黒目整形セットの症例が続いています。まずは術前と術直後の写真を提示します。
今回の症例は18歳、女性。高校卒業前の若年者です。大学進学は決まっていますから、このチャンスに眼瞼形成術を希望された患者さんです。上に提示した画像2枚はどちらも術前です。左画像の様に髪を下して眉と眼瞼が見えないようにしています。右画像の様に髪をよけてもらうと眉の位置が見えます。開瞼時は常に前頭筋が反射運動で収縮して、眉毛を吊り上げています。この点は重要です。
間違いなく、通常の短期経過では、48時間をヤマに解消しはじめます。この後は腫脹が軽減していき、内出血の広がりは止まります。そして、これらのダウンタイムの時間経過は山の頂の程度により差があります。山が高ければ降りるのに(治るのに)日数を要する:山が高くなければ早く治ります。峠の高さに影響されるのです。この手術では山を降りるのに、最低でも1週間、平均で2週間、長いと1か月かかります。
診療の内容を提示しませんでした。私はあくまでも医療従事者ですから、診療内容も提示しなければ広報活動となりませんので、ここに提示します。症例は18歳、女性。先天性一重まぶたで眼瞼下垂症状を呈しています。一重瞼であるための皮膚性眼瞼下垂症が本態ですが、Levator Function 挙筋機能、正しくは挙筋滑動距離が11mmと正常(=12㎜)ではない。ただし眼瞼横径23mm、内眼角間距離36mmと眼の窓が小さいから開きが育たなかった為で、筋性;Myopathy先天性;Congenital眼瞼下垂症の診断基準;Criteriaには該当するが機能的には正常ではある。年齢的にもコンタクトレンズ使用歴も無いため後天性腱膜性眼瞼下垂症は合併していないため、フェニレフリンテストはするまでもないと考えられた。
このような診断の下(=診断が必要です。)手術前プランを立てました。保険医療行為ですから、診察して診断を得て治療の方針を立てなければ、国家財政の無駄使いと言われかねません。ただし保険診療には、細かい規則があり、医師の裁量が許容されているとしても、保険が規定する診療行為を逸脱するものは、たとえ疾病治療に有用性が高くても担保されません。眼瞼下垂症に対する手術は切開法なら保険診療で、非切開法なら自費診療となります。一重瞼に伴う蒙古襞の拘縮が強いために眼瞼下垂症の原因の一つとなっていても、目頭切開(蒙古襞の拘縮解除術)は先天性に角膜(黒目)が隠れるほどでなければ健康保険は適用できません。
本症例では、画像で見られる様に、一重まぶたによる皮膚性眼瞼下垂症に眼瞼挙筋力の不足という筋性眼瞼下垂症(先天性機能低下)を伴うので、改善の定着を求めて切開法を選択し、眼瞼下垂症の原因の一つとなっている蒙古襞の拘縮を解除するために、4mmのZ-形成術による眼頭切開を自費で併施するプランを立てました。繋げてデザイン出来るから形が作り易いため同時に手術することをおすすめしています。
そして1週間後に抜糸しました。術後3週間で来院して頂き、経過を診ました。並べて提示していきます。
上左図が術前、上右図が術直後、下左図が術後1週間で抜糸した直後、下右図が術後3週間です。よく見ると、右の開瞼が左に比べ強すぎます。その結果開瞼時の重瞼幅も右が左に比べ狭くなっています。あくまでも見かけ上の差で、閉瞼時の切開線と重瞼固定位置は揃っています。
下に術前と術後3週間の近接画像を並べます。
そりゃあ、一重瞼と二重まぶたでは差は歴然です。黒目の露出度は1.5倍に増えています。上瞼縁の露出程度は一重瞼では皮膚が被さっていて視認できませんが、二重瞼になって皮膚を持ち上げれば見えるようになる瞼縁は正常以上に挙がりました。一重瞼では瞼縁が挙がっていようと挙がっていまいと皮膚が被さっていて損をしています。つまり眼瞼下垂症です。
開瞼の強化法は結膜側から挙筋腱膜とミューラー筋と眼瞼結膜を縫い寄せるLT法ですが、一昨年の学会での議論を紹介したように、この方法では挙筋筋力が低下した先天性眼瞼下垂症に対しては効果が得られないのに対して、後天性腱膜性眼瞼下垂症に対しては効果が得られるし、正常の筋力なら正常上限まで強化できます。ただし少し後戻り(糸が緩むのではなく、組織に喰いこむことで効果が低下する。)
何度もいいますが、一重まぶたと蒙古襞の拘縮は先天性異常です。前回考古学的に説明しました。北東アジアで約2万年前に発生した突然変異の遺伝子が蔓延したのです。日本には中国や朝鮮半島経由で廻ってきたのは明白で、当時先進民族で渡来人が持ってきたと考えられます。大和民族ともいいますが、天皇家は代表的に一重瞼ですよね。蒙古襞も典型的です。2万年前までは一重瞼+蒙古襞の遺伝子は存在しなかったと考えられ、彼等は古モンゴロイド系とされ、北東アジアで発生した一重瞼+蒙古襞の遺伝子を持つ人種を新モンゴロイド系とされています。いわゆる縄文人と弥生人がほぼ匹敵しますが、日本列島への進入経路は多様で、まだ解明されきっていないため、古モンゴロイド系が縄文人で、新モンゴロイドが弥生人だとは分けられない面があるようです。いずれにしても二つの遺伝子が混血して表出していきましたから、現代の日本人は表現型として一重瞼と二重瞼が混在しています。大規模検索はされていないのですが、誰もが印象として感じるように、半々存在すると考えられています。
目は口程にものを言うとの例えに倣えば、目が小さいと表情が乏しく、コミュニケーション能力が低下します。皆さんの周りでも、目の小さい人は無表情でしょう?。また眼瞼下垂状態を合併する事になりますから、自律神経(交感神経過剰)失調を起こして様々な症状を呈します。これまで何度も説明して来ました。
一重瞼でいることは神の意志に反することです。なぜなら直立した人間は遠くまで見渡せます。しかも人間は直立したため首が回せますから、眼の窓の向きを近くしても横や後ろが見えます。動物種の中で、人間は一番前向きです。フクロウは二つの目が前向きですが夜行性ですから特殊なのです。前向きの目が両眼視をするメリットは距離が認識でき、ピンとも合わせやすいのです。その結果、遠距離での運動にも有利ですし、近距離の精密な細かい精緻性運動も両眼視が有利です。しかい、一重瞼で視界が狭いとこれらの有利性を生かせません。また直立した人間は顔を上に向け続けるのが苦しいので、眼だけを上を向けなければなりませんが、一重瞼で眼瞼下垂だと、上方の視界も不足します。神様は直立して、両眼視で距離感を得て、上方視できるように作ったはずの人間なのに、突然変異で視界不良の人間ができてしまったのです。ですから、一重まぶた+眼瞼下垂状態を脱して二重瞼+開瞼良好にすることは神の意志でもあると思います。いや、私達神の代わりの手で改善を図れます。
戦後日本では敗戦国人として欧米人に媚びる為にこぞって重瞼術を受けました。しかしその時代の美容整形屋は医学的知識に乏しく、また敢えて無理に外人に近づけようとしたので、他とのバランスが崩れて、いかにも不自然な形態を作ってしまいました。医学的知識が不足した結果医原性眼瞼下垂をも製造してしまいました。私は今でもよく、父の行った重瞼術切開法の結果として生じた医原性眼瞼下垂症を治しています。見事に治ります。
戦後から、形成外科医療と美容外科医療のコラボレーションにより眼瞼形成術の発展する前の昭和40年代までの重瞼術の結果は国民に美容整形を’はしたない’ことと認識させてきた要素の一つとなりました。もちろん他にも日本特有の精神性が影響している面はあります。でもそれをいうなら、一重瞼はアジア人特有ですから、アジア人のその遺伝子が悪いためで、肉体機能としては治すのが善いことだったはずです。私達は、現在の医学的見地からの眼瞼形成術は機能と形態の治療として、こうして遂行してきています。これこそが知性の勝利だと言えましょう。