2014 . 5 . 22

美容医療の神髄Ⅺ-歴史的経緯第11話- ”口頭伝承話”その11

実は最近、ブログのキーワードを追加しました。JSAPSとJSASです。読者の皆さんはお判りだと思いますが、もう一度説明します。昭和53年までは、他科からの参入者である美容整形を標榜していた医師達は日本美容整形外科学会に参加していました。形成外科を研鑽しながら、美容的診療をしていた医師達は、日本整容形成外科研究会で美容を勉強していました。そして美容外科標榜が国会で決議されたとき、どちらの団体も日本美容外科学会に改称しました。

二つの略語を説明します。JSAPSはJapan Society of Aesthetic Plastic Surgery の頭文字です。日本語にすると、日本美容形成外科学会のはずです。JSASはJapan Society of Aesthetic Surgery の頭文字です。日本語にすると、日本美容外科学会です。しかしどちらもが、日本美容外科学会としてまずは任意団体として発足し、日本医学会への加入をしようとしました。その結果逆に、二つの同名の団体の加入は却下されました。日本医学会というのは、日本医師会の傘下で学術部門を統括する会で、厚生省は医療における水準をを反映する部署だと考えています。認定医は各学会が基準に沿って認定する最低水準をクリアーしたものだと捉えているようです。

私は、北里大学医学部を卒業し、北里大学形成外科医局に入ってから、即座に日本形成外科学会と日本美容外科学会(JSAPS)の会員となりました。JSAPSとJSASは反目していましたから、大学病院の形成外科に入局したら、JSASには入らないのですが、私の父は同名の二つの学会の会員だったので、ほどなく数年してJSASにも加入しました。

日本形成外科学会認定専門医は6年の最低年限研修後取得しました。日本美容外科学会(JSAPS)認定専門医は9年の最低年限研修後取得しました。実は、JSASの専門医もその頃取得基準に達したのですが、二つあってもしょうがないのでそのままにしていました。しかし、数年来JSAPS会員とJSAS会員の交流する機会が増え、JSASが会員と認定医を広く募った際に、JSASの認定医も取得しました。このあたりのいきさつは歴史的経緯の最後=美容医療の未来への展望で述べていきたいと思います。

前回チェーン店やフランチャイズ店に付いてあれこれ書きましたが、これは本題ではありません。美容医療の神髄を突く意見、美しさを追求する美容医療のあるべき姿、その為の診療の方法論と集客法。そんな、正論じみた話をしたいから、この話が進んで行くのです。何故なら私は、日本の美容医療の創始者の一人である亡き父の遺志を継いで、産まれながらの美容外科医として、日本中のいや世界中の女性に、美しくあって頂き、気持ちよくいて頂きたいからです。

〝美しくありたい人が美しい人=美人〟 〝より可愛くいたい人が可愛い人〟 私がよく囁く言葉で、さらに「その気持ちに応えたくて、美容外科医になったんですよ。」と添えます。美容医療の真髄は患者さんの悦び、綺麗な結果に「うれしい~。」と満面の笑みで帰られる患者さんを見送るときの悦楽に溺れるために美容外科医としての研鑽を積んできたようなものです。

今回は歴史から外れていますが、美容医療の基本的概念をもう一度確認したつもりです。次回からは、私は北里大学医学部に昭和55年に入学したのですが、このころからの美容外科界の動きを、父との会話を思い出しながら、再び綴りはじめたいと思います。

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