2014 . 2 . 7

美容医療は文化文明の利器。ならば、その指標は?。

今回美容医療のゴールである、可愛い、綺麗、美しい、格好いい等の目標を説明しましょう。これは文化人類学の話しですかね。 この話になるとまず書きたくなるのが、性別=ジェンダーと進化=知性、理性Vs.原始的野生 の2軸による分類です。縦軸と横軸で象限を作ります。

人間的進化=知性理性、理知的

A     ↑    B

男性的←-----→女性的

C     ↓               D

野性、野蛮性=動物的、原始的

この様な表を作ってみて論じます。これは亡き父、森川昭彦が銀座美容外科に説明用に掲げていた表でした。よく「原始と貧困と野蛮は美容の敵だよ。」とか、吠えていました。 しかしやはり、文明文化の利器である美容医療を患者さんと考える。医療者間で論じる際にもこんな分類は役立つ尺度なのではないでしょうか?。 そこで、表の分類です。

人間的進化=知性理性、理知的

A     ↑    B

男性的←-----→女性的

C     ↓               D

野性、野蛮性=動物的、原始的

4象限をどんなイメージしますか?。 まずB:理知的な女性というと冷たく聞こえますが、少なくとも野蛮だったり、下品でないという意味なら、これは美人の典型でもあります。昨今街中で見かけるような、顰蹙を買うような行動を見せないという意味でもありますし、逆に、人前では美しく振舞いたいと考えながら、行動するという女性(ヒト)。そう、思考回路が美しいということです。こういうヒトは理知的という以外にないでしょう。 次にA:あくまでも女性を対象とした考察なら、ここはGIDになってしまいますが、Aに近いBというなら、ボーイッシュなまたはマニッシュな美人というのはあり得ます。この場合でも、理知的に美しく行動している人は、美しいものです。例えば、スポーツ選手などでは男性的身体でありながら、美しい女性は多く見られますよね。スポーツは考えて行動しなければ、能力向上しませんから、その姿が美しいのは言うまでもありません。さらに振る舞いが美しければプラスされますし、装いが援助できるからです。これは知性がそうさせるからですよね。もちろん、私達も装いの延長として、美容医療を使ってもらえます。

下方の2象限は評価が難しい部分です。C:女性がここにいれば、怖い存在になってしましますし、ジェンダーとしてはGIDでなければ、生きていけないはずです。少なくとも、男性的で野性的な女性は、母性は持ちえないわけで、一般の男性から見ての異性対象とはならないので、ここでの評価対象にはなりえません。但し方向性として、この象限に近い女性は存在します。ジェンダーとして、女性的に振舞わず、暴力的な行動性を発揮しているようなメスを、街中でも少なからず見かけるでしょう。もっとも可愛くない、美しくない女性像ですね。D:この象限は評価が分かれると思います。女性的で、野性的なヒトは、可愛いかもしれないが、品性にかけるかもしれない。小児はまだ成長していないから、少女時代は誰でもDにいます。少女は可愛い。だから、Dにいる女性は可愛いともいえます。野性的という特性は何かというと、本能的ともいえる訳で、食う、寝る、ヤルの本能的行動に秀でている。または理性知性で抑制できないという意味です。ちょっとアブナイヒトですよね。可愛くて女性としての魅力はあるけれど、人間としては怖い。そんなヒト周りにいますよね。

人の形態は外面的な社会的機能ですが、それは静的、つまり動かない像だけでなく、動的、生きて動いている像によっても成り立っています。そして、動きは、表情だけでなく、言葉としても表出される言動も含まれ、考えてみれば、これは内面的な精神性や、知性理性が作り出すものです。つまり、上に表したような尺度が、人のキャラクターを表現する言葉の中に内包されていると考えられます。ところで、キャラクターとは性質、性格という意味でしょうが、もっと広くタレント性とも言いましょう。特性、特質のことです。決してテレビに出る人だけを言うのではありません。いいも悪いも、可愛いも、怖いもタレント性です。

そのように考えながら、先に挙げたような言葉を4象限に落とし込んでみると、美の表現法が多岐に渉るのが判りますが、それは方向性に差があるためであることも判ります。

例えば「可愛い。」は、まず男性から見て、異性としての女性が好ましいということですから、BかDアリアで、もうひとつ「可愛い。」には子供っぽさも含まれるので、理知的でないDでもよく、かといって怖くては可愛くないので、私はたいていBかDの間の意味で使っています。

「綺麗」は、間違いなくBの軸方向を示すと思います。装うことも、振舞うことも理知的に計算された美です。そして、美しく生きる女性がここに居ます。

「美しい。」という言葉も、「きれい。」を含む場合が多いのですが、ここで、言動が美しいのは性別を問わないので、上方向だけつまり、AとB象限をイメージしている場合もあります。女性を論じる場合には、B寄りにイメージします。

「格好いい。」は、おもに男性に対して使うことばですが、女性に対して使うこともあっていいと思います。仕事や生活を格好よくこなしている女性っていますよね。その言動が理知的であれば、より「格好いい。」時にはボーイッシュだったりしても、「格好いい。」ヒトはそれでいいものです。また、身体が「格好いい。」と、それはそれで「美しい。」ものです。方向性としては、A方向でもいいですが、女性ならあくまでもAとB方向の中間をイメージして使う言葉でしょう。

他にもたくさんの表現法があるとは思います。今回のこの話は、文化芸術としての美容医療の目指す方向性をどこに置くかです。個々の患者さんが目指す方向性を捉えるのに、言葉で表しつつイメージを作りながら、治療法や治療の程度を選択していくために、診察していく際の材料とするためです。例えば、絵を描く、音楽を作る際にも、何を表現するかはイメージしているそうですし、それと同じく美容医療でも予めイメージを作りながら施行するものだと思います。それが芸術というものの本質です。

実際にも、多くの場合に患者さんに方向性を問うようにしています。「可愛い。」のがいい?。「キレー。」なのがいい?。身体の治療では「格好よく。」しましょうよ?、とか。患者側から「可愛くしてぇー。」とか頼まれれば、解りやすいですし。こちら側が「綺麗な方ですね。」「だから、ここにちょっと手を付けると抜群でしょう。」といいながら、イメージを膨らませていく方法もあります。

但し、美容医療者の側からいうと、こんなにイメージを広げていきながら対応するためには、それだけ多くのレパートリーをそろえる必要があります。それには経験です。しかも、それぞれの患者さんに似合う治療を探し出す、丁寧な診察によって積み上げていく経験です。そうして、私達は頭の中の引き出しに貯め込んできました。

実は、そんじょそこらの、チェーン店式クリニックでは、カウンセリングを医者がほとんどしません。だから医者はカウンセラーのいいなりにしたがって手を動かすだけだそうです。その結果患者さんの描くイメージと違う結果になるケースが多いのです。

私達はよくイメージを捉えて、患者さんに似合う選択肢を探すようにしています。だから、みなさん診療後はニコニコして帰られます。その時は、私達もうれしい限りです。

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