2014 . 3 . 21

重瞼術切開法は永久的か?。眼瞼下垂手術を併施すべきか?。目頭切開の必要性は?。そのⅡ

さて前回のお題で三つの提議をしましたが、回答を書き連ねます。

第一題として、 「重瞼術の切開法は永久的か?」と聴かれれば、「そうあるべきです。」と答えます。重瞼術とは、挙筋と皮膚または眼輪筋最浅層を連絡し、開瞼力を眼瞼浅葉に伝達する構造を作ることです。私の2000年の博士論文に記載して、USAのAesthetic Plastic Surgery略してAPS,訳すと美容形成外科に投稿した世界で認められている説ですから、間違いありませんよ。英語ではTransmissionと表現しました。そう自動車のエンジンの力を車輪に伝える装置ですよね。同様に挙筋の開瞼力を皮膚に伝える装置=生物ですから構造と言っておきます。これがあるかないかが、二重瞼と一重瞼の間の変異だと論文で述べました。

タイム;昨今論文の信憑性が、問題になる事がありますが、14年前の論文が正しくなければ、既に反証が提議されている筈なのですが、全くそのような連絡はありませんので、認められているという事になります。

話は戻って、埋没法では糸を内蔵して挙筋と皮膚をつなぎ伝達させます。でも、糸が抜けてきてしまうことがあり、戻ることがあります。切開すると、皮膚から挙筋までの各層を剥離していきますから、治るときにここに瘢痕が出来ます。創をくっつけるためのしっかりしたコラーゲンです。二重瞼の人の挙筋と皮膚の間にはしっかりしたコラーゲンの枝があるから伝達できるのですが、これと同じ構造を作れるのです。瘢痕は永久に残存するはずですから、永久となるはずなのです。しかし、時に戻ります。詳しいメカニズムは省きますが、テクニカルな問題です。きつすぎず、緩まないように縫うのには経験とテクニックを要するのです。昔の芸能人みたいに、きつい二重を作るのは簡単です。(父が作った症例が典型的です。)目を閉じても二重の線がくっきりと入っている結果です。もちろんこうすれば絶対に戻りません。私はそれが嫌なので、優しい重瞼術切開法を心がけています。傷跡は目を閉じても判らないくらいですし、異常感は全くありません。でも稀に戻ります。ですから、「切開法での重瞼術では、永久である”べき”だ。」と言うことにしています。何度も言いますが、重瞼術は切開法でも、埋没法でも結果に異常感は生じません。

よく「不自然なのはいやです。」という患者さんがいます。人(医者)が手を入れたのですから、自然物としての人でなく工作物には違いないのですが、自然に存在することがある形に作れば異常感は生じません。もともとそういう顔なんだと思われるだけです。私はそういう手術をするように、心掛けています。さらに言えば、人間は自然界に生きる生物で、自然界に存在する人の為す行為は自然の摂理に従っている。つまりこの世を作った神の思し召しに沿っている自然界での結果なのですから、不自然ではあり得ません。不自然という言葉は、あり得へんという意味なら判ります。「こんな顔は日本人にはあり得へん!」という結果は、昔の手術結果。または現代でも下手、またはセンス無しの美容整形屋。または細かく手術するのは面倒だから、適当にするビジネス的美容外科医の施行によると起こりえます。だから、彼らは切開法を避けますし、しない方が患者の為です。私はそのような点で、切開法でもいい結果をもたらす自信があります。

第二題として、重瞼術切開法に眼瞼下垂手術を併施することが多いのは?。もちろん一重瞼の症例では眼瞼下垂を伴うことが多いからですが、眼瞼下垂の程度によります。先天性に、重症から中等症ではそちらを優先的に治さなくてはなりません。挙筋滑動距離(挙筋筋力と言っていた=Levator Function:LFの意訳で誤訳)が、10mmを下回るようなケースです。この場合いかに開ける様にするかを重視します。瞼縁が挙がるようになったら、皮膚がそれより上がらなくては意味がないので、重瞼術を加える必要があるということです。また、加齢により腱膜性眼瞼下垂を生じた場合は、皮膚弛緩(伸展)が必ず伴うので切除を要します。(眉下でも切除できますが・・。)問題は、一重瞼という先天性の皮膚性眼瞼下垂には挙筋力の低下を伴うことが多い(ほとんど全例です。)のですが、この場合は重瞼術をして皮膚を挙げると、瞼縁が見えるようになり、開瞼が低いのが露見されるようになるということです。ですから、重瞼術には、挙筋前転術を併施することが求められます。逆に挙筋を強化しても、皮膚が被さっているままだと意味がないので、眼瞼下垂手術には、重瞼術を併施するべきなのです。時折り、一重瞼のままで眼瞼下垂手術を希望する患者さんが居たり、他院でそのような手術を受けられた患者さんを拝見したこともありますが、切開線は瞼縁から離れていないとできないので(挙筋の先端は瞼縁より最低6mmは上にあるため)切開線が見えてしまいます。そういう意味でも、眼瞼下垂症手術には、重瞼術を併施するのが、常識でしょう。いつも言う格言「良好な機能は、良好な形態に宿る。」の典型ですよね。

第三題の眼頭切開の必要性ですが、上に述べたように、寄り目解消のためにも、眼瞼下垂症の治療としても、二重をいい形にするためにも併施が好ましいと思います。何度も言いますが、蒙古襞の被さりの程度は一重瞼の人の平均と、二重瞼の平均では差があります。内眼角間距離にして、36mm:33mmの差があります。つまり蒙古襞が、両側で3mm程度の差があります。それはそうです。一重瞼の遺伝子と、蒙古襞の遺伝子は座が近く、同時に遺伝すると考えられています。また、蒙古襞はその名の通り、約2年前にモンゴル付近で産まれた多形遺伝子ですが、一重瞼もそうです。蒙古襞は、一重瞼が目頭側に延長した構造と考えられ、同時に発生した多形遺伝子だと考えられます。

原因は当時のこの地方の寒冷対応による淘汰だといわれています。いずれにしても、寒冷対応としての、眼を守るための構造ですから、目の窓が小さい方が有利だったのでしょう。だったというのは、その後氷河期を終えても、残念ながらその多形遺伝子は蔓延していたからです。本来目の窓が大きい方が視界が広いのですから、人間としての能力は高くなります。視界が広い、それも両眼視出来る視界が広いという事は、人間の様な身体能力の優位でない動物に取っては、大きくて強い他種に勝てる武器になります。探敵する。標的(食物)を補足する。同種での戦闘でも同様です。ましてや、人間社会の文化文明に於いては、視能力は欠かせない道具です。東アジア人は農耕民族だから、広い視野や遠近感は必要としなかったのでしょう。だから実は、戦争にも強くないのではないでしょうか?。中国人も同様なのでお互い戦闘行動をすると失敗しますよ。朝鮮もです。

だから、欧米人は能力が高く、東アジア人は能力が高くない。なんてほざくと、日本人は世界に誇る民族だと自負している(あまり能力の高くないが..。)お偉いさんに怒られそうですが、科学的な事実と言えますよね。ついでに言うと、東アジア人とは、中国、南北朝鮮、日本、モンゴルを代表としますが、中央アジアにもモンゴル系が分布しています。東アジア人は、独特の文化文明を育んできました。科学的、哲学的、文学的な能力は、特有のハイレベルだと思います。これらには、視能力が影響しないからです。東アジア人は、そうした力を伸ばせばいいのではないでしょうかね?。

話が有らぬ方向に進んでしまいました。目の窓は縦横のバランス、前葉と後葉の協調が作り上げますから、上に記した論議がなければ、本当の医療とは言えません。ご理解いただけると幸いです。

この点のうち横径を反芻します。前回の術前写真でご覧いただける様に、眼球の位置は離れていないのに目頭に蒙古襞の皮膚が被さっていて眼の内側が隠れているために、相対的に目が内側に寄ったように、つまり寄り目に見えています。たまに患者さんに「目頭切開したら、目が寄ってしましませんか?。」と聴かれますが、逆です。

数字的に説明しますと、角膜中心間距離は平均60㎜です。純粋な白人では、内眼角間距離は30㎜、眼裂横径も30㎜です。つまり、眼球の中心が窓の中心にあります。東アジア人でも眼球の位置は同じです。内眼角間距離は平均34㎜で、眼裂横径は、平均26.5㎜です。つまり目の窓が離れていて、眼の位置は変わらないので、眼の球が内側に位置しているために寄り目に見えます。

ところで、東アジア人でも、小児期はもっと蒙古襞が強いです。もちろん顔も小さいので、眼球の位置も寄っています。だから、子供はより寄り目に見えます。成長に伴って、蒙古襞が解消していく人と、そうでない人がいて、だから、もうこひだが強く、目が寄って見えると大人でも子供っぽく感じられます。こどもっぽいのは、可愛いとも言えますが、難しい観点ですよね。

私の次男は、私に似ているのですが、子供の時は蒙古襞が今より強く、寄り目っぽくて可愛かったです(自分の子だから当たり前か!)。今はもう20歳で、蒙古襞が解消しているため、私よりも大きな目となっていて、睨まれると目力に圧倒されます。

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