前回からは永らく経っていました。このブログシリーズは歴史を書いているのですが、どうもこのところ自分史になり始めました。しかも最近モニター症例が多く、症例供覧の為にブログ記載が手一杯でしたから、歴史編を書く時間がなかったのです。
再開してA美容外科大分院の話しを続けます。 私が院長に就任したのが、平成14年4月。借金の契約をしたのが7月。10月にA美容外科グループのオーナー(要するに金主)であるKb.氏がグループの総帥であるA美容外科コンサルタント会社理事長Kd.氏を退場させました。各院は独立採算になりました。ストーリーは進みます。
その後の各院の診療は従来のまま続けられますが、それまでは医師が行き来していたのに、原則的に各院に常勤となります。美容外科クリニックは医師が居れば診療が
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カテゴリー別アーカイブ: 医療
美容医療の神髄-歴史秘話個人編-美容整形屋と美容形成外科医「番外編:美容外科医の家族は辛いよ!、現代編1」
美容外科医の家族は辛いよ!は、母が亡くなって追悼と供養の為に書いてみました。辛かっただろうと思います。そういえば追悼分に於いて私は、父へも母へも「敬愛する母」とか「尊敬する父」とかの称号を使いませんでした。別に父母に恨みを持っているの訳ではないのですが、感謝こそすれ、軽蔑と半々なので、この言葉は載せませんでした。
まとめるなら、父のことは大好きでした。でもいつも遊んでくれたのに、いなくなって寂しかったのです。そして私を医師、それも約束に従い美容形成外科医にしてくれたことには感謝しています。しかしその後はことあるごとに話し合い、一緒に仕事もしましたが、父子での仕事は楽しい半面と、医学的には呆れる半面が交錯していました。母とは長い間ともに居たので、空気みたいなものです。誰でもそうでしょう?
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白唇部短縮術と口角挙上術は定番ですが。
口周りの手術のブログ掲示が引き続いています。口周りの手術は最終兵器ですと申し上げてきましたが、考えが変わりました。患者さんに取って、口周りの手術が最終兵器なのではなくて、私が患者さんに取っての最終兵器として使われてきました。言ってみれば、私は駆け込み寺みたいな所です。そこでブログ提示症例だけでなく、口周りの手術症例を見直してみました。するとあるわあるわ。約半数の症例は予め他院で手術されていて、その目的は様々ですが、二次修正も兼ねての症例でした。いくつかの例を挙げますと、創跡の問題や、創跡の位置の問題。不適切な手術選択に対する適正な手術の要望。デザインミスに対する修正。不適切な医師に依る治療の結果の後戻り等々です。アッといけない。私の初療後に切除不足で追加手術した例もありました。その症例は満足
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美容医療の神髄-歴史秘話第106話-”口頭伝承”:美容整形屋と美容形成外科医”その81”「地方都市24:美容外科医は辛いよ!」
2002年、平成14年に私が医師となって16年目、A美容外科大分院院長としての1年目が半分進みました。その後しばらくは上手くやっていけました。そこからとんでもない事件が起こります。その時税務にも、経営責任にも問題が起き始めます。
A美容外科大分院は、その2年前にE大先生から美容外科コンサルタントのKd氏が譲り受けスタートして、私はバイトに行っていて、その年に院長として常勤しました。オーナーのKb.氏とは院長の届け出の際に初対面したくらいでしたが、その後は何回か会合を持ちました。またE先生時代からの大分院の従業員は、院と一緒に譲り受けてくれたKb.氏に対しては忠節を感じていましたし、コンサルタントのKd.氏は必要以上に売り上げから抜き取っていき消費していたので、従業員からはよく思われてい
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美容医療の神髄-歴史秘話個人編-美容整形屋と美容形成外科医「番外編:美容外科医の家族は辛いよ!10」
このブログのシリーズの題は、「美容外科医の家族は辛いよ!」ですが、要するに美容外科医である父と母の思い出を綴り、昨年7月に亡くなった母を追悼するためです。または生前の母のやるせない気持ちを私がここで吐き出して上げて、これでなかったことにする為です。いや、私がもう忘れてあげることで、母の家族と父への気持ちだけを遺してあげようという私のおせっかいです。
敢えて言えばここで吐き出したことは個人情報で、明かして欲しくない話しが満載です。ですが、だから、私は今や母の追悼の為にここに書き連ねてきました。最終話は母と父の紹介です。
母は埼玉県川越市出身ですが、産まれは東京都四谷区です。現在の川越市に豪農の関根家という家がありましたが、そこの次男である祖父が東京に出て財を成した際に産まれました。
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