最近切開法の掲載症例が頻繁でしたが、今回の症例はこれまでにも切開術の症例提示をさせて頂き、その後微調整を繰り返して来た患者さんです。
皆さんにはこんなに頻回に繰り返してもいいのかと、疑問を呈されるかも知れません。問題ありません。
過日他院で埋没法が行われた後に物足りなくて、当院で切開法を敢行しました。開瞼の向上という結果は出ましたが、左右の微妙な開瞼の差と瞼縁のカーブという形態と機能の問題。前頭筋収縮の非対称、影響して重瞼の非対称が無いとは言いません。
その意味で見える問題を、形態と機能の両面からの修正点を患者さんから指摘されて否定はできません。素直に認めて、でもサービスを込めて修正してきました。今回も見える修正点を埋没法で左右1本ずつ、黒目整形を加えてみました。
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カテゴリー別アーカイブ: 医学博士
眼瞼下垂症切開手術と眼頭切開(拘縮解除術)で黒目整形の一種の1.5か月後。=キレイね!=
当院の売り!、黒目整形が大流行となっています。しかし適応は限られます。戻りもあり得ます。もう一つ黒目そのものを大きくするのではないのに、考え違いしている患者さんがいらっしゃるので説明が大変なのです。
こうなれば、定着する切開法も黒目整形の一種だと主張し、さらに眼頭切開=蒙古襞の拘縮解除術=Z-形成法も黒目整形の一種だとしてしまおうと考え、提示症例とさせていただいています。しかし、症例提示が続いたら、来院症例もひっきりなしです。一時よりは落ち着きましたが、症例の経過を経時的に追っていくのが私の務めですから、まだまだ終わりません。通例3ヶ月までは提示していきます。
症例は31歳、女性。チェーン店系でこれまでに3回埋没法を受けたが戻ってしまう。保険で切開をすすめられたがチェーン店系では
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眼頭切開=蒙古襞による拘縮解除術=Z-形成法は黒目整形の一部で、切開法による眼瞼下垂手術も黒目整形の一種です。現在経過中ですがお悦び
毎週あるので、ブログにまとめるのに混乱しています。みなさんの参考になると考えているからです。実際これを見て参考にして来院されます。そうした患者さんはかなり理解されています。何故なら、私は包み隠さずに経過を載せているのでからでもあり、また、症例はした方がいいことをしているから、確実に改善が見られるからです。
日本人の半分は一重瞼なので、当たり前になっていて知らないだけです。結果国民の平均的の知的レベルが上がってこない原因になっています。同時に国民の民度や国力の低下に繫がっていると考えられます。だって、総理も一重だし。東アジアの一重瞼遺伝子を持つ民族のうち、朝鮮人は80%以上が一重瞼の筈なのに(遺伝子検査で確認されています。)今や二重まぶたが当たり前です。当然多くの人が重瞼術を受けているか
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美容医療の神髄50-歴史的経緯第50話- ”口頭伝承”:父は美容整形屋、私は形成外科・美容外科医。自分史話へ”その26”
私の9〜10年次。平成8年、1996年までの話しは、残りのカナクリとのハードな折衝まで紹介します。尚ここもS前教授が引き攣れていきます。
その後は11年次、平成9年に茅ヶ崎徳洲会総合病院形成外科・美容外科部長を務め、翌年平成12年に、遂に銀座美容外科に常勤として一年だけ務める事になります。
カナクリの院長は、北里大学卒業で小児科に入局したのですが、数年で辞めて川崎の堀之内に開業しました。知る人ぞ知る、ソープ街ですね。もちろん性器科と男物が対象です。場所柄かなり儲ったようで、その後同様に自費治療の美容外科に進出しようと考え、十仁のベテランの副院長を引き抜いて指導を受けた後、渋谷に開設しました。直ちに広告戦略と、全国展開に乗り出し、その頃は支店数一位を誇り、売り上げも絶好調でした。
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美容医療の神髄49-歴史的経緯第49話- ”口頭伝承”:父は美容整形屋、私は形成外科・美容外科医。自分史話へ”その25”
前回はコムロでのバイトの話で終始してしまいました。9~10年目の北里研究所病院に出向している間には他にも話題が尽きません。今回はその続きから。
9、10年目は北里研究所病院に出向していました。コムロでのバイトの他にも多くのクリニックの門を叩きましたが、長続きしたところはありませんでした。面白く無かったからでもありますが、ギャラ面でも満足でなかったからです。コムロは他と比べてペイが2/3程度でも診療が面白かったし、多くのいい医者に出会えた。でもこの年東京に住居を定めたのでローンが掛かり、収入が不足するから、もう一つのバイトにも行く事にしたのです。
それは実は北里研究所病院の方針です。本来医師は、病院に勤めたら専従するべきでしょう。前年まで奉職した徳洲会では、プロパーの医師=研修医と
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