2016 . 12 . 2

美容医療の神髄-歴史秘話第69話-”口頭伝承”:美容整形屋と美容形成外科医”その45”「相模原から全国へ編1:美容外科学」

さて三つのトピックスの残りです。ISAPS、日本美容医療協会とT先生の一悶着、その結果としての美容外科医師会でのクーデターを紹介しようと思ったのですが、やはり一回では書ききれませんでした。次の機会にします。

突然話しが飛んで、研究の続きとなりますが、この頃JSAPSとISAPSで学会発表しました。JSAPSは形成外科系の美容外科学会ですが、演題の多くは美容目的というよりも、形成外科的です。形成外科的とは形態改善を目的としていながら、形態と機能を損ねる要因がある場合をいいます。外傷とか腫瘍とか先天性異常(現在は奇形とは言わない。)です。美容外科医療の目的は正常な形態の改良です。さて私は日本美容外科学会JSAPSに医師となってすぐに入会しました。この学会は特殊で、6年目までは準会員で、会費も安い代わりに発表の機会もまず与えられません。要するに、若いときは卒後教育としては形成外科の診療研究に邁進しろということで、美容外科の勉強はいいが診療はするなという、上から目線の学会です。まあそれはそれで、形成外科領域で解剖や生理の基礎知識を身に着けてから、美容外科診療をするべきだという考えは正統性があるとは思います。

なぜなら、形成外科診療の対象は何らかの原因で障害された形態や機能を取り戻す目的であるから、顔の中を見る機会が多く、診療の場面で細かい解剖や構造を目に焼き付けることが出来るから実践と学問が一致するのに対して、美容外科診療の対象は、正常の形態や機能を有しながらもより美しい状態を求める患者であるから、身体の内部、特に常に見える顔面の深部の構造をほじくり返すことはできないので、目で見て知る機会は得られないからです。ですから形成外科医は、他科の研修を受けた医師はもちろん、医師になりすぐに美容外科に入職した医師は知らない知識を身に着けられます。ですから、日本美容外科学会JSAPSは形成外科の専門医を取得してから美容外科診療に携わるように求めているのです。

ただ逆に言うと、形成外科医局に入り診療に携わると外傷や何やかで忙しいので、美容外科医療に手を出す暇も少ないのが実情ですし、大学病院では美容外科の患者は僅かで、滅多に経験できない実勢です。ただしそのつもりでの勉強をすれば話しは別で、形成外科診療、特に手術中に”これはあの美容外科手術の手技に応用できるからよく見ておこう。””手術に臨んでこの解剖学的構造は美容外科医療に必須なのだから、頭に入れていこう。さらに手術時は実際に眼に焼き付けておこう。”等と留意しながら勉強していればそれは他にない経験になります。むしろ形成外科診療の機会にしか得られない掛け替えがないシーンです。その意識で居ればのことですが・・。ちなみに北里大学形成外科では、Uc教授が率先してそのような意識を医局員に植え付けようと考えていました。よく「この手術はお前にとって、将来美容外科のあの手術をする際に役立つから、よーく見てお

きなさい。」と私に強弁しました。ありがたい言葉でした。既に私が4年次の手術の際に、助教授だった先生に立ち会ってもらい、そういわれながら手術した時には感激したのを覚えています。他の医局員の一部は意味が分かっていなかったようで、「そんな暇ないし、難しいこと云われてもねえ。」とか言って無視していました。もちろんその医師が後年美容外科に携わらないならそれでいいいし仕方無いことですが、ある医師は後年美容外科診療にも手を染めようとして、何も基礎がないために困って、学会で会うたびに私に、「美容外科の診療を教えてくださいよ。」と尋ねるようになりました。私は心の中で”そんな一朝一夕で身に着くことなら、長年形成外科診療に携わっていた意味がないだろー!”と憤慨していました。また繰り言になってしまいました。もちろん私は、銀座美容外科医院で一年次から美容外科診療に携わる機会を得ていたのですから、特殊な環境であったのは承知しています。

話を戻して、日本美容外科学会JSAPSですが、7年次から正会員の資格を得ますが、自分で申請しないと正会員にならないので準会員のまま安い会費で居座る輩も居ます。さらに正会員になって三年間勉強した上で症例を揃えないと、日本美容外科学会JSAPSの学会認定専門医を申請出来ません。もちろん私は、日本形成外科学会認定専門医を取得する7年次に、直ちに同年に日本美容外科学会正会員への昇格を申請しました。そして正会員になったら、学会発表をして美容外科医療に貢献しようと思ったのですが、なかなか題材が見つからないので、見合わせていました。

1998年=平成十年私は12年次で銀座美容外科医院に出向していました。この年にJSAPSで学会発表しました。さらにそれを焼き直して学会誌に投稿しました。日本美容外科学会誌(JSAPS)は年4回発行され、毎回4編ほど掲載されますが、半分以上は上にあげた形成外科分野の論文です。純粋な美容外科医療の論文は半分もありません。

じゃあ私の学会発表と論文はと言いますと、微妙な話題です。”ピアスによる後天性耳垂裂を孔を作製しながら治す方法”です。当時ピアスが流行っていました。実は日本人の耳垂(耳たぶ)は小さくて薄いのです。挟むものならいいのですが、調子に乗って懸垂型のDangling、重いheavyピアスPierceを刺すと、孔の壁が縦に伸びてきて楕円形となり、仕舞いにはUの字に切れてしまします。これを後天性耳垂裂といいます。先天性にも耳垂裂はあり、形成外科領域で扱われますから、定式の手術法があります。欧米では古くからピアスの習慣があります(絵画に描かれていますよね。)から、後天性耳垂裂が頻発したのでしょう。文献を探すとあるわあるわ。実に20編近くの手術法が報告されていました。そのうち数編では、後天性耳垂裂を修復すると同時にピアス孔も作成する方法でした。何故か茅ヶ崎徳洲会病院形成外科で部長をしていた11年次に後天性耳垂裂の患者さんが3人来院しました。そこで、先天性耳垂裂の手術法に後天性耳垂裂にピアス孔を同時に作成する手術法を組み合わせて手術してみました。これがうまくいったので、JSAPSで発表しました。さて、これは純粋な美容外科医療かというと外傷性に近い`原因`があります。でもピアスは装飾ですから、美容目的です。ですから形成外科と美容外科の中間領域と考え美容外科学会で発表しました。面白い内容でしたし、よく調べてアカデミックにしました。学会上層部の医師も興味を持ったのでしょう。学会誌に投稿するように薦められました。久し振りに論文を書きました。インターネットで論文検索して、私の名前で探すと、今でも出てきます。題名だけコピペしておきます。後天性耳垂裂に対する手術法 : 懸垂型ピアスにより慢性的に生じた耳垂裂をピアス孔を同時に作成しながら修復した3症例A METHOD FOR AQUIRED EARLOBE CLEFT

実はもう一つ、13年次に北里大学形成外科で研究した眼瞼の光学顕微鏡画像を使って、JSAPSとISAPSでも発表しました。JSAPSでは光学顕微鏡の画像を眼瞼のシンポジウムの追加発表に提示しました。日本美容外科学会JSAPSでの発表をして顔を売りたかっただけです。

もう一つISAPSが1999年=平成11年に日本で開催されました。ISAPS,International  Society of Aesthetic Plastic Surgeryは世界の美容形成外科領域の国際的学会です。本来学術的な研究成果は、全世界の医師間で共有するべきものです。何度も言いますが、本邦は特殊社会で、日本美容外科学会は二つの団体があり反駁しています。美容外科をいかがわしいものと捉える国民の意識もあります。その経緯もあり、美容外科を医療として科学として、アカデミックに勉強しようとする医師も数少ないのです。でも形成外科出身の美容外科学会JSAPSの会員は皆日本形成外科学会の会員で形成外科には世界学会IPRSがあるので、その関連団体であるISAPSにも国別団体として加入しています。学会は世界の各国で持ち回りで開催されます。運がいいことに研究員の年に日本で開催されました。会長つまり運営は日本人がしますから、我々大学病院形成外科に勤める有志の医師がお手伝いをします。Uc教授の命もあり約3日間缶詰的に学会場に詰めました。

その数日は大変為になりました。正直言って勉強と言う意味では、演題がすべて英語であるだけでなく、全世界から演者が来ていて、特に英語圏でない国の英語は発音が悪く聴き取れませんでした。英語圏の医師に尋ねても同様に答えます。しかも、私達開催国日本の若い(既に40歳を超えていても世界的には)美容外科医はほとんど学会運営に駆り出されていて、例えば受付に張り付いていたり、世界の有名な美容外科医をエスコートさせられたりで、アリーナに入る時間はほとんどありませんでした(上に記した如く聴き取り難いから聴くつもりも失せていたのです)。もちろん自分の発表は無難にこなしました。実は医局には英語の巧い秘書が居て、発音を予め治してもらっていたのです。でも通常外国人は議論も仕事の一部と考えている筈ですが、それでもやはり私の演題は聴き取れなかったようで発表後に質問はありませんでした。だから無難にこなしたと言えます。

実は有益だったのは、他大学の同年から先輩と仲良くなったことです。ISAPSには、日本の特に首都圏の大学形成外科医局員が運営に駆り出されました。本邦の美容外科医の名誉が掛かっています。ただし大学が形成外科医の中でも一応有志が集まるので(医局が依頼する)、美容外科医療に携わる医師が選ばれていました。つまり形成外科医のうちでも美容外科が好きな医師、または実際に美容外科医療の経験が豊富な医師が集まっていました。いくつかのグループに分けられ、私は受付組に入りました。そのグループの医師達とは毎日の打ち上げも兼ねて三日間懇親の機会を持ちました。今は開業した東海大学の助教授や、昭和大学の助教授から、千葉大に教授になって最近定年退官した医師や、その下に居た講師、それに開業医の中でも私を可愛がってくれたN先生。通常学会を開催するのは単一の大学ですから、他大学の医師とは何日も一緒に行動することはありません。この機会は他流試合というか、他大学の美容外科医と懇親できて楽しかった記憶があります。大学の形成外科医の中でも美容外科が好きな方の医師達でしたが、既に私は彼等より経験が多かったのでいろいろ聴かれました。彼等とは、今でも学会で会う度に挨拶して言葉を交わし、未だに質問されることもあります。

今回学会の話題をしました。学会は同業者組合や寄り合いの役目と研究勉強の場とを兼ねます。大学病院に於いては医療は臨床、研究、教育の三本立てと強調して(これは父から言い含められて来たことです。)来ましたが、視野を変えてみれば一般的な仕事でもそうですよね。仕事で現場で働くのは臨床と同様の集中力を要するし、新たに改善を計るのは研究と同じく知性を要するし、人材が無ければ継続出来ないので教育も求められる。地域では寄り合いし、同業者組合は政治性を持っていますが、学会も同様ですね。

何か話題が進みません。事件性のある話題は後回しにしてきました。次回父と私の敗北の経緯を記します。突然現在に戻り、最近TJr.先生の跡の患者が来院します。彼は可愛いのですが、父親と同じく冷たい様です。その父親と、私の父親は仲良かったのにクーデターに遭います。次回へ。