2017 . 7 . 12

美容医療の神髄-歴史秘話第99話-”口頭伝承”:美容整形屋と美容形成外科医”その74”「地方都市へ17:信州大学形成外科教授に同感。その最終回」

時は、私が医師16年目、平成14年、2002年にA美容外科を開設していた前後の話題でした。A美容外科グループの話題が地方中都市チェーン展開の話題に移りました。三院あるうちの一つ、松本院の話を始めたら信州大学形成外科を訪問した際の話題に移り、眼瞼下垂診療の中心人物である松尾教授との面談について書き始めたら、松尾教授の眼瞼下垂症診療における概念の解説に終始し始めました。それは、私たち形成外科出身の美容外科医にとってはエポックだったからです。その話しの下地として前回科学的医学の説明に終始しました。今回は松尾教授との個人的なやり取りの5回目の続きものの結論として記します。

話は戻って、松尾教授との丁々発止のやり取りです。彼はある時、学会場で「日本人には眼瞼下垂症患者が多いのです。先生もですよ。」と私の目元を見ながら指さしました。続けて「ここにいる人の中で、眼瞼下垂でない人を探す方が難しいくらいです。」「副症状の前頭筋収縮してる人はみなさんそうな訳ですから。」とかトンでもないことを言いました。私が「いやその中の半分程は一重瞼だから、前頭筋拳上しているのであって、眼瞼下垂とは限らないのではないのでしょうか?」と反論すると、教授は「だから、一重瞼はみな眼瞼下垂症です。」そうかそういう考え方を強弁していけばいいのかと、私は頭を叩かれたような衝撃を覚えました。すると教授は続けて「一重瞼の人は眼瞼下垂症だから、二重瞼にすると同時に眼瞼下垂症を改善する重瞼術は、将来保険適応になりますよ。」「私はそのために運動します。」と目を丸くして口を尖らせながら、私に向けて謳いました。「エエッ~。すごいこと言いますね。でも先生のこれまでの発表とマスコミでの啓蒙が効を奏すれば、それも夢ではないですね。」嬉しくなり固く握手しながら、二人で「頑張りましょうね。」と唱和しました。

その後本当に、保険で重瞼術をするようになりました。一重瞼患者は眼瞼下垂を伴う事が多いが、皮膚がかぶっていると判らない。二重瞼にすると顕在化する。だから、重瞼術を施行する際には同時に眼瞼下垂手術をする方が、我々に取って安全で結果が良好。患者さんに取っては費用と時間が有効に使える。私は、逆に言えば昔から重瞼術を受けたのちに眼瞼下垂が顕在化したり、医原性眼瞼下垂を呈したりする症例(昔は父の後の尻拭いが多かった。)をたくさん見てきましたから、初療時に併施する方が患者さんも悦びます。私は今から12年前の吉祥寺時代から、切開法での重瞼術には眼瞼挙筋腱膜修復術を併施しています。もっともそのクリニックは保険医療機関ではありませんでした。

10年前に東京皮膚科・形成外科に移籍してから、当院は保険医療機関なので、切開法での重瞼術には保険でLT法または腱膜修復術を併施してその点数だけを請求しています。LT法は簡便なので、適切に診断して症例を選べばダウンタイムを短くして治せます。それこそ松尾教授のお墨付きも得られました。まだまだ普及しては居ませんし、先天性眼瞼下垂症を伴う症例や、重症例には適応しませんが、今や切開法重瞼術の7割がLT法を併用しています。今やさすがに、先天性眼瞼下垂症は幼少時に治療を受ける様になってきたからです。

この5回程は、A美容外科の4地方院の説明の一つ、松本院の説明を始めたら、信州大学形成外科を訪問した話しになり、そこでの松尾教授との面談の内容から、眼瞼下垂症診療の説明になり、学会の重要性から医学の科学性の説明、美容医療における眼瞼下垂症診療の吟味をして、学会での松尾教授との話題に戻りました。

要するに、形成外科は学会活動を通じて科学的に医学を推進し、松尾教授はその先端です。その結果として、眼瞼形成術は形成外科出身の美容外科医が主体となり進歩して来ました。そしてこのページに書いたように、松尾教授は切開法の重瞼術に眼瞼下垂症手術を併施することで、保険適応ができるように啓蒙広告してきたから実際にその様な経緯になり、我々に取って最大の利益をもたらしてきたと考えられます。だから、これだけ長々と説明してきました。

松尾先生は、学会内では異端視されている面もあります。何故かというと、毎回眼瞼の発表ばかりだからです。それも毎回数題を松尾教授だけでなく、信州大学形成外科医局員が入れ替わり立ち代わり眼瞼の発表をするし、内容が基礎から臨床まで織り交ぜて、眼瞼下垂症の周辺分野ばかりだからです。それまでにその分野の中心と言われて来た医師のほとんどは、認められたら進歩がそこ迄で止まってしまい、自説に拘泥するようになり、日進月歩の学術的知識を取り入れなくなります。松尾教授は最新の知識を国際的な論文から常に学び、更に自ら臨床的に検証し、その証明の為に基礎科学的な研究もして来て、発表して来ました。したがって頭の旧い凝り固まった重鎮と呼ばれる医師達からは理解されないか理解出来ないので異端視されています。出る杭は打たれるの例え通りです。出ても打たれても、続けられる者が勝つし、理解者からは賞賛されます。

私は松尾先生の学術的な姿勢には同感を覚えますし、私も日々研鑽を怠らない様にしたいと思います。同時に彼の様に少しでも一般人に対して啓蒙広告を発信したいと思います。本ブログはその為です。特にこの歴史のシリーズは過去を知り、未来を拡げる為に役立っていると思います。その恩恵は我々美容形成外科医とその世界に関与する者だけでなく、受療者である国民全体にも寄与されるべきだと思います。なお松尾教授は現在退官されて開業し、更に国民の福祉に邁進しています。だからではなく、次回はいよいよ100話となります。