先ずは画像を見て下さい。上段は眼瞼部の術前と術直後です。定番の手術となりましたが、これが自然な形態と機能を作り上げるからです。機能とは身体機能と社会的機能を含みます。
症例のご紹介を致します。31歳の男性で、上左の写真が手術前です。なお上右の写真は手術直後ですが、出来上がりはまだ先です。下の画像:術後48時間はむしろ腫脹が強くなります。
先天性一重瞼=皮膚性眼瞼下垂症。何年か前に埋没法を受けているがすぐ戻った。この機能的形態では保てません。挙筋筋力(=挙筋滑動距離)は12mmと正常下限値。その上、眼裂横径25mm、内眼角間36mm、角膜中心間距離60mmと目の位置は離れていないが、目の窓が離れているのは蒙古襞の被さりが強く拘縮が強い証拠で、開瞼機能の低下をもたらしています。
この形態は極東人に典型的で、眼裂狭小症とされます。当然いつもの様に一重瞼を二重瞼にして皮膚性眼瞼下垂症を除去し、挙筋前転をして筋性眼瞼下垂を解消し、目頭はZ-形成で蒙古襞の拘縮を解除したい症例です。二重の幅は埋没の跡のラインは4mmで奥二重ですが、これが似合います。一重瞼で31年生きて来たので皮膚は伸びていますから、幅3mmは切除します。目頭は一重瞼の平均と二重瞼の平均の差を埋める量=4mmのZ-形成術で、眼裂横径を1.5mm大きくし、内眼角間を3mm近づけます。下に近接像を並べます。
左右各眼瞼の、左から術前、術直後、術後48時間です。
術直後は必ず、挙筋の引き締めにより開瞼時にツッパリ感を感じて、開いてくれません。腫脹も伴いますが、本症例では通常度です。内出血は起きませんでした。局麻のために前頭筋が動かないから眉を動きませんから下がっていて、その分上眼瞼が腫れぼったくなっています。もちろん翌日には変わります。抜糸時には腫脹も取れているでしょう。48時間後(2日後)には、腫脹が亢進します。いつも説明している通りです。この時点から引いていき始めます。上に書いた様に、局麻が切れれば前頭筋は動き出して、眉は挙がりますが、腫脹と疼痛で開いてくれません。目頭の創は血痂が着いていなければご覧の様に目立たないものです。
今回いつもの手術ですが、男性にしては目が小さい。男性は平均的に顔が大きいから、目の窓との比率的に女性より小ささが目立つのです。眼裂狭小症に見えます。男性では標準偏差以下のサイズです。そこで、何故眼瞼下垂手術(皮膚性には重瞼術+筋性には挙筋前転術)に目頭切開を併施するのが好ましいかを画像処理して比較して説明します。
眼瞼下垂症と重瞼術だけ行った場合。術後画像を目頭だけ縮小して術前と同じサイズにしました。重瞼術+眼瞼下垂手術で目の窓の縦径が大きくなって、横径が変えていないと=蒙古襞部の被さりを残すと、縦横の比率が不自然です。寄り目みたいです。自然状態でこんな人は居ません。
目頭切開だけを行った場合。術前の画像の目頭を1.5㎜引き寄せる画像処理をしました。縦が変わらないと余計に目の窓が細くなり変です。こんな顔の人は居るかも知れませんが`いやな奴`です。
上の二葉の画像はフォトショップで作ってみました。処理の跡は無視して下さい。どちらもなんか変でしょう。それは術直後の画像と見比べれば歴然と判明します。
術直後は開きが不足していますが、目力は入っています。彼は眼窩骨(眼球の入っている骨の壷)の特に上眼窩が出ていて男らしいのです。そうであれば目は大きくて眉を挙げないで開いた方が似合うし、気合いが感じられます。ちょこんとした目元では弱っチイ印象で、社会的適応性が感じられません。
そこで科学的に説明します。人類学的には明らかなことですが、一重瞼である日本人は全員が重瞼術を受けるべきです。それは一重瞼の遺伝子は約2万年前に東アジアで突然変異に因って出来たものだからです。蒙古襞の遺伝子も同時発生しています。彼等を新モンゴロイドと分類します。所謂極東地域に蔓延っています。基本的にコーカソイドとネグロイドと、古モンゴロイドは一重瞼遺伝子を持っていません。彼等は新モンゴロイドと混血していなければ、全員二重瞼で産まれてきます。
また一重瞼者の平均的な内眼角間距離と二重瞼者の平均的な内眼角間距離は約3㎜差が有りますから、目頭は片側1.5㎜開くべきです。内眼角間距離は蒙古襞だけでなく、眼球位置にも影響されますが、それは基本的構造のバリエーションです。形態的な数字上の差異で、眼鏡を作る際に眼球の位置に距離を合わせなければならないという機能的差異もあります。その個性を変えないで蒙古襞を3㎜よけると、その患者さんの顔に合った目元になります。ですから私は、最近は4㎜のZ−形成法を定式としています。上の画像処理でも良く解ると思います。