2014 . 7 . 31

美容医療の神髄Ⅻ-歴史的経緯第12話- ”口頭伝承話”その12

昭和51年に形成外科標榜が認可され、昭和53年に美容外科標榜が認可されたのですが、このころは私は高校生で、私が北里大学医学部に入ったのはそのすぐ後となります。

ついでに言えば、我が国で大学医学部創設が、戦後初めて認可されたのが昭和45年で、それまで医師不足だったのが、急に増え始めた訳です。医師が不足だったときは、形成外科や美容外科より一般医療に行く医師がほとんどだったのですが、医大が新設されて医師が増えれば形成外科や美容外科をしたいと考える医師が増えるのは当然とも言えます。

私はそんな時代に医学部をめざし、高校生時代から、父と話し合っていました。実は、父は銀座美容外科医院に出ずっぱりで私とは別居状態でしたから、私はよく医院を訪れて話し込んだのでした。その後私が大学に入ってからは、父は私にゴルフを仕込もうとしました。父は週に1~2回はゴルフしていたのです。私も時折り同行するようになりました。この時によく話し合ったものです。

覚えているのですが、大学に入る前に、父は「本当に医者になりたいのか?、美容外科をしたいのか?、後を継ぎたいのか?。」と何度も念を押すように尋ねてきました。私は父の仕事を見ていて、面白そうだったから、「やりたいかな?!。」と答えていました。でも今となって考えると、美容整形から美容外科、形成外科といった美容医療の世界が混沌としてきてた時。または、医師過剰時代(地方と都会では真逆ですが・・)に向けての自費医療を主体とした美容医療への参入者の増加を予想していたからの、私への問いかけだったと考えられます。

実際形成外科が標榜認可された昭和51年には、私は高校2年生でしたから、まだ、はっきりと進路の一つとして念頭に入っていた記憶はありません。しかも、前にもいいましたが、形成外科は美容整形をしないと学会理事長が宣言したので、まだ美容整形を標榜(正式ではないが)していた父は、「これなら安心だ。」と言っていました。形成外科医は父の同業ではないという認識だったと思います。そして、形成外科医出身で美容医療をするグループと、形成外科出身でなくて美容医療をしてきた二つのグループが一悶着した結果、美容外科の標榜が認可されたのですが、この昭和53年は私は高校卒業直後でした。残念ながら、浪人しましたから、逆に父と話す機会も多くありました。

この2年間には大騒動があったと思います。父は胸部外科出身で昭和36年に銀座で開業してから、美容整形を始めましたから、非形成外科グループですが、開業以来多くの美容外科医師と懇意にしていましたから、形成外科出身の美容医療グループにも、知り合いが多かったのです。一時はコウモリみたいにあっちこっちと、両方の壁を行ったり来たりしているといわれていたようです。

但し、昭和53年に美容外科が標榜認可されてからは、どちらのグループの医師も美容外科や形成外科を標榜するようになり、参入者も漸増しました。T先生が派手に宣伝を始めたのもこの頃からです。今はないK美容外科チェーンもこの頃できました。老舗のJ病院(現在は病院ではない。)も美容外科を標榜して代替的に宣伝できるようになったのです。またその後の10年間にはそれらのチェーン店でビジネスモデルを学び独立して、S美容外科や、その他の大きなチェーン店ができていきました。

形成外科出身のグループは、基本的にチェーン店方式や、フランチャイズ方式を好みません。自分の手と目、それに自分の頭脳をもってすることが医療だと考えるからです。前時代的とも言われそうですが、外科系では正しい考え方だといえます。ですから逆に、学会等で勉強会や、症例検討会をして積極的に学ぶ機会を作ります。非形成外科グループがそうでないとは言いませんが、父が言っていたことがあります。「この手術法は学会では明かしてないぜ!、うちだけの言ってみれば親子だけのものだぜ!。」とかなんとか!。「こっちの(当時は非形成外科系をホームだと思っていた。)学会は寄合いみたいなもんだから、これでいいんだ。」とか訳の分からないことも言ってました。

とにかく、私が大学に行っていた間の昭和50年代に美容外科医が漸増していきました。学会(寄合い)は、まず二つの日本美容外科学会が昭和53ねんに発足しました。形成外科出身のグループがJSAPSで形成系とか大学系とか大森系とか呼ぶことがある。非形成外科出身のグループがJSASとなり、非形成系とか美容整形系とか十仁系とか呼ばれました。

さらに別の団体もあります。例えば、臨形=臨床形成外科医会。形成外科出身の美容外科医が作った寄合いで、JSAPSの会員の中の開業医が集まりました。寄合いですから、家族ぐるみとなっていて、私などは学生時代に懇親ゴルフに参加したりしたこともあります。JSASからの参加者もいました。確か昭和60年ごろ、私達美容外科医の子が何人か参加していました。今やテレビで売れっ子のN先生や大阪のS先生などなどは当時からの知り合いです。

二つの学会がある限り、JSAPSもJSASも医師会や厚生省は公的団体とは認めることはできません。法人認可もできませんから、上部組織を作りました。JSASはJ病院のU院長が出資した日本美容医療研究会という財団法人を持っていました。JSAPSは1992年に、日本美容医療協会という組織を厚生省所管の公益法人として作りました。ここからはさらに混沌としていきます。次回へ!

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