2017 . 10 . 25

見た目におとなしい印象の女性が、はっきりした印象の女性になりました。

術前の印象ではおとなしそうな雰囲気でしたが、聴いてみると別に地味な女性ではないようです。でも見た目の印象って大事ですよね。目元が寂しい。開瞼が小さく、眉を挙げているから眼瞼の面積が広く、ぼてっとして弱々しい眠そうな目元です。手術後には、間違いなく明るくパッチリとした目元を作り上げました。

症例は、21歳、女性。先天性一重瞼。1年前に他院で埋没法重瞼術を受けたが緩んだ。開瞼時には前頭筋が収縮して眉毛を挙げている。診察所見はLF、Levator Function=挙筋筋力(挙筋滑動距離):12mmと正常下限。眼裂横径(一重瞼者の平均25mm):25mmと平均的。角膜中心間距離(平均60mm):58mmと眼球は近いのに、内眼角間距離(一重瞼者の平均35mm):36mmと離れている。これは蒙古襞の拘縮が強く被さっているからです。眼瞼下垂を治して二重瞼にすると、蒙古襞がこのままでは、縦横のバランスが狂います。蒙古襞の拘縮が眼瞼下垂症を助長している。フェニレフリンテスト陽性で筋力は下限であり、先天性筋性眼瞼下垂症も伴う。一重瞼であるから、先天性皮膚性眼瞼下垂症ですから、重瞼術も必要です。

予めデザインプランを立てます。前回のラインは7mm高と間違いはないが、皮膚は長年眉毛を挙げてきたので伸びているから、最低限2.5mmは切除を要する。挙筋はフェニレフリンテストに反応するのでLT(眼瞼結膜側から挙筋群をくくる。)で可能。吊り目なので目頭は横向きにしたい。一重瞼の標準的な蒙古襞を、二重瞼の標準的な蒙古襞に変える必要があるため、定型的な一辺4mm60度のZ-形成法による目頭切開が適応と考えた。

まずは術前と術直後と術後1週間の画像を提示します。

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下には術後1週間の抜糸時と術後3週間の眼瞼部画像です。OLYMPUS DIGITAL CAMERAOLYMPUS DIGITAL CAMERA

見事に開瞼が向上しました。重瞼もくっきりしてきれいです。目の窓の間隔も自然になりました。術後3週間での診察時には目がキラキラ指定ながら笑顔が明るい。目が大きくなると表情が豊かになります。

下に左右眼瞼の近接画像を提示します。左から術前、術直後、術後1週間、3週間です。

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両側眼瞼とも、術直後の画像では腫脹して疼痛も伴うために、パッチリ開いてもらえませんでした。ただし眉毛は挙がっていません。術後1週間では開きすぎに見えますが、撮影時は力を入れてくれたのです。目頭の向きは横向きが好まれるようです。抜糸したばかりで、Z型のきず跡は見えますが、目立たなくなるのは皆さんもご存知でしょう。そして術後3週間ではキリッと開いています。形態と機能が整ってきました。目頭の創跡は一度硬くなります。目頭切開では、術後3〜6週間頃に一時的に肥厚性瘢痕を呈する可能性があります。だから、目頭切開を併施した患者さんは定期的に経過観察に来院していただくのです。その際に撮影もします。

もう一度術直後から翌日、術後1週間と術後3週間と経過を追ってみます。

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「48時間がヤマです。」と私は毎回言いますが、翌日や翌々日の方が腫脹が亢進して内出血も増加します。また翌々日は腫脹は亢進していますから、開瞼は不足に見えます。逆に術後1週間ではオーバーに開いて映っています。術後3週間で丁度良い開きです。腫脹問うのダウンタイムはクリアーしましたが、創跡が見えなくなるまでは3か月を要する様です。次回画像提示します。若年者は治りも早い。最近若年者ばかり画像提示しているので、これが若年者の標準的経過であるのが解りますよね。それにしても綺麗な自然な目元です。

美容外科でも形成外科でも美容医療は医療です。医学的見地がなければただのビジネスですから、医学的に説明します。先ず前提として、一重重瞼は先天性皮膚性眼瞼下垂症ですから、兎にも角にも治すべきです。一重瞼者のほとんどの人には筋性眼瞼下垂症も伴いますから、同時に改善を図ります。形態的には一重瞼者の蒙古襞の拘縮の強いままでは不自然な二重瞼になりますし、機能的にも開瞼の抵抗勢力になっていますから、一辺4mm60度のZ-形成法が適応します。

人類学的には明らかなことですが、一重瞼である日本人は全員が重瞼術を受けるべきです。それは一重瞼の遺伝子は約2万年前に東アジアで突然変異に因って出来たものだからです。蒙古襞の遺伝子も同時発生しています。彼等を新モンゴロイドと分類します。所謂極東地域に蔓延っています。基本的にコーカソイドとネグロイドと、古モンゴロイドは一重瞼遺伝子を持っていません。彼等は新モンゴロイドと混血していない場合には全員二重瞼で産まれてきます。

また一重瞼者の平均的な内眼角間距離と二重瞼者の平均的な内眼角間距離は約3㎜差が有りますから、目頭は片側1.5㎜開くべきです。内眼角間距離は蒙古襞だけでなく、眼球位置にも影響されますが、それは基本的構造のバリエーションです。形態的な数字上の差異で、眼鏡を作る際に眼球の位置に距離を合わせなければならないという機能的差異もあります。その個性を変えないで蒙古襞を3㎜よけると、その患者さんの顔に合った目元になります。ですから私は、最近は4㎜のZ−形成法を定式としています。

先日、面白い本を読みました。歴史学の中でも(古)文書学の新書です。大阪院へ移動する新幹線の発車待ち時間に、本屋に入って見つけた本です。映画にもなった`武士の家計簿`等を著している最近売れっ子の歴史家の磯田先生の本の中に、「昭和初年の美容整形」との章がありました。帯にも大きく書いてありましたから捲ってみました。内容は私の様なベテランの形成外科医には勉強の範囲に入る知識ですが、磯田先生は昭和初期の主婦の友を国会図書館で読み下して要約していました。私の持っている知識と比べて、本邦では最古のものと考えて間違いないと思います。

本には内田孝蔵先生の話題が載っていました。そういえば私が若い頃に、父が内田先生と会った時のことは教えてくれたことがあります。父は昭和2年生まれで昭和36年に銀座美容整形を開業していますから、その時代そのものです。そして今日本を読んでビックリしました。私がいつもこのブログに書いていることが転載してありました。昭和初年ですよ!。

内田先生がやけど跡の形成を初めて行なったのは形成外科医なら誰でも知っています。実は同じ頃に、父の叔父が同様の手術をしていた話しも父から聴いていました。その上内田先生は日本での眼瞼形成術(主に重瞼術)の嚆矢だったのも有名です。W形成法で目頭切開を行なったのも有名です。10年前まで私も使っていました。そしてこの本に依ると彼はZ形成も駆使していたのです。エエー!昭和初期から使われていたのか?。内田先生はさすがです。ただし逆に、何故目頭切開をZ−形成法が最良だと唱えているのに普及しないのかが不思議です。未だに三日月型切開を受けてゼーンゼン綺麗でない結果を良く診るのが残念でなりません。チェーン店系の非形成外科医がバカなんです。

更に眼瞼の計測結果が載っていたそうです。一重瞼の一般人と二重瞼の美人スターの平均値を比べて、縦5㎜、横8㎜の差が有ると記載されていたそうです。ちょっと待って、それでは差が大き過ぎると思いましたが、どうも手術後の結果の様です。やり過ぎ感がありますが、昔の美人スターはそれが売りだったのでしょう。更に内田先生は目細工の糊やツケマも発明したそうです。

上記はは歴史学の知識ですが、それも科学です。医学史という学術分野もあります。ましてや、美容整形はビジネス先行の非形成外科医が主導してきました。彼等は知性なんか要しません。所謂ヤンキーなんです。美容整形をヤンキー扱いなビジネスにしたのは彼等の最大の罪です。医師なんだから、少しは知性を働かせて下さいよ!。

またまた症例と関係ない知的話題に終始してしまいました。患者さんご免なさい!。でも本症例もいい感じの目元を作り上げられました。これも知性の為せる結果です。

目元は顔の印象の約50%を左右します。実は明るい患者さんの印象に合っていると見て取れます。次回3か月目をお楽しみに!