加齢による後天性眼瞼下垂症に対する手術は切開法が適応になる場合が多いのですが、第一に皮膚切除を要する場合が多いからですが、第二に重瞼の引き込みが弱くなってきた症例が多く、確実に重瞼を再建するべきであるからでもあります。第三に挙筋腱膜の状態を確認するべきだからでもあります。
そうした症例でも、もう一つ、やはり蒙古襞の拘縮が強く、眼瞼下垂症の発症に関与している場合が多くあります。いつも言うように、一重瞼では二重瞼に比べ蒙古襞の被さりと拘縮が強いために、重瞼術の際にZ-形成法による目頭切開で拘縮解除した方が、機能的にも形態的にも改善性が高いので、併施する様に奨めていますが、加齢性後天性眼瞼下垂症でも、併施する方が機能的に向上性が高い場合が多いのです。
今回はその典型例です。術前所見から診断しました。そして画像を見れば判ります。
症例は54歳、女性。数年前から肩凝り頭痛が酷く、何かと情報が流れている眼瞼下垂症が原因ではないかと受診した。sC.L.数年使用してその後は眼鏡使用。先天性には狭い二重で、引き込みは弱くしわ状。前頭筋常時収縮で眉を引き上げている。
現症:LF、Levator Function、挙筋活動距離=12mm。眼裂横径25mm、内眼角間40mm、角膜中心間63mmであり、眼球は少し離れているが、目頭の間は遠い。目の横幅は小さい通常一重瞼の人のサイズ。つまり蒙古襞は被さっているし、画像の通り縦に突っ張っている。
機能的には眼瞼修復術として挙筋筋力は正常下限であるからLT法と蒙古襞の拘縮解除のためにZ-形成法による目頭切開。形態的には蒙古襞を両側1.5mmずつどけるZ-形成法による目頭切開と重瞼術切開法で定着を図るさいに皮膚切除してすっきりさせる。二つの行為はもちろん同時にしかもどちらの目的も達するべくの手術を予定しました。
具体的なデザインは、中間の6mmラインで幅4mm皮膚を切除し、眼瞼挙筋を修復しする。内側まで皮膚を同幅切除し、4mmのZ-形成の上の辺に繋げる。
上の図は術前、術直後です。術直後には何故か顔が傾いていて、しかも左の眉毛を挙げています。そのために重瞼幅が拡がっています。もちろん腫脹の左右差もあります。但し開瞼は充分に改善されています。目頭は自然な形態で、ちゃんと眼瞼の内側も開いています。近接画像を見るとよく判ります。左から術前、術直後、術後1週間です。
開瞼は明らかに向上しています。左眼瞼では糸のかかった2点が、Notch,切痕になっていますが、やはり周囲の腫脹のためです。重瞼の幅も腫脹のためです。目頭の形は自然です。
もう一度術前と術後1週間の画像を比較しましょう。
まだ左前頭筋収縮の癖が残りますが重瞼は狭くなってきました。やはり腫脹が影響していると考えられます。開瞼が向上すれば、それだけでいい感じの目元になるのです。術前の疲れた目元が術後は元気な目元になり、明るい雰囲気です。
そして目頭はどうでしょう。もちろん1週間で抜糸しても、まだ創跡の赤い線は見えます。ただし傷跡は一辺4㎜のZ型の線と小さいのですぐに見えなくなります。赤いのはメイクで隠せます。目頭の形ですが、近接画像で見られる様に、術直後はほぼ水平に向いているのに、術後1週間では上向きに変化しています。何が起こったのかと言うと、瘢痕性癒着の時期なのです。
術式を詳説します。先ずZ型に切開します。あっまた図示します。初めて見る人はなんだか判らないでしょう?。
Z−形成術とは上左図の様に切開して図上三角形bacとabdを辺bcadは繋げたままで弁状に起こして上右図の様にbacをb’d’c’にabdをa’c’d’に入れ替えます。すると、abがa’b’へと延長され、cdがc’d’へと短縮されます。三角形の角度が全て60度だと、a’b’=√3abとなり、cd=√3c’d’となるのは中学生で習うピタゴラスの定理によります。三角形の一辺が4㎜なら、abはa’b’へと約3㎜延長します。逆にcdはc’d’へと約3㎜短縮します。蒙古襞の尾根線にabをデザインして行ないます。こうして蒙古襞の突っ張りを延長して解除します。蒙古襞の被さりは3㎜退きますが、表と裏に皮膚が有るので半分の1.5㎜開きます。
机上の空論では有りません。ミリ単位の手術ですから、ぴったりにはなりませんが、画像を見れば一目瞭然で、効果は理論通りに得られます。ところで三角形の皮膚を弁状に起こすので三角皮弁と呼びますが、皮弁形成術は形成外科の専門領域と言うか独壇場です。他科の医師にはまねは出来ません。(内緒ですが、整形外科医がまねしてやったら壊死したのを見た事が有ります。)
皮弁形成術は起こす深さと剥離範囲が重要で、実は目頭部の皮膚は血行が良いので、皮膚と眼輪筋の浅層だけで起こせますが、逆に剥離の深さが解剖学的知識を要します。皮膚と眼輪筋を起こした後、まず内眼角靭帯の上まで剥離して行きます。その後靭帯の上下に付着している眼輪筋を出来るだけ切離します。蒙古襞は眼輪筋が靭帯に強固に付着しているから縦に突っ張るのです。靭帯の下には涙小管が有りますが、私は外傷後の涙小管再建術を何例も経験していますから、解剖を知っていますから安全です。(また危ない話しですが、チェーン店系の美容外科では涙小管を切断してしまった目撃談を聴きます。しかも形成外科医が存在しないので、その場での縫合再建ができなかったそうです。)
剥離した組織は創傷治癒に従って癒着します。術後は開瞼が向上しているので、目頭が上に引き上げられる為、上方に癒着します。術直後より数日後の方が目頭の向きが上に向くのはその為です。これまでの症例提示でも多くのケースでそのような変化を呈しています。中でも本症例は顕著です。癒着した際の新しいコラーゲンはタイプⅢで硬いのですが約3ヶ月で成熟したコラーゲンタイプⅠに置き換わり和らいできます。その間重力も加わり、また開瞼が強力過ぎたのが丁度よくなるに従って、目頭の位置も水平になることが多い様です。
敢えて目頭の位置に拘ったのは、戻らないケースがあったからです。どうしても戻らない場合は、一辺を短くした逆Zで戻せます。多分開瞼の向上度が高かったからですが、年齢と共に開瞼度は落ちますから、若年者と違い差が大きいからでしょう。細かい事ですが、症例ごとに違いが有るという事を常に念頭に入れないとならないと肝に銘じました。本症例がどのように変遷するかを注目して行きましょう。
本症例では蒙古襞の拘縮が、数字的に後天性眼瞼下垂症の原因の概ね半分を占めていると考えました。目頭切開をしないと開かない症例です。その手術でも術後変化は有りますが、よく見なければ目頭切開の変遷は判らないでしょう。でも患者さんはちゃんと判っています。創跡がどうのこうのは最近ではほとんど心配しない様に言えますが、形態的な変化は微妙でも機能に影響するので結構気になります。私も拘ります。ですからこうしてブログでも細かい点に対して説明して、皆さんにも理解していただいておこうとしています。
今回の症例はミッドエイジですから、やはり術後経過の期間が長くなると思います。ですので、今後の経過を診ていきましょう。