2018 . 3 . 16

子供っぽい印象の目元もキリッとして大人顔に!。

この数週間は眼瞼の症例提示が多かったのですが、過去の症例の中長期的経過が出揃ったからでしょう。術前から、デザイン画、術直後、術後1週間の画像では変化は判るけれど、切開手術ではまだダウンタイム中で、市民の参考にならないでしょう。経過して術後2~4週間で形態が見えてきます。完成は3か月とします。その頃の画像を載せたブログが沢山ありますから、それを見てラインうる患者さんが引っ切り無しです。今回も見事な結果を出せると思います。

症例は、32歳女性。先天性一重瞼。アイプチしても二重にはならない。LF, Levator Function,挙筋筋力または滑動距離:瞼縁が閉瞼から最上方視まで動く距離は13mmと正常下限。皮膚は第一眼位(顔面正立位で正面視時)で瞼縁に被さり、見かけ上のMRD(瞼縁から角膜中心の距離)=2.5mmと開瞼不足。代償的に前頭筋が収縮して眉を挙げて目を開いている。つまり皮膚性眼瞼下垂に挙筋成長不足による筋性眼瞼下垂が併存している。

角膜中心間距離=眼球の位置(平均値60):58mmと眼球は離れていないのに、眼裂横径(二重まぶたでは平均26.5mm):24mm、内眼角間距離(二重まぶたでは平均33mm):37mmと目の間は離れ横が小さい。つまり一重瞼で眼瞼下垂に伴う、典型的な蒙古襞の拘縮が併存していて水かき状です。この形態が開瞼機能の阻害要因になっています。

デザインは中間のライン=座位で中央で瞼縁から5mm高。眉を挙げ続けているので皮膚が伸びているため幅3mm切除を要します。蒙古襞は一重瞼の平均を二重瞼の平均に変えるために3mm寄せる為にいつもの様に一辺4mm60度のZ-形成を行います。術前の画像が上記の形態と機能を表しています。

IMG_1002術前は前頭筋収縮で眉が大きく挙がっています。

上記のデザインは上図の開閉瞼画像で判ります。

IMG_1006術直後は既に腫脹と内出血ですごいです。でもよく開いていますし重瞼もくっきりしています。それでは近接像を見ましょう。

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明らかに開瞼が向上しているだけでなく二重瞼にすれば瞼縁に皮膚が被さっていないからきれいです。目頭は斜め下向きから横向きに変わります。涙湖(赤肉)の露出量は増えましたが、位置が横になれば二重瞼の自然な形態となります。

術直後には開瞼が良好などころかオーバーコレクション、Over correction です。糸が掛かっている瞼縁がカクッと切痕状,Notch に挙がっています。両側とも内側概ね角膜の内側の垂線上に切痕が見られます。わざとです。内側は眼瞼挙筋が弱く、眼瞼挙筋腱膜も薄く弱いのでOver correctinにしました。1~2週間でなだらかになります。この様な内側が良く挙がる機能向上を好む患者さんも、居て、戻ったら「手術直後はよく挙がっていたのにぃ~!」と残念がられることもありました。敢えて自分の眼瞼を見ると上瞼縁が台形みたいになっています。内側から外側まで挙がっています。私はナルシストなのでこれが眼瞼の良好な形態と機能だと思っています。

何回も書きましたが、一重瞼は先天性異常です。アジアで発生した突然変異が東アジアに蔓延しました。ホモサピエンスがアフリカで発生した際は全員二重まぶただったのです。東アジア人以外は全員二重まぶたです。一重瞼は最終氷河期に目の開きが小さい人だけが生き残って、二重瞼の人は凍って目が潰れてしまうので淘汰されたのです。こうして東アジアでは一重瞼が蔓延しました。日本人は二重瞼の遺伝子を持つ南方系(いわゆる縄文人系)と、一重瞼の遺伝子を持つモンゴル系(いわゆる弥生人系)が混ざっていますから二重瞼の人と一重瞼の人が約半数ずつ存在します。もっとも現在は間氷期なので一重瞼は必要ないのです。ましてや温暖化の時代に腫れぼったい一重瞼の人は鬱陶しいじゃあないですか!。

蒙古襞は一重瞼の遺伝子と同座にあると言われています。でも日本人は混ざっているので、二重瞼の人でも被さりと拘縮は軽くても蒙古襞があります。朝廷が代表的ですから、蒙古襞がないと日本民族ではないと言えます。でも、一重瞼の人と二重瞼の人は明確に平均値に差があります。その差は3mmですから、重瞼術をする際には一辺4mm60度のZ-形成法で治す方が自然な形態を作れます。蒙古襞の拘縮は開瞼機能の阻害要因にもなっていますから、眼瞼下垂手術に併施すると効果が倍増します。

今回は術後直後の画像までなので、結果はまだ見えないでしょう。次回術後1週間をお楽しみに!