1996年=平成8年=私が10年生(北里研究所病院に出向2年目)に父は日本美容医療協会の理事選に立候補をすることにしました。JSAS側の重鎮として、JSAPSが主導して作った公益法人にも足場を置く事で合併の方向性を後押ししようという決意です。その方法から書きます。
そもそも、私が非形成外科の美容整形外科医(父は好んで自称していました。)の父の下で美容外科医を目指していたのに、当時既に増え始めていたチェーン店系に就職しないで、北里大学形成外科に入局し、同時進行で父の下で父と共に美容医療を研鑽して来たので、二股になるのが当然でした。父はJSASでの立場は重鎮として確立していたので、次第にJSAPSにも頻繁に顔を出す様になったのです。
その際、私がそちら側にスタンスを置いているから、「
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カテゴリー別アーカイブ: 美容医学
鼻翼縮小術の症例も続いてます。術後2週間で戻ったので、糸を追加しました。その2週間後。
このブログで鼻翼縮小術の症例を何例も提示しているだけでなく、数字的に計測し、正直に提示してきたからでしょう。また、寄せる手術方法と切り取る手術方法の適応選択についても何回か(口を酸っぱくさせて)説明してきたからでもありましょう。鼻翼縮小術の症例が増加中で画像提示の許諾を頂ける患者さんが、多くいらっしゃいます。症例は多いほど皆さんの参考になりますから、大変ありがたいことです。
症例は25歳、女性。鼻翼最大幅35mm。内眼角間距離32.5mm。7年前に他院で、鼻翼を外から切除する手術を受けている。ですから、鼻翼が丸く張り出してはいないのですが、幅は小さくなっていないとのこと。取りすぎてはいないようで、ペチャンコなウサギ鼻にはなっていないのは幸いでした。さらに傷跡が結構目立つのが気になるとの
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眼頭切開が評判です。当院独自のZ-形成法による蒙古襞解除術はこのような症例にも使えます。-6週間後の経過‐
立て続けに当院の売りであるZ−形成法による目頭切開=蒙古襞の拘縮解除術をご紹介してきました。いかに素晴らしい結果かは画像が教えてくれます。 先ずは術前=3年前に他院でズレたW−形成法での目頭切開術を受けられています。ゼーンゼン数字が伴っていませんし、挙がっていません。 拡大像をお示しします。 術直後です。 近接像です。 内眼角間距離は計算通りに36㎜となりました。画像上ではいい感じのサイズに変化が見て取れます。内眼角間距離は一つの数字的な目安に過ぎませんが、目安なしにはデザイン出来ません。数字的に言えば、理想のサイズである右眼裂横径:内眼角間距離:左眼裂横径=30:30:30㎜の人はアジア人では滅多にいません。これまでに2人見た事があるだけです。ちなみに私は28.5:31:28.5ですが
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黒目整形=切らない眼瞼下垂手術=NILT法は、後天性瞼膜性眼瞼下垂にも効きます。
本症例は何をしたいか一目瞭然ですが、Laterallity:片側差=左右差が明瞭で、しかも動的形態にもLaterallity があり、完全な対称性を作り上げられなかった、いや難しい症例です。
症例は47歳、女性。右有位に眼瞼下垂、くぼみ目、左右とものくぼみ目で左も眼瞼下垂です。とにかく画像を提示します。
上記画像は術前左が術前、右が術直後です。
まあ手術による改善の結果は判り易いと思いますが、Laterally は残りました。1、くぼみ目は左は消失したのに右は軽快したとはいえ残っています。2、開瞼は左右差が減りましたが、さすがにまだ、左の方が大きいです。3、開瞼の左右差の残存により、右の前頭筋収縮(眉毛を挙げる)反射が残存している。4、重瞼が揃わなかったのは前頭筋収
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視界不良で可哀そう!、だったのがいつもの眼頭切開=蒙古襞による拘縮解除術と、眼瞼下垂切開手術で人生変わったよ!
今回の症例は17歳、女性。典型的なPuffy eyeです。開瞼不良という機能障害が見られるわけですから、だから可哀そうなのです。もちろん症例の患者さんは、幼少期から開瞼不良というか目が小さいのは自覚(もちろん他覚的にも)していた。挙筋機能は12mmとやや低下。フェニレフリンテストでは、開瞼の強化が見られない。眼裂横径:24mm、内眼角間距離38mmで蒙古襞が目頭を隠し、内側の白目の面積が外側の白目の半分しか見えない。いつものやつ!。一辺4mmのZ-形成術による眼頭切開を蒙古襞による拘縮解除術 を兼ねて施行し、眼瞼下垂症については、重瞼術が必須で脂肪を除去するおよび、挙筋を強化するLT法を追加しました。Puffy eyeの原因である眼窩脂肪は焼灼によって減量しました。術前術直後の画像を比較すれ
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