大森派=大学形成外科出身の美容外科開業医と、十仁派=美容整形時代からの開業医は相容れない出自を持っていましたが、美容整形か整容外科か形成外科からか、いずれにしても標榜後美容外科医となった訳で、同業者です。実は交流は以前からあったのですが、開業医同士でも一部で親交がありました。特に、単独開業医が広告戦略&多店舗展開のチェーン店系に押され始めて来たから、個人開業医が集まりだしたのです。それが現存する臨形です。今回はその話から入ります。
その前にもう一度、学会等の関係性とその経緯の整理をしておきます。
日本でも、戦前から美容目的の治療をしていた医師はわずかに存在しました。十仁病院は男性部門を主に診療していました。大学病院の医師の中で、眼科で重瞼術。耳鼻科で隆鼻術をしていた記録はあります
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お勉強に励んでいます。−医者は一生勉強です。−Ⅲ
これまで2回、お勉強シリーズを書いてきましたが、シリーズ化してきました。そこで、表題を「お勉強に励んでいます。」として続けます。前回本邦の腱膜性眼瞼下垂の初出論文の紹介をしましたが、内容を説明しなかったので、再掲します。
Ann Plast Surg. 2001 Jan;46(1):29-35.
Etiology and pathogenesis of aponeurotic blepharoptosis.
Fujiwara T1, Matsuo K, Kondoh S, Yuzuriha S.
Author information
1Department of Plastic and Reconstructive Surgery, Shinshu University S
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お勉強に励んでみました。−医者は一生勉強です。−Ⅱ
前回から、お勉強シリーズを始めてみました。長編となってしまい、とても読めないと思います。いいんです。英語文のところは無視して頂き、要約を読んでいただければ、言いたいことは伝わる筈です。というか、私としてはこういう勉強を日夜しているのですよ!。ということを知っていただきたかっただけです。
前回は、4編の論文を載せました。一応繋がりのある内容で、ハードコンタクトレンズの長期装用が眼瞼下垂症原因となる。ソフトコンタクトレンズでも起きる。組織検査では筋のダメージが見られる。腱膜性眼瞼下垂症の診断と同じである。との論文の説明を致しました。
そこで今回はさらにたどってみました。私達眼瞼の治療に邁進する美容形成外科医にとって、一丁目一番地ともいうべき、後天性腱膜性眼瞼下垂症の論文です。
Arch
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お勉強に励んでみました。−医者は一生勉強です。−Ⅰ
生涯一美容外科医を目指している私としましては今更ですが、「医師は一生勉強しなくてはいけない。」との父の言葉を思い出しました。そもそも、医師の師と言う字は、教師の師です。士はさむらい=悪と闘う武士ですが、師は人に優しい先生=先導師ですから、常に先端の科学的知識を得て、先端の技術を見いだす務めがあり、国家そして人類に貢献しなければならないと考えます。
いきなりまた、大上段に振りかぶって来たなと云われそうですが、たまたま思いついてブログのテーマにしてみたのです。と言うのも実は、銀座院で若い美容形成外科医と一緒に診療しているのですが、私は手術中にも前後にも診察中にも、彼らから質問を受けます。そこで、答えようとしても、その根拠が軽薄ではいけないので、念のため学術的な知識を調べる機会が多くなったの
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形成外科、美容外科、美容皮膚科、美容整形 などの科目名称って何を意味するのでしょう。Ⅹ=美容医療の各科目6=
美容医療の科目名の説明をしてきて、前回やっと美容外科の説明を始めたつもりが、あらぬ方向になりました。再開致します。
美容外科と美容整形は、ほぼ同じ分野をカバーしますが、全く異なります。美容外科は標榜科目ですが、現在では美容整形は違法名称です。広告や番組で名乗ったら違法です。でも分野的には、昭和53年を境に、美容整形から美容外科へと、連続性をもって進歩してきました。敢えて言うと美容外科は形成外科出身の医師が標榜することに躊躇しない名称となりました。その結果マーケットが広がると同時に、参入医師も増加した経緯があります。逆に言うと、本邦では近年に美容外科ができたと思っている国民が多いのは、そのためでしょう。バカいうなよ,私の父は昭和36年に銀座整形を始めたし,十仁病院は戦前からあるぜ!。
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