時は、私が医師16年目、平成14年、2002年にA美容外科を開設していた前後の話題でした。A美容外科グループの話題が地方中都市チェーン展開の話題に移りました。三院あるうちの一つ、松本院の話を始めたら信州大学形成外科を訪問した際の話題に移り、眼瞼下垂診療の中心人物である松尾教授との面談について書き始めたら、松尾教授の眼瞼下垂症診療における概念の解説に終始し始めました。それは、私たち形成外科出身の美容外科医にとってはエポックだったからです。今回その4回目の続きから。
とにかく松尾教授の学術的功績は学問ではありますが、実地医療に有用性が高い内容ばかりでした。だから毎年一回日本形成外科学会と年に数回の日本美容外科学会JSAPSに参加する際は、彼らの発表を優先的に見ていきました。彼等とは信州大学形成外科のことで、毎回手分けして数題の発表をしていました。シリーズ化してすべての発表が眼瞼下垂症に関連していました。
もっとも、学会発表は実用的なことばかりではありません。学会はあくまでも学問を向上する場ですから、科学的なエビデンスが提示されます。ここで科学について私なりの考えを説明します。学説とは、世界的に定着した定義とか、定説と考えがちです。学校で習う学問はほとんど反論や反証がなく、現在の水準で正しいとされる学問ですが、未だに宗教的見地から違う説を唱える者もいます。例として、USAでは未だに進化論を否定している人がいます。でも、宗教家が勝手に言っているだけで反証ではありません。逆に現在小中学校で教える科学的学説は、誰もが正しいと考えて応用していますが、絶対ではありません。疑う事が進歩を産む事もあります。でもそれは既存の科学知識を持って、充分に理解している人ができることです。一般的には、人類にとって有用な科学知識を信じる方が得です。だから科学は信じるべきだし、疑似科学には騙されない様にしたいものです。人類は科学に恩恵をもらっているのです。
高度な科学は現在進化中の件も含めてピンからキリまで発表されています。但し科学的とは、それぞれの専門分野の学会単位で議論されて、それぞれの分野の専門家の多くが納得しないと正しいかどうかの判断ができません。一人だけが唱えて誰も再現できない論理(最近日本でも話題になりました。)や、反証が出ているのに無視している説は科学的な理論ではありません。通常商業的に唱えられる一見科学的な説は再現性が乏しく、つまり科学ではなくほとんどが疑似科学です。学会とは、人が集まれば勝手に作れ、怪しい学会もどきもあります。専門分野ごとに唯一のもの以外は科学者の会員も少ないので科学性が低いことになります。
学会での科学的進歩にはいくつかの段階があります。まず新進気鋭の専門家が仮説を立てる。とはいってもそれまでに確立している化学的知識に基づき上塗りするものがほとんどです。証明するには実験や実例が必要でこれをエビデンス,Evidence(証拠)と言います。学会で発表すると、質問と称して反論したり細かい手順の説明をさせます。時に議論が続きますが、学会発表は時間制限があるので個別の議論になることが多くあります。学会発表だけでは参加者しか目に出来ませんが、それで狭い専門分野のものが納得すればその科学的知識には有用性があるのです。もっと普遍的な科学的論理にしたいなら、論文発表して多くの関係者に見せることになります。国内誌でも世界中から検索できるものが多く、英文を始めとした洋文誌なら、世界中の専門家の目にすぐ止まります。論文発表すると、時に続いて反論や疑問が載せられます。場合によっては反証も載せられます。それに反論することもあり、そうして専門分野でのコンセンサスが形成され学説が確立されていきます。さすがにそうなれば、科学的に正しいに違いないということになります。
やっと科学的な議論の方法と学説の確立方法が説明できました。振り返って医学界での科学性とはどうなのでしょう。まず医学は医科学だけではなく、哲学的というか人文学的な面があります。リベラルアーツの一つです。医学は人類のためと言っても、医師は一人ひとりの人間を見るから、対処法には科学性よりも人文学的素養が求められる場合が多いからです。でも医師は唯一、人に対して侵襲を加える資格を与えられています。侵襲とは切る、刺す、何かを体内に投与する等損傷を与える可能性がある行為です。でも医師は人を救うためには侵襲を与えられます。救うとは生命だけでなく、生体機能や社会的機能も含みます。だからそのためには、医学の科学的側面に基づいた方針での、医学的に正しい方法論でなければなりません。医師には裁量権があり、昔は医師個人が正しいと思われる行為は科学的コンセンサスがなくても、容認されました。また社会的な個人差も考慮されなくてはなりません。でも現在は情報化が進み、専門分野で合意が得られて確立した学説に基づかない治療法は、法律には抵触しなくても倫理的には周囲から非難されます。先端的な治療法も専門分野の学会でのオーソライズがなくては非難されるし、有害事象が生じれば民事的に問われます。治験を得ての治療法でないとエビデンスが無いとされます。
さらに狭い我々の分野、形成外科・美容外科など美容医療の世界では、さらに特殊性があります。それは危急性が無い医療だからです。であれば、診療行為に於いて説明と同意がまず優先します。だから学会発表や論文にない様な不思議な医療方針は私達も怖くてできません。また美容医療に於ける結果についていえば、形態的な結果は客観的な視点よりも、主観的に良否が判断されがちです。一般人は希望する形態的イメージがありますから、汲み取りながら修正して行かないと主観的には満足を得られないのです。最も美容医療に於いても機能面は客観的判断を優先的に求めるべきです。眼瞼下垂手術はその代表分野です。だから先程来松尾教授の学術的貢献を説明してきたのです。そして私は、その科学的知見に則って眼瞼下垂治療と重瞼術をはじめとした眼瞼形成術を診療してきたのです。
ところが、美容外科診療は保険が効かない自費診療の医療機関がほとんどです。実際には前にも記した様に保健医療機関の認可を取っていないクリニックが多く、その上で多額の広告費を費やして高額の料金負担となるか、廉価なら能力の低い医師がしかも短時間で施行します。したがって難度の高い眼瞼形成術をチェーン店で騙されて受けて、話しにならない結果を呈して、当院を受診される方が多くいらっしゃいます。特に切開法での眼瞼下垂手術は保険適応なのに、非保険医療機関の美容整形屋(チェーン店では保険が認可されていない。)で高額な自費費用を取られて、それでいて開いていない。または開き過ぎにされた患者さんが私達を受診すると、ため息が出てしまいます。眼瞼下垂症手術は切開法にしても非切開法にしても、医学的素養に満ちた形成外科出身の美容形成外科を受けましょう。私達はその為に、こうして広告啓蒙活動をしています。
科学的な説明が長くなりました。一度止めて、次回話しを松尾教授とのやり取りに戻します。その後やっと、A美容外科の運営に戻りますか?。