミと関わりを持つ機会があったんのです。彼は使える人とはずっと繋がっている人だからです。その点私は敵(美容整形屋)の子ですから疎まれていました。彼は、ある読売系の記者と付き合いが長かったようです。ある時、彼を病院に呼び出して話し込んでいました。何気なく聴いていると、松尾先生をマスコミ紹介する件でした。

その記事の内容は画期的なものでした。いや松尾先生の構成力が特異な優位性を発揮していたからでありましょう。眼瞼下垂症の診療についてですが、手術法を説明するのは簡単にして、様々な合併症の羅列、その仕組み等もちりばめる。だって手術法は画期的な新しい方法ではありません。本邦ではそれまでに発表が無かったのですが、UKではそれより20年前に発表されている術式です。私も博士論文を書く際の参考文献として読みました。ここにもあるのですが、コンセプトが斬新なのです。それまでの眼瞼下垂症の分類では、先天性が主体でした。後天性と言えば、老人性とか皮膚弛緩によるものと解説されているだけでした。そこに彼は、腱膜性と言う概念を提唱して行きました。現在私達が最も多く取り扱う機会の多い、後天性腱膜性眼瞼下垂症の診療法です。

それまでには、後天性眼瞼下垂症の概念は混乱していました。腱膜性の概念は成書にはありませんでした。そこで彼は毎年段階的に学会に発表していきました。まず後天性眼瞼下垂症のメカニズムは、上眼瞼挙筋の筋力が低下している先天性筋症性眼瞼下垂症とは違うという事を提唱します。腱膜性とはどういう状態かというと、上眼瞼挙筋腱膜が瞼板から外れている;Disinsertion や腱膜が伸展している;Attenuation が起きているとを強調します。当初は、それより前から眼瞼下垂症の治療を多く取り扱って来たベテランの形成外科医師は混乱しました。自分たちの考え方と違うからで、年配者は頭が硬いのです。でも松尾教授は、毎回これを手術中画像や画像診断で提示していきました。私は学会でこれを見る度に感動し、毎年楽しみにしました。そして私達頭の硬くない(40前後の医師は、知識は豊富に詰まっているがまだ柔軟性がある。)医師数人は理解し、眼瞼下垂の概念と診療方針を切り替え始めました。

その後私は、後天性腱膜性眼瞼下垂症の病態を把握しながら手術をする様になりました。但し手術法として、当初は松尾先生はちょっと手の混んだ手技を発表しました。重瞼を造る為に眼窩隔膜の断端を利用する術式です。それが松尾法原法と名付けられました。でもその後、その術式一辺倒ではなくなったそうです。その点だけは私が松本の信大を訪れた際に教えてくれました。

術式はそれまでの先天性眼瞼下垂症に対する挙筋短縮法ではなく修復術という方法を提唱しました。後天性腱膜性眼瞼下垂症は、経年変化としての挙筋腱膜の異常です。筋力が低下している訳ではないので、短縮する必要がないと発表しました。外れてたり伸びたりしてしまった腱膜を、解剖学的正位に修復するだけで、後天性腱膜性眼瞼下垂症を改善出来るとの発表を繰り返しました。これはほとんどの形成外科医にとり、目から鱗みたいでした。今でこそ多くの医師が理解している概念ですが、当時は発想の転換が起き始めたばかりでした。ちなみに私は、20年前には理解して実践してきましたから、今頃理解したばっかりの医師とは経験値が違います。ましてやチェーン店を始めとした美容屋は解ってもいないのに手を出すから、ゼーンゼン開いていない術後症例が、ちょくちょく私達を訪れます。

その後次々に、後天性腱膜性眼瞼下垂症に伴う合併症とそのメカニズムについて発表しました。ここからがさらに面白くなります。一度止めて回を改めます。