美容外科医の家族は辛いよ!は、母が亡くなって追悼と供養の為に書いてみました。辛かっただろうと思います。そういえば追悼分に於いて私は、父へも母へも「敬愛する母」とか「尊敬する父」とかの称号を使いませんでした。別に父母に恨みを持っているの訳ではないのですが、感謝こそすれ、軽蔑と半々なので、この言葉は載せませんでした。
まとめるなら、父のことは大好きでした。でもいつも遊んでくれたのに、いなくなって寂しかったのです。そして私を医師、それも約束に従い美容形成外科医にしてくれたことには感謝しています。しかしその後はことあるごとに話し合い、一緒に仕事もしましたが、父子での仕事は楽しい半面と、医学的には呆れる半面が交錯していました。母とは長い間ともに居たので、空気みたいなものです。誰でもそうでしょう?。母子のドラマティックな愛情物語は一面に過ぎません。愛情は愛と情ですが、愛はともに居たい気持ちで、情はともに居たから芽生えた感謝の気持ちでしょう?。その意味では母子は情の繋がりです。それは現生に繋がります。
その意味では、自分が家族を持つとそちらが優先します。それは愛と情の日々です。少女趣味で言えば、結婚は愛情の賜物でしょう。少なくとも、結婚するまでは「これからはともに過ごしたい!生きたい!」と想い焦がれます。さすがに誰でも、その気持ちに嘘は無いと思います。これは愛情のうちの愛の意味です。そうしていくつものイベントを共にやり過ごしていくうちに、これからも共に過ごしたいと思えば続けられます。これは情が深くなるからでしょう。こうして男女間には愛情が育まれていきます。しかしそこで家族に目を向ければ、子が存在します。そこには愛情を超えた本能が支配します。人間も動物だから種族繁栄本能を持つからです。ちなみに男女間には種族繁栄本能としての生殖は本能ですが、日々の営みは人間としての理性が司ります。
子供は授かりものですが、可愛いに決まっています。それは本能ですが、そこには作り上げる楽しみもあるからです。我が家には5人産まれました。楽しいですよ。配偶者は鹿児島出身なので、子だくさんはお約束です。統計上判明しています。医学的(科学的)に証明されている訳ではありませんが、多分遺伝子的に作り易いのです。卵子が強いのか、直ぐ出来ます。動物的なのでいわゆる発情期(人間の場合は季節でなく月単位の排卵日前後)をホルモン的に察知するようです。だから当たり易い様です。私が認知していたかは不明ですが、私が子供を好きであるので、子供を沢山作りそうな女性を好んだ情動は今となっては感じ取れます。
具体的には男女男女男の順にいて、上四人は2〜3歳ごとで仲良く楽しく、最上子と最下子は15歳離れていますから親子に近く、人間性涵養に役立っています。兄貴は平成元年産まれですから、もう30年近く一緒に生きてきました。私や妻の人生の半分前後になります。だから、子供を愛する=共に生きていたいのは本能ですが、共に生きてきたから、死ぬまで共に生き続けたい情は日に日に毎年深まる限りです。それが家族でしょう。もう3人の子供は独立していますが、一緒に暮らしていなくても、共に生きたい気持ちは本能に基づく愛情の為せる気持ちです。
思い出せば、母もそうだったのでしょう。父と母は何十年も会っていなくても、二人とも子供とは共に生きたいので、蝶番の芯みたいに子供を想い、情を持って生きてきたのでしょう。父が亡くなってから母がずっと位牌を飾り線香を揚げていたのがその証拠です。母が亡くなった今は私達が継いでいます。
現生を生きる。これからまだ何年も生きる私達美容外科医の家族にとっては、恩讐を超えなければなりません。そこで、私の個人的な紹介と家族の生き方について、少々の話題を載せてみます。美容外科医の家族は前面に出ると面倒なだけでなく、周りの目が気になります。あたかも、患者さんの気持ちになるのでしょう。
細かいことは難しい面があるので、たまに書いていきたいと思います。