2016 . 10 . 13

美容医療の神髄-歴史秘話第62話-”口頭伝承”:美容整形屋と美容形成外科医”その38”「相模原編4」

本題に戻り、私達の研究の話題です。研究とはいえ、美容医療の臨床に活かせる有益なテーマです。眼瞼の検体を7体いただけることになりました。それをどう研究に活かすかを、教授と共同研究者の山本先生と議論しました。山本先生は8年目に茅ヶ崎徳洲会総合病院でレジデントとして一緒に働いた四年下の医師で気心が通じていて、願っても無い共同研究者です。解剖学教室を使わせてもらうのと人員を借りるので解剖学教授も共同研究者として申請します。

では眼瞼の検体を使って何をするのか?。こういうときは論文の書き方を使います。目的(仮説)、方法、結果、考察、結論という流れで考えていくことになります。つまり予めシナリオを頭に浮かべてみる。先に結論まで想定することで、そこまでの道筋を設定していくことになります。相手は科学ですから、予想外の結果になることも想定内です。その為にはまず、これまでの科学的知見がどれだけ存在するかを調べなければならない。つまり論文検索から入ります。まだ確立していない論証に対して、再現性を得られて確証性を高める結果になるのか、それとも反証が得られて反論する論議を展開することになるのかは結果次第です。これが所謂仮説を立てる方法です。何しろ科学は結論が見えないから面白いのです。ノーベル賞だって、「想定外の結果になったからイノベーションになった。」との受賞会見をよく見ますよね。私達の研究にはそこまでの有用性は無いでしょうが、我々の棲む美容形成外科の世界に科学的知見を一つでも加えることは、これからの美容医療に少しでも貢献することになりえます。美容外科の為の医学博士研究は本邦初となるだろうとの夢もありました。美容外科医院の医師のプロフィールによくある、医学博士の称号は他科での取得しか無かったのです。訊いてみれば解ります。

眼瞼の解剖学的知見に於いては、我々アジア人の特徴は欧米の科学先進国では調べられていません。検体が無いのだから当然です。今回私達がアジア人の眼瞼の検体を得られたので、アジア人の特徴を調べる貴重な機会であると考えました。アジア人の特徴とは、一重瞼と二重瞼が混在同居するという点に尽きます。白人や黒人は、基本的に皆が二重まぶたですから、一重瞼の眼瞼の解剖的知見を提示して確立していいる論議は数少ないと考えられました。

そこでまず、論文検索を始めます。もちろん日本をはじめとして、韓国や中国から数通の論文が出ていました。面白いことに、東南アジアからは古くから確立した論文が出ていました。ああ、確立とは、引用歴が多いということです。多くの他の論文に使われているということは正しいと考える科学者が多いということになります。東南アジア諸国は、戦前までは欧米国の植民地だったので、科学者も多く輩出していたのです。居着いた白人が興味を持って調べたり、教えを請うた現地人が研究したのでしょう。

こうして論文は芋づる式に見つけられました。集めては読みを繰り返し、知らぬ間に100通を越えていました。その中で、特に面白い知見をまず二つ紹介します。

東南アジアの二カ国、フィリッピンとインドネシアは戦前までスペイン、UK、USAの植民地でした。そして彼等は白人から混血を多く受けました。二カ国では60%以上が混血しているとのデータがありました。逆にいえば、純粋なアジア人の遺伝子は半分以下で、だから一重瞼者も計算上20%以下になります。マイノリティーです。だから、研究対象になったのです。人種差別ですが、だからこの二カ国から出た論文で一重瞼と二重瞼の構造的差異を明確に記述するものはありませんでした。唯一眼瞼挙筋腱膜の走行に触れた論文が見られました。

もう一つ、日本では一重瞼と二重瞼の解剖学的構造の差異を述べた論文がいくつか見られました。ちなみに当時は、韓国や中国からはまともな論文は著されていませんでした。また歴史を巻き戻しますが、本邦では戦後から美容整形が隆盛しました。戦後すぐに占領軍と共にUSAの軍医がやって来ました。中に形成外科医も来ました。戦災医療には欠かせないからです。口唇裂の手術法に名称が載る様な有名な形成外科医が十仁病院に行って、美容整形のアドバイスをしたという論文がみつかり驚きました。その後の美容整形医と警察病院が代表する形成外科医の暗闘も論文に見られました。その結果眼瞼形成術(重瞼術)の研究は滞ります。昭和53年に美容外科が標榜され、二つの日本美容外科学会が並立する様になると、形成外科学会についた美容外科学会JSAPS側から研究者が輩出されました。代表的な大学形成外科での眼瞼の臨床研究者が数名存在しました。彼等の論議をまとめると、一重瞼と二重瞼の差異とは、1、二重瞼では上眼瞼挙筋腱膜から、枝分かれしたコラーゲン繊維が眼輪筋に挿入され皮膚へ達しているという説があるが、その間には眼窩隔膜と脂肪が存在している場合があるので、繊維が眼窩隔膜を貫いて行く筈はない。2、したがって眼窩脂肪の量や位置が二重まぶたと一重まぶたを定義すると考えられる。3、眼窩隔膜の前葉と腱膜の合流部は瞼板上縁から2〜3㎜上にあるから、ここから下の腱膜と皮膚が連動して動けば二重瞼になる。

上記の説がこれまで提唱されてきましたが、なんだか意味が解らないでしょう?。形態的な定性的差異を定量的差異で説明しようとしています。確かに二重瞼でもその幅は数量的に差があります。でも、二重瞼の皮膚は持ち上がり、一重瞼の皮膚は持ち上がらないというのは事実です。この差異は定量的でなく構造的な形態的差異がなければ説明出来ない筈です。そして、これまで枝分かれするコラーゲン繊維は、肉眼的画像でも、顕微鏡的画像でも描出されていませんでした。何故なら、肉眼的には手術中に見えていても、画像を得るのが難しいので証明出来ないのです。また顕微鏡的には二次元的画像しか得られない為、腱膜と皮膚眼輪筋の三次元的な連続性は描出不可能なのでは無いかと考えられました。

そこで、走査式電子顕微鏡写真を思いつきました。形成外科・美容外科のUc教授も提案してくれました。そして解剖学の教授に依頼して、使用可能か打診してくれました。回答は、可能ではあるが技術者に手伝ってもらわなければ難しいとのことでした。大学内の形態系の技術者に要請しました。走査式電子顕微鏡とは、検体を薄く切らずに観察する方法です。組織のうち細胞の中の蛋白脂肪を水酸化ナトリウムで溶出しコラーゲン繊維だけを残し、その網目構造を観察するものです。コラーゲン繊維の走行を電子顕微鏡レベルの10万倍画像で確認できます。網目構造を立体的に観察することでコラーゲン繊維の方向を描出しようと考えました。

上眼瞼挙筋腱膜から、眼輪筋に挿入されて皮膚にも達している枝分かれの繊維の構造を描出出来るかがポイントです。それまでの論議では、枝分かれ繊維の走行を確認されていません。これを描出し、証明出来れば、それまで混乱していたアジア人に於ける二重瞼と一重瞼の構造的差異を定義出来るのです。ここで、問題が生じました。検体はご遺体です。目を開いてくれません。一重瞼と二重瞼の差は形態的な質的な差です。そこでホルマリン漬けになって硬くなった眼瞼を、手で無理やり開いてみると、ちゃんと折れ返りが出来る者と、出来ない者が区別出来ました。後で考えると、ホルマリン漬けになってコラーゲンが収縮していたからでもあると思います。

7検体のうち、3体が二重瞼で、4体が一重瞼であると判明しました。それではこれをどうやって標本にするかです。こうして研究の仮説が立ち、目的が得られました。ここからは、研究内容の手技的な説明です。論文でいうと方法と結果と結論の部分です。考察は上に一部載せた他家の論文に対して証拠を上げて反論し、自分の説を強化することです。

ところで解剖学教室から、テーマをもう一つ提案されました。3D画像構築による眼瞼構造、特に二次限描出では理解できない内眼角部の三次元的構造の描出です。これは筋繊維の走行なので走査電子顕微鏡では難しいと言われました。そこで、肉眼顕微鏡で見た画像をパッドの上でトレースして、連続切片つまり端から端までの画像をソフトに入れると、色分けされた3次元画像が描出されるソフトを使おうと解剖学教室から提案されました。実はこの年に解剖学教室がこのソフトを購入して、利用価値を計っていたのです。形成外科から丁度いい奴等が来た訳でした。こちらは山本先生が筆頭著者となりますが、私はその研究も同時進行で手伝うことになりました。何しろ手間がかかります。連続切片とは、例えば16㎜厚の検体すべてを8μm厚に切り出すことです。計算上2000枚ですよね。その後は染色します。これを7検体私達でするのです。その後5枚置きくらいにトレースしても400画像×7検体分。山本先生は出向中で、私が手を動かしてあげることになりました。でも3Dソフトで画像構築する際には、その画像をそのまま論文に載せる訳ですから、筆頭著者である山本先生が確認します。その議論は山本先生がシナリオを立てました。

研究の説明は面白いのですが、長文になりました。相模原時代に時計が戻ったようで楽しい日々を思い出します。もう5回続きました。でもこれからが、手を動かし頭を動かしして、とっても有用な結果を得ることになります。今にも繫がる医学博士論文です。次回さらに展開します。