考えてみたら、前々回位から自分史がウエイトを占めていますが、6年間の研修時代は美容外科診療のウエイトが少ないのでそうなっています。その後6年目からまた、増えてきます。その前後にも、いくつかのトピックスがあります。1993年の日本美容医療協会の発足。対抗して、日本美容医師会の発足と、私のJSASへの加入。父が開催したJSAS 等々・・。
その前に北里大学形成外科医局での研修医時代を思い出して、もう一度プログラムを説明するところに戻ります。
その前に医局とは何かといいますと、要するに各科の集団ですが、大学病院の医局の責務としては教育、臨床、研究の三本立てがあります。ただしその結果、医局は第一に人事権を持っています。通常雇用者というのは、会社ですし、病院という法人ですよね。確かに病院は
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カテゴリー別アーカイブ: 日本美容外科学会(JSAS)専門医
美容医療の神髄23-歴史的経緯第23話- ”口頭伝承話”その23
実際の形成外科医養成の研修プログラムは、大学によりかなり違うようですが、研修の目的は学会の認定する専門医を取得することにあるといっても過言ではありません。科によりそのウェイトに差があるとは思いますし、当時は専門医制度がまだ整備されていませんでした。
昨今の医療に対する国民の要請に答えるため、診療水準を専門医制度が証明し、それを広報できるようになります。またUSAによるTPAに関連した政策介入により、専門医の国家資格化が要請されているようです。現在各科の専門医は、厚労省の管轄する機構で制度化と審査が進行しています。そう言えば、前回記載しましたが、日本の近代医学は戦後GHQが導入したのでした。当時はベビーブームと高度成長期への胎動の下で医師不足で、とにかく医者を産めよ増やせよの時代だったの
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美容医療の神髄22-歴史的経緯第22話- ”口頭伝承話”その22
1年目の医局員としての生活は、まだまだ続きます。
こうして6月からの新人医局員生活も5ヶ月が過ぎる頃には、形成外科路は何かを、知性的ではなく感覚的には判る様になります。何を感じたかといいますと、第一に美しい医療をモットーとする。そして病気や怪我を治す機会ばかりですが、美しい仕上がりを生命、機能と同列に重要視する。そんな感覚が形成外科の姿勢として身に付きつつありました。
ところがこうして12月に入る頃には、4人入った新人医局員が徐々に出向病院に移動して行き、大学病院には私一人となってしまいました。そうなると、丁稚奉公はキツさを増します。朝の採血や注射は病棟40人分を、時には早朝6時前からこなし、回診やカンファレンスでの準備やカルテ運び等の肉体労働もこなします。今でいうブラック雇用み
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日本美容外科学会の第38回総会に参加して。−興味のあったトピックスⅡ−
日本美容外科学会での話題の続きです。私達が力を入れている眼瞼のセッション。2回目は眼瞼下垂手術のお直しの議論です。私共のテーマです。このブログでも、池田先生のブログでも、ホームページでも多くの部分を占めていますよね。
それどころか、私達形成外科出身の美容外科医に取っては、まぶたの治療は得意分野の筈です。その為には現下の医療的水準を保つ為に、学会で勉強し続けていくことが必要です。というか、そうすることがビジネスに染まらない美容形成外科医の、医師としての矜持。チェーン店の美容整形屋とは違う点です。
私は、28年前に医師になってすぐに、日本形成外科学会と日本美容学会に加入しました。私の父は美容整形医として、外人顔を目指して重瞼術を沢山していましたから、私にとっても眼瞼が一番興味がある分
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日本美容外科学会の第38回総会に参加して。−興味のあったトピックスⅠ−
9月22日火曜日と9月23日水曜日は日本美容外科学会の第38回総会が開催されました。ここでの為になった話題をピックップします。と言っても、やっぱり眼瞼ですか?。と辟易されるかもしれません。
他の分野も聴講したかったのですが、学会のプログラムがそうはいかないのです。学会は予めプログラムと抄録が配布されますが、三列の配列で、見たいものが重なるため、偏ってみることになってしまいます。鼻やリフト等は聴講できませんでした。
眼瞼のうち;目頭切開、眼瞼下垂、下眼瞼のシンポジウムをじっくり見ました。そこでまず、ブログを書く前に、もう一度前抄録を読み返してみました。
その前に学会とは何をするところかを説明します。まず学会とは、学術的提示と議論の場所です。ある学術分野の世界的な知識を持った有
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