歴史に戻る前に前回書いたように現代と、前回のバブルについて書いてみましょう。ちなみにバブルは世界で定期的に起きますが、前回のバブルは日本に置いて最悪でした。しかもその後のバブル(リーマンショックなど)に対しては各国がすぐ手を打ったので収束しました。これも景気の話題ですから、美容医療の斯界における歴史においては大きなターニングポイントです。
今や前回のバブルを知っている人は引退しているか鬼籍に入っています。私の父も同様です。 今回のなんとかミクスは原則的に、金を刷る事と、円安にして輸出業の企業を儲けさせる事と輸入品の価格を上げて物価上昇のように見せる事です。他の”何本の矢?”とか称する成長戦略なんかはこれまでの政策の焼き直しに過ぎません。
今回のなんとかミクスがバブルか否かは収拾方法によりますし、なんとか言い訳を作ってバブルではなかったと言い逃れるでしょう。でもこんな事がいつまでも続くはずが無いのは、国民も薄々感じ始めています。
バブルとはなんでしょうか?。泡です。シャボン玉(シャボンとはフランス語で石鹸の事です。)は息を入れると膨らみます。でも空気を入れ続けるとそのうち弾けます。これがバブルです。注入していくと回収できなくなる事です。経済的には金を供給し続けると回収できなくなることになり、単一国家や国際的に経済力が低下する事です。ちなみに経済は金が回る事で国民や人類に余剰分を与えてさらに増やす事ですが、お金が永遠に増えるはずは無いのです。
前回のバブルは1985年のプラザ合意から始まるのは、当時から生きてきた人は知っています。実はその前の日本は高度成長期でしたが、それは第二次大戦後に憲法第9条と日米安保条約で戦争費用を負担しないで済ました結果と、USAが日本製品を買いまくってくれたからです。円が固定相場であったため、今では考えられない円安効果も乗っていました。1970年代の二度の石油ショックで日本経済が混乱しましたが、自動車なんかはエコノミー化の先陣を走った日本車がより優位になりました。1980年代に入ると日本からの輸入規制が始まりました。アメリカは円高で赤字だらけだったので、1985年に先進国にお願いしてドル相場をドル安に誘導しました。G5が強調介入して1ドル240円から1ドル150円まで円高が進行します。
日本を始めとした輸入産業に依存した先進国は通貨高になります。そこで日本では円高に対して政府が手を打ちました。ここからがバブルの始まりです。まず政府が大型減税で国民の可処分所得を増やしました。公共投資拡大と金利引き下げつまり金融緩和も行い景気浮揚を図ります。当然のごとく株式と土地の投機を許しバブルが発生します。ここまでの経過は今のなんとかミクスと似ていませんか?。金利引き下げで銀行は業務拡大を目論み、その金融を利用して不動産関係は投機に走り、地上げが横行しました。私的な事を言えば目黒区の高級住宅地にある実家は1987年に地上げ屋に売りました。その結果父は、それまで賃貸だった銀座美容外科のビルの2フロアーを買いました。土地は下がらないという神話の一つです。東京23区の地価でアメリカ全土が買えるとの計算も成立しました。円高なのでUSAの不動産や会社をM&Aで買いまくりました。金融緩和で株価も上昇し続け1989年には過去最高額となりました。このまで書いていてどういても今のなんとかミクスに似ています。違うのは今は日銀がお金を刷りまくって、バブルを作っているということで考えたらもっとタチが悪いかも知れません。
1989年末まで上がった株価が暴落し始めるのがバブルの弾ける予兆です。この際二つの問題が生じたからです。一つは不動産価格が上昇し過ぎ投機にだけ使われ、ただでさえ狭い日本の土地が利用出来なくなることです。もう一つ株価も不動産投資も実体経済を遥かに超える上昇を続けたので、資産を持つ国民と持たない国民の格差が広がる事です。とにかく政府に依る総量=土地関連融資抑制と日銀に依る急激な金融引き締めが行なわれ、バブルは一気に弾けるのでした。そう考えてみたら、今回のバブルは前回のバブルに等しい規模ですが、前回の轍を踏まない様に引き伸しているか、出口を用意しているかで、弾けない様にしようとしているのと思います。でもバブルはバブルですから弾けるに決まっています。
過去数百年間に先進国では、バブルが発生しては弾けて来ました。投機熱は周囲が制止出来ないからです。でも最近のバブルは、政治と中央銀行が関与して誘導したら止まらなくなったケースがほとんどです。1989年のもプラザ合意に対する政策が起こしましたし、リーマンショックもUSAの中央銀行が起こしたバブルが弾けたのです。その意味では、今回の何とかミクスは全くもって政治的思惑で起こされています。それも首相個人の願望というか、歴史修正主義の為。何故かと言えばおじいさんの戦犯扱いという私怨を晴らす為と、おじいさんの時代からの党の政策である憲法改正を果たす目的で、支持率を上げる為にバブルを起こしていると思われます。その点で間違った政策選択であると言えます。
困った者ですが、私達美容外科医も現在恩恵を受けていますから文句は言えないのです。最もこの数年は、何とかミクスの副産物であるインバウンド景気の比率(売り上げの約40%)がさらに増えています。ここで国民は調子に乗って消費や投資したら後で痛い目に遇いますよ。前のバブルで痛い目に遇っている父のせいで、私も被害を被っているから言うのです。
今回また、私と父の住む美容外科の世界の歴史ではなく経済史の話題にを載せましたが、考えてみれば時代を反映しています。美容医療の歴史は景気に左右されていますから。今や美容外科の診療所は増加中です。形成外科の知識と技術がない者はもちろん。逆に形成外科を齧っただけで美容外科の経験が希薄なナンチャって美容形成外科も出現しています。こうなるとどこがまともか判らなくなります。バブルが弾けたらトラブルが表面化して大変な事になりそうです。私は過去30年間の経済的な趨勢を経験していますし、まともな美容医療を手がけて皆さんに悦びを与えて来ましたから、この姿勢でいけば問題ないと肝に銘じています。
こうして経済の波と美容外科の趨勢を概説したので歴史に戻ります。大分に開業した平成14年から進んでいませんでした。それに、歴史のうち美容外科の斯界の話題や、父との邂逅も止まっていました。再現してみたいと考えます。標題にある様に父は非形成外科医の美容整形屋出身の美容外科医。私は形成外科出身の美容形成外科医です。まだ16年次です。2002年、平成14年に私が医師となって16年目、A美容外科大分院院長としての1年目が半分進みました。今から17年前にタイムスリップしましょう。
とか言っていたら終わらないので、簡単に進めます。一言加えるなら、「整形ゴロ!」がキーワードです。美容整形やの周囲に関与して上がりの一部を掠め取っていく連中です。いくつかのノウハウがありますが、主に二つ。一つは患者さんを送り込んで難癖つけてヒモ見たいのが凄むパターン、いわゆる当たり屋です。もう一つは一般人のふりをして近づき仕事に関与して掠めとるまたは抜く輩です。今回大分では途中から準構成員だと判明しました。仲介役の事務長はもう既にこの世に居ません。たぶん消されたのでしょう。
A美容外科では診療は順調に進んでいました。私は手術三昧で、合間に注入を始めとしたプチ整形も増やしました。ところでA美容外科は出自が非形成外科医側です。私が院長でも患者さんのソースは広告と口コミですから、私の行う高度な治療内容を求めるよりも美容整形(非形成外科という意味)の施術が多かったのは当然です。
次回から大分の診療とその後の顛末に話を進めていきます。