2016 . 2 . 18

美容医療の神髄38-歴史的経緯第38話- ”口頭伝承”:父は美容整形医、父と私は美容外科医、私は形成外科医。自分史話へ”その15”

茅ヶ崎徳洲会総合病院には、7年次と8年次に出向し赴任していまいた。北里大学形成外科医局で研修医相当=レジデントを6年間修め曲がりなりにも形成外科医として独り立ちしたばかりの年数ですが、一人で形成外科診療をすることになりました。そこでまた、標題の様な立場になります。

そこで、もう一度向き直ってみると、診療、教育、研究の三位一体の務めを納めなければならない中で、それぞれに仕事を見い出しました。

産まれ持った本能か?また育ちから性格か?、とにかく診療には張り切る性分です。私は、医師になりたくてなったのですが、医師といっても父の後を継いで美容外科医になりたかったのが気持ちの中で大半です。ところが、形成外科を6年間研修してきたら美容外科より形成外科診療が面白くなったのです。ここでもう一度強弁しますが、美容外科と形成外科は技術や知識はかなりオーバーラップしますが目的が違い、そしてそれぞれが標榜科目です。ですから診療の対象が違います。そしてどちらも、患者さんの希望に応じて診療します。ただし逆に、患者さんの希望と目的に応じて診療するという意味では似通っていて、それに私は、美容整形外科医の父から、よくそう教えられてきました。だから私は、美容外科医になるべく医師になったのですが、形成外科診療での姿勢を身に着けることで美容外科診療の勉強にもなるとも感じていたし、自分で言うのも恥ずかしいのですが、形成外科にも向いているとも考え始めていたのです。もう一つ、性格が影響してます。私は、幼少時からちやほやされたので、認められると頑張る傾向があります。病院で周りに認められるために、診療実績を出すべく頑張ってしまいたくなったのもそのためでしょう。その結果7年目に茅ヶ崎徳洲会総合病院の一人医長に出向するや否や、形成外科診療にまい進する気になったのです。後段で、市中病院での形成外科診療のさわりを紹介します。

教育には卒前教育と卒後教育がありますが、卒前教育は大学に勤める医師の仕事で出向者は免除されます。卒後教育とは、6年生までのレジデントクラスを認定医が指導教育する事ですが、実はまだ、この時点では私は日本形成外科学会認定医ではありません。したがって、指導医となる資格は無いのです。レジデントとしての研修は最低6年間で、7年目に試験となります。認定して初めて指導医になり、さらに、学会認定施設の条件をクリアーしていないと(その時点では不足でした。)、研修医の受け入れはできません。つまり診療面も頑張りながら、認定も受ける為には時間を要するのです。頑張った甲斐があり、7年次の冬には学会認定医資格を得て、症例数もクリアーして、私の8年次=茅ヶ崎徳洲会病院出向2年目には、学会から教育関連施設に認定され、医局から一人の研修医を派遣してもらえる事になります。

研究は、さすがに近くて遠い相模原まで通えない為デュティーではないので、フリーです。さすがに徳洲会の様な市中病院には、研究施設は備えまられません。研究とは違いますが、学会において一人前の活動をする為には、認定医資格が肝要です。臨床研究発表をするにも、自分が意志を持って診療しなければいいものができません。ですから、7年次は認定医の合格を確実にするべく、症例集めと試験勉強に専念しました。臨床研究の一つとしては、5年次の北里大学救命救急センター経の出向時にもらったテーマである「救命救急センターでの顔面骨骨折の臨床統計」をまとめる事が出来、学会発表に到ります。翌年にもう一題「後天性耳垂裂のピアス孔を再建しながらの修復術法」も症例を集めて発表します。これは私のオリジナルで、日本美容外科学会での発表デビューでした。もう一つ、美容外科医療の勉強も研究の一つといえます。何故なら、大学病院では美容外科の勉強の機会さえも皆無に等しいからです。そこで私は定期的に(毎週1回の研究日の毎回ではありません。)銀座美容外科医院での、バイトを兼ねた研修をする事にしました。

診療は、教育の為の症例集めと、認定医申請の為の症例集めの同時進行です。認定施設の為の症例数でいえば、局所麻酔での手術200例と入院を要する全身麻酔等での手術100例が最低ラインだったと思います。ここから茅ヶ崎徳洲会総合病院形成外科での診療に於いての数字的な目標が生まれます。内容的には、認定医試験に於ける提示症例の条件は二種類あります。自分で手術した症例の簡単な病歴と経過の抄訳と手術術式の図示を50例。これはすぐ集まります。難易度の高い10症例の詳しい病歴は術前はもちろん、術後経過3ヶ月も要しますし、手術術式も含めて画像提示と図示も必要です。試験当日に口頭試験での説明を求められるから、細かく記憶していなければなりません。それまでの6年間と提出までの7年次前半までの症例が使用可能ですが、主に5、6年次と7年次に高度症例が集積します。当時の日本形成外科学会の認定医症例のカテゴリーは11区分で、そのうち最低8区分を入れる10症例が条件でした。

そこで、学会HPからカテゴリーを引用し、私の提出した10症例の説明をします。前々回提出症例の記録を見つけてブログに載せようと思ったのですが、紛失したので記憶の範囲で載せます。長くなるので一度手を止めて次回にします。