本症例は難しくて面白くて、でも患者さんと美容外科医としての私の信頼関係を築き上げて診療していくことで、満足な結果を得て行こうという経過を提示しています。もちろん多くの例の様に再手術症例だからでもあります。表題にある様に他院での術後に対する再手術と、当院の良好な結果の経年変化に対して再建するための再手術が組み合わさっているから、頭がこんがらかるような症例で、だから二重(二重瞼の事ではありません。)に面白いのです。
症例は34歳、女性。先天的には奥二重だが、LF13mmと先天性眼瞼下垂はなかった模様。数年前埋没法を受けて二重瞼にしている。3年前に当院で切らない眼瞼下垂手術=非切開法黒目整形=NILT法を受けた。当初はよく開き重瞼もくっきりしたが、徐々に落ちてきた。その後他院で10年前に、目頭切開を三日月型切除法で受けた。
本年に再来し私のこのブログもご覧になって受診されました。左右差が生じたのと落ちたのと目頭の形態と機能に問題が生じていました。
現症は、眼裂横径25㎜、内眼角間36㎜、角膜中心間65㎜と蒙古襞の被さりは残る。後天性腱膜性眼瞼下垂状態が再発している左側にフェニレフリンテストをすると、充分に開瞼が強化され、対側より挙がる。右側はラインは変えなくてもいいが、浅くなってきた。ついでにちょっと外側を上げたい。開瞼には左右差が診られる。
上記の様な症例に対して検討の上、以下の手術を適応しました。近接画像を提示して説明します。
右側眼瞼は、MT法を施行しました。前回のNILT法から3年経ていますが、開瞼は戻っていません。二重の引き込みが浅くなっただけです。希望により重瞼の強化と外側を1㎜挙げて付け替えました。術直前にブジー(=二重用の棒)によるシミュレーションして鏡で見てもらい2点を決定しました。内側の点は変えません。術前と比べて術直後は広く見えますが、強く締めたからです。必ず緩みが生じますから強めに締めるのです。
もう一つは、目頭切開の修正です。患者さんから、他院で三日月型の切除をされたと申告がありました。私は診るなり「やっぱり!」と叫んでいました。蒙古襞を三日月型に切除すると切除幅に応じて被さりは取れます。あくまでも標準からの差を想像しているだけですが、本症例では1〜1.5㎜開いた模様です。しかし三日月型切除では縦方向の創跡が出来るので、瘢痕拘縮してそれが結局襞になります。ヘタクそなのでは無くて医学的知識が不足しているからです。形成外科医にとっては常識でも、非形成外科医の美容整形屋は知りません。私達は現在、原則的にZ−形成法での目頭切開しか行ないません。本症例の如く、三日月型切除の跡の襞にもZ−形成法で治せます。
左側眼瞼は、NILT法を施行しました。本ブログのこれまでの症例をご覧になられて来た読者のみなさんなら、すぐにお判りでしょう。前回3年前にNILT法を受けていますが、対側に比べて緩みが多かったのでしょう。後天性腱膜性眼瞼下垂症の修正術として、黒目整形非切開法は永久的効果はありませんが、再建は繰り返せます。術直後にはオーバーに開いていますが丁度良くなります。むしろややオーバーな時期の方が魅力的に見えます。術後短期的変化を診て行きましょう。
という事で両側の説明が為されたので両側眼瞼部の画像を提示します。
印象的に術前のぼやけた目元がキリッとしています。術直後は全ての効果がオーバーですが、数時間で麻酔が切れると開瞼は少し落ちて、数日で糸が喰い込んで来て緩みが生じて落ち着きます。もっとも腫脹が軽微で、内出血も無い本症例では術直後でも酷くはありません。創は小さいので目立ちませんし、目頭は既に左右対称性が得られました。術当日は創から血が滲み出ていて赤い線が見えますが、翌日には(最大72時間後まで)出血は止まり、線も目立たなくなります。という事は術後一週間での抜糸時の画像提示時には形態的にも判りやすく評価を得られると思います。
しつこい様ですが、三日月型切除法による目頭切開がいかに良くないかを、もう一度説明します。線状瘢痕は縦に縮まります。何故か?。線の創はくっ付く際に、新しい硬いコラーゲンを析出します。そして創は治るのですが、硬いコラーゲンは伸びませんし、幼弱なコラーゲンは収縮します。つまり縦方向に拘縮するのです。だから三日月型の目頭切開は、拘縮の解除が為されないどころか、拘縮を作製している事になるのです。そんな事は形成外科医なら知っています。非形成外科医の美容整形屋は、研修していませんから知りません。残念ながらそんな輩が目頭切開を進める事が多いのです。
さすがに昔の美容整形屋である父も三日月型切開はしませんでした。筆記体のW型に切開していました。父は胸部外科出身だから胸骨矢状切開手術を駆使していたので、その創跡が可哀想なのを知っていたからです。ところがその後雨後の筍の様に輩出(排出かも?)した美容整形屋は、外科系の研修を経ずにいきなり就職する輩や、チェーン店でビジネスだけ覚えて開業する輩が増えたので、見よう見まねでデザインが簡単な三日月型切除を継承していく者が横行しました。形成外科医グループは昭和30年代からその事に対して非難して来ましたが、段々目頭切開そのものに対する忌避感が強くなり、彼等形成外科医は進歩しませんでした。しかし、一部の形成外科医は新しいデザインを考案して来ました。代表的なのは内田法を始めとするW−形成法と韓国で開発されたPark’s Z-形成法でした。私は1993年以来両法とも駆使して来ましたが、拘縮の解除度が足りなく、横径の調整が難しかったのです。10年前当院が韓国から輸入したZ−形成法を視て、拘縮の解除度に満足度が比例する事を知りました。実は池田先生とは12年前に学会で議論してZ−形成術の有用性に驚きました。私も池田先生も、この10年来Z−形成法による目頭切開を駆使して、吊り目の解消に於いても、アーモンドアイへの改良に対しても大変良好な結果を出して来ました。
敢えて言えば形成外科医の大部分が目頭切開を怖がって来たから、非形成外科医がマーケットを占めて来てしまったのです。その結果合併症例が多発してしまったのです。そう考えると、逆の面から加担していたのです。未だに目頭切開を忌避する形成外科医の声を、患者さんからも聞き及びます。残念です。形成外科医も研鑽していきましょうよ。
何度も言う様に、一重瞼を二重瞼にする際には蒙古襞も修正しないと、不自然な形態と機能を呈し兼ねません。自然状態は二重瞼で蒙古襞の拘縮が軽い眼瞼だからです。私のブログに提示する症例は一部ですが、提示症例の大部分は眼瞼下垂手術+重瞼術にZ−形成術を同時施行して、自然な結果をご覧に入れているのは皆さんご存知でしょう。どんな手術でもダウンタイムがあるのは仕方は無いので、術後早期の画像にビックリされるかも知れませんが、経過を見せて行くと皆さんの参考になると考えてのことです。
非形成外科医の美容整形屋の行なった手術は効果不足なのでは無く、マイナス面が多く見られます。私達ベテランの美容形成外科医は、積み重ねて来た医学知識を持ってして修正を試みます。本症例は綺麗に治せました。これからも出来るだけ提示していきます。
本症例の改良点は目頭だけではありません。ただし術後変遷がありますから、次回抜糸時に提示して行きます。