ゴルフの話題は父と私の繫がりの一部ですが、学生時代はウェイトを占めました。でもいよいよ医師になると機会が変わります。歴史編で書いて来ましたが、銀座美容外科医院に寄る機会が増えました。当然この場合、医者同志としての会話が増えます。私は大学4年生まで目黒の自宅から通いましたから母とは対話しますが、父との会話内容も搔い摘んで織り込みます。こうして、父と母は私を介して(弟は余り関わらない。)、会話していました。
もっとも私が大学を卒業して医師になってからも私は時折ゴルフを続けますし、父は相変わらず週に2ラウンドのゴルフ三昧でした。私が大学を出た年には、父は60歳でした。現在私は58歳ですから同年輩です。脂の乗っている年頃といえば仕事や社会的な面だけではありません。趣味の領域(越えている?)では、他に余り広くない中でゴルフが唯一だったでしょう。スポーツといってもゴルフは50歳を越えてから面白くなります。加齢で瞬発力や持久力は衰えても、経験で積み重ねた戦術頭や、精神的耐久性は落ちません。もちろんロコモシンドロームが進行して歩行がおぼつかなくなったら出来ませんし、ゴルフショットも飛ばなくなったらつまらなくなりますから、70歳くらいまででしょう。父もそうでした。
同じ年頃の私が最近ゴルフを再開したのは父と母を思い出したからです。そして母が亡くなって父と添い遂げたかった気持ちを感じたからです。写真やお土産等いろいろな形跡が出てきました。だから、母は私がゴルフをして父と交流し、端端に母へも伝えるのを楽しんでいたのでしょうと思うことにしました。私がゴルフを再開するのは母と父をもう一度あの世で繋げる事になる道具立てだと思い込みます。追悼になるとこじつけます。
しかも、母の死は久し振りに家族が集まる数日を作りました。男連中は日中一緒に行動するのは難しいのが、述べ3日間同じ場所に居ることが出来ました。そこでその時間の合間で3人でゴルフの打ちっぱなしに行ってみたのです。次男が最近始めたばかりで道具を揃え始めたから借りて、私と長男も同行しました。楽しかったので、私も23年前の運動感覚とワクワク感を思い出しました。遂に私も道具を揃え始めました。男3人と妻で口を揃えて「お母さん(おばあちゃん)の御陰で家族みんなでゴルフを楽しむチャンスが出来た。」「おばあちゃんはえらいね。」「いや、おばあちゃんはやるねえ。」とか言って、私も「こうして家族が集ってゴルフするのもお袋の供養になるな。」とか訳の判らない理由を付けたのです。
話しを戻して母がゴルフをどのように捉えていたのか?。父が出ていく際に、母はゴルフクラブをブチ折りました。対して父は初めて母を殴打しました。父は母を辱めたことを悔いながら、自分を恥ずかしく思い出ていきました。でも母はゴルフクラブが憎かったのではなかったのは当然で、事務長が憎かったのです。だから私がゴルフを始めて父と交流する様になっても妨げるところか、「親父さんに勝ちなさいよ!」とか言って応援していました。
何故こんな話題が続くのかと言うと、父の死後と母の死後に母が父と繫がっていたかったのを切実に感じたからです。父と母は私が中学2年時から滅多に会っていません。二人の子の進学の機会に呼び出したり、結婚式には列席させたくらいです。その際もよそよそしく、話しも噛み合いません。でも私を介しての関わりは断てない訳です。でも父が亡くなってから母が亡くなるまでと、その後の整理中に、私達家族が心安らぐシーンがありました。