美容医療は昨今始まったのではありません。外傷後の形成外科治療は第一次大戦後にヨーロッパで有用でした。UKは王国ですから、戦傷者を、戦争に行かせた王室が面倒を看たのです。使われた技術は発展して、美容医療にも流用されました。日本では戦前から数名の施行医(ただし当時は眼科医や耳鼻科医)が存在しました。学術誌にも載っています。戦後日本では原爆の研究のためにGHQ (主にUSA )の形成外科医がやって来ました。ついでに美容医療も教えました。学んだ医師が、GIにモテる為の美容整形を受ける女性の為に、美容医療手術を施行しました。その後高度成長期には、美容整形クリニックが雨後の筍の様に増えました。昭和30年代には、既に山手線の各駅に存在しました。昭和51年に形成外科が、昭和53年に美容外科が標榜科目(広告に書いて良い診療科目名。広告に載せて良い内容は医療法で細かく限定される)とされ、全国的な雑誌に広告を載せて全国展開する、チェーン店のビジネスモデルが成立します。今世紀に入ってITからSNSの時代に入りましたが、HPは広告でないとされました。クリックしないと視れないので、不特定多数を対象としないと見做されたからです。だからいい加減な内容が横行しました。画像改竄も行われました。これではいけないと厚労省も見直して、2016年に法律を変えて、インターネット上も広告とされ、保健所のチェックが入り始めました。そこで、それまでインターネット上の改竄画像で稼いでいたS.は方針を変えました。「うちは最大の経営規模だから、面倒だからHPなんか縮小して、じゃんじゃんTVCMや広告を増やせば、逆に勝ち組だ。」そして再び広告合戦の時代となりました。結果的に忙しくなりすぎて、むしろ逆にS.の医療内容はさらに低下しました。
ところでアジアの美容医療はどの様に変遷してきたかと言えば、韓国が先端と感じている日本人が多く居るかも知れません。ですが間違いです。一言で言えば国民性の違いがその様に思わせているのです。日本では未だにビジネス的美容外科がチェーン展開していますが、だから国民の大多数は金儲け主義に対する忌避感(やっかみと劣等感も兼ねて)を持っています。昭和50年代よりも前の、昔の酷い結果と後遺症を知っている人もご存命です。上に書いた様に、美容医療は戦後から高度成長期に徐々に進化しました。実は韓国に対しては、30年来日本人が指導に行ってきました。その後徐々に進歩しました。ちなみに日本国内の美容医療従事者には在日系が多く、彼らが韓国に帰郷しては教えたのでもあります。覚えている方も多いでしょうが、四代前の韓国の大統領は自ら美容医療を受けて国家を上げての宣伝マンとなっていました。政治的にも美容医療で稼ぐ方針です。この様に韓国では、経済政策の一環として国民が美容医療を称揚してきたのです。
中国はどうでしょう。一応中華人民共和国は共産主義国ですから、平等を旨とします。ですから美容医療で見た目を向上させる事は奨励しません。ですが今や中国は、社会主義的資本主義国ですから、富裕層は、外国で美容医療を受けます。あえて国内でも一部は行われていますが、質は上がりません。テレビでよく見かけるバレバレのアナウンサーやタレントをみれば解りますよね。しかも中国は4000年の歴史の間に、実はかなり混血されていて、北から南、内陸から湾岸まで広く他民族国家で、遺伝的多様性も伴いますから、見た目の個性は容認されます。ですが、アジアの先進国である日本や韓国へツアーを組んで美容医療を受けに行きます。インバウンドです。
今回の症例患者さんは、中国からの留学生で、その後就職して10年以上在住だそうで、日本語も堪能です。出身は上海近郊だそうで、南方系の顔立ちと自認していました。結構美人系です。話していても聡明さを感じます。知り合いの日本人が私に罹って手術を受けて、結果良好なのを見て来院されたそうで、当初からフランクに乗り気でした。でも私はいつもの様に丁寧に診察して、手術適応を検討しました。患者さんはその結果すぐにでも受けたい様なので、たまたま時間が取れたので手術に到りました。私も好結果が予想できたので、喜んでブログ提示をさせてもらいます。
症例は29歳女性。上記の様な来歴で来院されました。直ちに診察します。先天性奥二重の前葉生眼瞼下垂は存在します。しかもシワのラインに左右差があります。LF,Levator Function≡挙筋々力(滑動距離)は18㎜と意外と強く、先天性後葉性眼瞼下垂症ではない。コンタクトレンズ装用10年で後天性後葉性眼瞼下垂は進行してきている模様です。それならその為の検査=フェニレフリンテストが求められます。目薬を2滴刺すと、たちまちパッチリ開きました。そうであれば、希望の”切らない眼瞼下垂手術”が功を奏する訳で、シミュレーションの通りに挙がります。その場で重瞼線もシミュレーションします。左の上から2本目のシワと下の奥二重のラインの中間が似合うと思います。閉瞼で無緊張で瞼縁から6㎜でした。 しっかり眼裂の目頭の上から目尻の上まで重瞼を作りたい由で、NILT3点が適応です。重瞼線は術中に挙筋前転後に見て決定としましょうとなりました。
画像は眼瞼部だけですが、その効果は明瞭です。
上には術前の遠近二葉。右の近景では力が抜けるので開瞼も落ちています。ラインは左眼瞼の一番下の奥二重だけが重瞼で、他はシワです。
手術中にまず、眼瞼結膜側から眼瞼挙筋を縫縮(前転して、瞼板に止める)した時点で画像を撮りました。瞼縁だけが挙がって前葉の皮膚、眼輪筋は相対的に落ちていますから、被さっています。
顔を下に向けて視線を挙げてもらうと、開瞼が向上しているのが判ります。この時点で二重線を選びます。ブジーを当てて鏡を見てもらい決めました。ところで左眼瞼の目尻側に糸が見えます。眼瞼挙筋を縫縮した糸は結紮(結ぶ)しましたが、まだぶら下がっています。これを眼瞼結膜の瞼板上縁から皮膚側に通し出して、重瞼を造ります。
術直後の遠近二葉。まず開瞼が強化されて黒目(角膜)の上縁に架かる瞼縁が上がってライトの反射が増えています。”パッチリ”しました。重瞼線は術前にもシミュレーションして、術中にも確認したラインで、普通の二重瞼です。”クッキリ”しました。
術後2週間で魅せてださいました。まだ腫脹がピーク時(術後48時間を思い出してもらう)30%程度残りますが、ラインは気に入ったと!。はっきりした目元が魅力的で美人顔には似合います。
近接画像では瞼縁にまつ毛が見られます。何とも目力が入って聡明さがアップしています。
術後1ヶ月を経ました。
両側眼瞼部遠近像を診ます。上左図の遠景では目が見開いています。上右図の近景では輻輳して更に開瞼が向上しています。
腫脹が引いて、重瞼幅はちょうど良く好みだそうです。目の開きは、術前の目薬でのフェニレフリン(ネオシネジン)≡眼瞼挙筋々力を一時的に強化する作用テストでのシミュレーション時に近く、適切で、パッチリしてお悦びです。術前があまりに可哀想な目だったから、効果がよく判ります。
当院では厚生労働省より改定され施行された「医療機関ホームページガイドライン」に遵守し、ブログを掲載しています。 医療法を遵守した情報を詳しくお知らせするために、症例写真・ブログに関しましても随時修正を行っていきます。
症例写真の条件を一定とし、効果だけでなく、料金・生じうるリスクや副作用も記載していきます。ブログにも表現や補足の説明を付け加えさせていただきます。
施術のリスク・副作用について:・麻酔薬にて、アレルギー反応を起こす場合があります。その場合は適切な処置を行います。・腫れは個人差がありますが、手術直後から少し腫れがあり、翌日がピークで徐々に引いていきます。目立つほどの大きな腫れは1~2週間程度です。・術後のむくみや細かな左右差の改善には、3ヶ月程度かかります。・内出血が起こった場合は完全にひくまでに2週間程度かかることがあります。・感染予防のため、抗生剤を内服していただきます。・手術直後は、つっぱりを感じることがありますが、2週間程度で改善していきます。・目頭の切開部位は、目やにがでる場所ですので、消毒にご来院下さい。・手術当日は、洗顔をお控え下さい。・手術後3日間は、飲酒・激しい運動・サウナ・入浴など、血流が良くなることはお控え下さい。・手術後1週間(抜糸まで)は、切開部位のお化粧はお控え下さい。・ケロイド体質の方は傷跡が残りやすい場合があります。
費用の説明も加えます。NILT法は消費税込みで22万円。ブログ掲載の契約を受けてもらえたら、出演料として20%オフとなります。