今回の症例の患者さんは楽しい人です。Polysurgeryとなっているのですが、まだまだ!。あくなき美への追及心を持ち備えていて、私もこれからも長いお付き合いをさせていただけることを楽しみにしています。より良い結果を求めて当方との関係を続けたい人です。
症例は36歳、女性。先天的には狭い二重瞼で、15年前に他院で埋没。ラインは浅く残るが、皮膚が弛緩したため、5年前に当院で眉下で皮膚切除して、開きやすくはなった。その際の画像でも既に瞼縁は挙がっていない。つまり眼瞼下垂を呈していた。その後徐々に眼瞼下垂に気づく。一度他院で、なんちゃってな切らない眼瞼下垂手術を受けたが、開かなかった。
LF12mmと正常下限。眼裂横径27mmと標準的、内眼角間は既術にも拘らず36mm、ただし角膜中心間距離66mmと眼球位置が離れているから内眼角間距離がある訳で、あまり蒙古襞を除去しては涙湖(赤肉)が見え過ぎて奇異となるタイプ。ただし前医で蒙古襞は切除されたのに、拘縮が解除されていない。そこでZ-形成術による拘縮解除が求められます。ブログをご覧になり手術を希望されました。吊り目は蒙古襞の拘縮が関与しているが画像をご覧のとおりモンゴリアンスラントも傾きが強い。後天性腱膜性で左の外側だけは挙がっている。今回は一辺4mmのZ-形成法での眼頭切開をメインの希望とされ、後天性腱膜性眼瞼下垂に対しては、一応目頭切開をするなら同時に眼瞼で切開を繋げた方がデザインがし易いと私は提案しましたが、予定では当院のオリジナルの(なんちゃってではない)切らない眼瞼下垂手術=黒目整形ーNILT法としました。
ところが手術当日の診察時にもう一度話し合い、さらに開瞼向上と持続性も求め、また前回の眉下皮膚切除手術からしばらくして5年間で皮膚が少し伸びたと考えられるし、画像で見られる様に前頭筋の収縮による眉毛挙上が起きてきたために、どうせなら少しでも重瞼線を広くしておきたい希望もあり、切開法で行うこととなりました。
デザインを文字で説明します。下の線は、これまでの埋没でのラインである7.5mm高とし、切除は3mmとし上の線を設定します。外側から内側まで同幅とし、目じりを越えたらTaperします。目頭でのZ-形成は、縦辺は蒙古襞の稜線に蒙古襞の最下点から4mmとし、上辺も下辺も縦辺に60度で4mm長とします。眼瞼の切開幅の最内側をZの上辺でふたをする形にします。
まず下に術前術直後の画像を並べます。
そして1週間後には抜糸となりました。表情で開瞼に違いが出来ますから、2枚の画像を載せます。
本症例の術直後の画像では左右が違う大きさを呈しました。「大丈夫です。」この結果は挙筋の前転の程度に差が付いて見えますが、それは緩みを生じて揃ってきます。重瞼の差は瞼縁の挙がりの差に反比例するのです。決してラインが合っていないのではありません。術直後の画像で左の重瞼が狭いのは開瞼が強すぎるからです。その原因の一つは術直後だからで、局所麻酔の影響の差も関与しています。局所麻酔は眼輪筋によく効いてしまい、閉瞼力を低下させますから、開瞼がオーバーになります。平均的には局所麻酔は2時間で切れますから、その頃には少し落ちます。手術は右から行いましたから局所麻酔を作用させたのも1時間程度の差がありますから、右側は局所麻酔の影響が焼失し、左側はまだ局所麻酔の影響が残るために開きすぎているのでしょう。
と言いながら、翌日は画像がありません。画像で見られる様に術後7日目には左の開き過ぎは解消しました。術前術直後の比較は片眼でしてみましょう。各眼瞼左から術前、術直後、1週間後です。
右眼瞼は術直後にとてもきれいな形態で良好な機能を魅せています。吊り目からアーモンドアイに変化しました。でもその後腫脹が亢進し開瞼が弱まり、重瞼がぼてっとしました。
実はその目で見ると、左眼瞼術直後では開きすぎですが、1週間後にはいい感じです。ただしスラントが見られます。開瞼は良好です。
手術のデザインはいつものやつですが、今回は他院で受けた眼頭切開の再手術です。創内に瘢痕があるために剥離がしにくいのですが、だからこそ腕の見せ所です。画像はないですが説明します。蒙古襞の拘縮解除術のポイントは内眼角靭帯(用語では腱)の自由化です。上下に付着している眼輪筋の切離をどれだけできるかで眼頭の位置の移動の結果としての形態が変わります。本症例では、靭帯の前面に縦に走るはずの眼輪筋が瘢痕化していてどれが靭帯が見いだせなく、丁寧にしてやっとブラブラにできました。靭帯の深部には涙小管があるのですが、どこまで剥離していいかスリリングでした。靭帯を自由化できれば眼頭の涙湖が水平まで移動できるので、ここで剥離を止めればよいのです。上の近接画像で眼頭の位置が三角形に真横向きに変化したのが見て取れますよね。
もちろん2次手術なので程度が難しく、やり過ぎ感が出ない様にデザインに細心の注意を払いました。同時に術前のConsultation:相談、診察(Counseling:助言、忠告、指導ではない。)を念入りに、時間を掛けて行って患者サイドも、医療サイドも丁度いいと考えられる手術の程度を見出してきました。結果は自ずから得られると思います。患者さんはそれを会議と呼びました。今後とも会議を重ねていきたいと思います。術前の診察の結果得られたプランが手術結果の60%以上を占めます。でも今回は再手術のため、細心に手先で感じながら手術しましたから、術中に100%の集中力を発揮しています。
今回はもう一度整理して手術の説明を加えます。
眼瞼形成術には、重瞼術、皮膚切除術(眼瞼部も眉下切除を含む)、眼瞼挙筋腱膜修復術、眼瞼挙筋腱膜短縮術があります。重瞼術には埋没法と切開法があります。切除は切開しなければ出来ません。また当院では私達は二重を広げる際に眼瞼挙筋の強化を同時に行なうのを定式にしています。挙筋腱膜の強化法にはLT法と腱膜縫合法があり、先天性眼瞼下垂症と後天性腱膜性眼瞼下垂症で使い分けます。LT法は当院のオリジナルで、眼瞼結膜側から眼瞼結膜とミューラー筋と腱膜を不意縮める方法ですが、瞼板に掛けないと効きませんし直ぐ戻ります。瞼板に掛けないのがナンチャって法です。本症例では切開(切除併用)法でLT法と重瞼固定を加えています。
目頭切開は何度も記しましたが、蒙古襞による拘縮の解除を目的とするべきです。私共は蒙古襞の被さりの切除による内眼角間距離の改善を目的とする手術を単独で行う事は滅多にありません。距離は副次効果と考えています。二重瞼者に比べ一重瞼者では内眼角間距離の平均値が約3㎜離れています。つまり、蒙古襞の被さりが多いのです。一重瞼の遺伝子と蒙古襞の遺伝子は同座にあると考えられています。蒙古襞の被さりは拘縮も伴います。ただし拘縮の傾き、人間工学的に言えばベクトルは様々です。縦方向に突っ張っている人はあたかもダウン症の顔貌みたいに見えたり、子供っぽく見えたりします。実際にはダウン症患者さんはEpicanthic foldと言って弧状に突っ張っている特徴があります。子供っぽく見えます。対して斜めに突っ張っている蒙古襞もあります。斜めに突っ張っていると上眼瞼の内側が挙がりませんから、吊り目になります。多くの場合このタイプでは内側の眼瞼挙筋の発達が不足しています。手術時に確認出来ました。それでも目頭Z−形成をすれば解消出来ます。本症例は良好な形態と機能的効果が出せました。
もう一つZ−形成法による目頭切開は目頭の位置を変える効果も付随します。蒙古襞の拘縮を外すだけで皮膚性の目頭の位置は挙がりますが、目頭の中の内眼角腱の位置を挙げる技を加えると涙湖の位置も挙げられます。本症例ではその点も認識されました。内眼角腱の剥離の際には深部に存在する涙小管を注意しなければなりません。一般の人はもちろん、涙小管の存在を知る由もないのですが(涙腺と混同している。)、形成外科医で手術の経験がある医師以外は涙小管の解剖学的位置を見た事もないのです。私は形成外科医として涙小管の外傷に対する再建手術を数多くして来ましたからよく知っています。ついでに言えば博士副論文は涙器の3D解剖の描出です。或る非形成外科医(S美容外科)は目頭の手術の際に涙小管を見てなんだか判らないで傷めたそうです。涙が止まらなくなったそうです。本症例は難しくて私達形成外科医以外は触れないと思います。
一般的知識はどうあれ、結果はまだ出来上がっていません。中期的にはたいていの場合、残るオーバーコレクション:Over correction のサイドを気に入ります。つまり相対的にUnder correction となった方に追加したくなります。中期的=月単位に診て行って検討しましょう。そう書いた前回の内容をご覧になり、患者さんは自己の状態を面白がっていました。本ブログの説明を信頼していらっしゃるからでしょう。