2015 . 10 . 22

美容医療の神髄24-歴史的経緯第24話- ”口頭伝承から、自分史話へ”その1

考えてみたら、前々回位から自分史がウエイトを占めていますが、6年間の研修時代は美容外科診療のウエイトが少ないのでそうなっています。その後6年目からまた、増えてきます。その前後にも、いくつかのトピックスがあります。1993年の日本美容医療協会の発足。対抗して、日本美容医師会の発足と、私のJSASへの加入。父が開催したJSAS 等々・・。

その前に北里大学形成外科医局での研修医時代を思い出して、もう一度プログラムを説明するところに戻ります。

その前に医局とは何かといいますと、要するに各科の集団ですが、大学病院の医局の責務としては教育、臨床、研究の三本立てがあります。ただしその結果、医局は第一に人事権を持っています。通常雇用者というのは、会社ですし、病院という法人ですよね。確かに病院は何年目の医師を各科に何人雇用するかの枠を決めています。でも各科医局には採用枠は無いので、年によって採用する人数にばらつきがあります。そして大学病院は教授会が運営するので、各科の教授が人事権を持っています。

こうして、大学病院内に何人かを配し、余剰人員は関連病院や、ローテーション科に配して人数合わせをします。関連病院とは医局から医師を派遣する病院です。口約束から始まり、研究費という上納金を収納したり、臨床研修補助金を病院に出したりします。医局に取っては研修場所を提供して貰えるし、関連病院は医師を派遣してもらえるということで、ギブ&テイクの関係です。6年間の研修医年代は卒後教育を受けるのが仕事ですが、臨床診療の一部を担います。2年目からは下級生を教えることも仕事の一つとなります。臨床研究は、学会発表等を少しずつ覚えますが、基礎研究に触れる時間はわずかしかありません。

医局という施設があるのかというと、若い医員は病棟のカンファレンスルームと外来のカンファレンスルームが居場所です。共有場所ですから、私物は置けません。図書館の横のたこ部屋に、デスクと本棚が宛てがわれますから、教科書や学会誌や書類等はそこに置いておきます。7年生からは数人の部屋が宛てがわれます。ですから手術の勉強等も、上級生から新人までが一緒にいて、職人の徒弟制度みたいに教えてもらうというか、仕込まれて覚えていくのです。

北里大学形成外科の研修コースは、学会の認定医制度に沿っているのですが、6年間で大学病院や関連病院での形成外科研修が2年程度。他に、関連病院での一般外科ローテーション半年〜1年、整形外科ローテーション半年〜1年、大学病院での麻酔科ローテーション3〜6ヶ月、救命救急センターの形成外科部門に半年〜1年というのが基本的コースです。6年目はチーフレジデントをつとめることになっています。

また新しい用語がでてきました。レジデントとは、常勤医と訳せます。昔はインターンといったかも知れませんが、欧米でのレジデントとは違います。現在では臨床研修制度でⅠ〜2年生が前期研修医が義務化されています。3〜4年生を後期研修ということもありますが、任意です。北里のレジデント制は、当時では、Ⅰ〜2年目を研修医:ジュニアーレジデントと呼び、3〜4または5年目をシニアーレジデントと呼んでいました。6年目にチーフレジデントを務めます。7年目以上のスタッフの指導の下に、レジデントの教育をする、さらに診療のスケジュール管理も任せられるという仕事ですが、これをこなせないと実際に外関連病院での診療のトップを務められない訳です。

私のローテーションを思い出します。ジュニアーレジデントとして、昭和62年6〜11月が大学病院形成外科病棟、12月〜昭和63年2月が麻酔科、3月〜5月が形成外科病棟。2年次は一般外科ローテーションを東京の日比谷病院で6月〜平成元年5月。3年次のシニアーレジデントとしては、整形外科ローテーションを北九州の産業医科大学で平成元年6月〜2年5月。4年次は熊本の西日本病院で1年間、形成外科医をローテーションしました。実は平成元年に結婚したのですが、彼女が鹿児島出身だったので、九州に出向する希望でもあったのです。当地で長男も授かりました。5年次はもう一年シニアーレジデントとして、平成3年6月〜10月は北里大学形成外科で、11月〜平成7年3月は救命救急センター形成外科で多くの手術を経験しました。6年次のチーフレジデントは横浜南共済病院で平成7年4月〜1年間務め、日本形成外科学会認定専門医に申請する手術症例を積み重ねました。以上がレジデントコースでした。

この間の経験は、私をひとつひとつスキルアップさせてくれました。医師はこのくらいの下積み経験が無ければ、一人前にはならないということです。最低限6年間の研修で、一通りの症例経験を得る、その度に勉強する、医療を司る為の社会性を身に付ける。こういった医師としてのレベル獲得には、医局での研修が研修が欠かせないと思います。とてもじゃあないが、新人から美容外科に就職したり、他科から転科したのでは得られない医療水準だと思います。

ここで、時系列に戻って、1年目から6年目の医療の話をかいつまんでいきたいと思います。同時期に美容医療と、また父とどう関わったかも再現していきたいと思います。具体的には、2年目は近くに居て、3〜4年目は遠く、5〜6年目は遠くないのに私が忙しくて、定期的に関われなかったのです。実際には7年目から美容外科診療に復帰していきます。

長くなりましたので、次回から。