昨日までの3日間にわたって、2つある日本美容外科学会のうちのJSAPSが開催されていました。所謂形成外科系の美容外科医の学会です。もう一つは非形成外科系の学会JSASです。
私は元来美容整形医(非形成外科医)の子ですが、大学卒業後は形成外科に入局しました。このあたりのいきさつは、ブログの歴史話のテーマで延々書いて来ています。とにかく私は、両方の学会に所属しています。
JSAPSの方が、やはりアカデミックです。学界とは、あくまでも現在の医学水準をコンセンサスとする目的と、世界的な医学的知識を取り入れて新しい診療法を学んでいく場ですから、日々勉強を続けてこないと理解出来ません。少なくとも、毎年の学会と年4回の学術集会に出席していないと遅れてしまいます。
二点気になることがありました。
未だに美容外科学会で整容と言う言葉を使う医師がいること。ここは美容外科学会だろ!と叫びたくなりました。昭和53年に美容外科学会が二つできるまでは、美容整形を標榜していまいたが、形成外科出身の医師は差別化(逆差別化)の意味で、美容整形と言わずに整容外科と言っていました。美容外科が標榜科目になったのですから、今更整容というのは本末転倒です。美容医療は、形成外科と美容外科の両輪からなる。少なくとも本邦では、二つとも標榜科目だから。二科では、手技は同じでも対象患者と目的は違います。そして一部の分野はオーバーラップしています。ですから機能と形態のバランスです(それが保険と自費の使い分けでもあります)。私は、美しい形態は適切な機能に宿り、適切な機能は美しい形態を呈するとの原則をいつも提唱してきました。解り易く言えば、二大政党性の選挙みたいですが、機能目的が49対美容目的が51なら自費診療になるし、51対49なら保険診療になると考えられます。だから美容外科診療でも、機能が形態を司る場合も多く、形成外科でも形態的に良くしないと機能が足りない場合が多くあります。逆に言えば美容外科の世界でも、機能の理解つまり、解剖や神経生理を理解していないと美しい容貌を作れないこととなり、不満な結果を呼ぶのです。このために私達は日々勉強しています。整容の言葉の中には、形態の改善をないがしろにする意識が残っているような気がしましたから、一筆記してみました。
もう一つ気になった点は上段にも書きました。日本美容外科学会は美容医療知識の集積に寄与するべきものですが、これまでに医学的にコンセンサスを得られた知識を習得していないと、現在の議論にも参加できないかもう一度反芻しなければならないので、そのままでは論理がすれ違い、話が進まないのです。毎年の学会総会や年4回の学術集会の聴講はもちろんのこと、関係した和文洋文の論文を興味あるところだけでも読み下していないと、現下の学会での各セッションでのテーマを深く議論することができません。敢えて言えば、年配の医師は記憶力が不足となっているのか?それとも自論に執着するために新しい知見を理解しようとしないのか?、議論が噛み合ないことが多いようです。また逆に、若年者でも日常勉強していないか?、知識ベースが不足かまたは形成外科医局での知識の積み重ねの無いものが増えたのか?、「そんなことも知らないで発表しているの?。」っていう医師が居て残念だったので。JSASは非形成外科の団体であまりアカデミックではなかったのですが、JSAPSでも一部のセッション、シンポジウム以外には医学的医療的に有意義な発表が減ったと思いました。
そん中で、私達の集中的分野である眼瞼部位、`目頭切開`と`眼瞼下垂`と`下眼瞼`の3つのセッションの議論から私達の優位性をコンセンサスを得ることができました。そして知識と技術の向上を図れました。詳しくは次回のお楽しみに。
JSAPSとJSASの対立についてもう一つ。私は亡き父と共に両方に所属し、二股でいましたがT先生に追い出されてから、JSAPSメインでいました。一昨年からJSASにも参加しています。ちなみに一昨年から、T先生はJSAPSに復帰(元々加入していたのですが、あばれて止めさせられていたのです。)しました。二股です。ただしやはり、形成外科医の沢山いるJSAPSでは、異端者に過ぎません。ただし可愛い顔した息子さんは、親が非形成であるのに形外科成出身です。なんか私と同じ立場ですね。会うたびに言っています。「お父さんを超えていこうね。形成外科出身なんだから。」そうです。彼も高いレベルの美容形成外科医となって来ました。私もここで、患者さんに広報宣伝にも力を入れながら、美容形成外科のレベルをさらに高めていきたいと思いました。