2013 . 10 . 25

日本美容外科学会での収穫

昨日、本日は日本美容外科学会(JSAPS)の、年に一回の総会でした。

あまり聴講できなかったのですが、唯一面白いセッションには出られました。「容貌のメッセージ性」という面白そうな題名で、私は堪能しました。と同時に、父が一緒に居たら、もっと面白かっただろうな?、父と塩谷先生はライバルであり、同士であった。この演題は父の言葉の焼き直しに聞こえる。もし、この席の隣に父がいたら、ずっと二人でひそひそ話していただろうな。でも父は公的ではなかったし、もしここに居たら、質疑応答は議論が沸騰して面白かっただろうなぁ。でもその後意気投合しただろうな?。演題は面白かったですが、父と塩谷先生の関係、美容外科の同士としての信頼関係を、私の脳の半分で回想しながら聴いていました。というか、私は昨夜遅く大坂から帰ったので若干睡眠不足であったため、実は夢の中で聞いていたのかも知れません。だから、天の声も聞こえたのでしょう。

私が、北里大学の形成外科に入局した際に教授であった、塩谷信幸先生。退官してもなお形成外科美容外科の世界で頑張っていらっしゃる。数少ない聴衆と講演を見ていて(北里系の者、塩谷先生の時代に配下だった美容外科医がほとんど)、なんでこんな面白い話を聴かないんだろう?、と思いながら、そうか、やはり現代の美容外科医は不真面目、美容外科医でなく、美容外科屋つまり金稼ぎに邁進しているから、美学には興味が無いのかな?。と憂慮していると。先ず回想というか、父との会話が甦ってきました。

このブログの初回ごろに述べましたが、私は卒業した北里大学の形成外科に入るか迷っていたのですが、その前に、父と塩谷先生に学会等で接触していて「愚息をよろしく!」とか言ってしまっていました。さらに塩谷先生が日本形成外科学会を主催した際に、私はまだ医学生だったのに、父に連れられて参加したのです。塩谷先生は「待ってますよ。」とか言っていた覚えがあります。この辺りの懇切は、気持ちを動かしたかも知れません。今となっては、はっきりとした気持ちの移り変わりは記憶の彼方です。もう一度思い返してみますと、十仁に行くか北里に行くかの、選択においては、自意識;私は母校に残った方が保守的で気持ちが安らぐ。公的;父は今後の自分の生き場所として、形成外科での研修の後に美容外科を診療する事が望ましいとの、形成外科側からの意趣が正しくなくないと反駁できないから、その権威に汲みし、確かに医療と医学の一分野としての美容外科の涵養の為には、形成外科の素養があれば、美容外科のレベルアップに貢献すると考え、その為に、言ってみれば人質、人身御供として、私に一旦は形成外科に入局してもらおうと考えたのかも知れません。父子とも迷い、悩んだのは確かです。今となっては、亡くなった父の意志を忖度して語るしかありませんが、その際に父が、私に求めた希望は、父の希望であると共に、私への親としての希望=愛情であったのかも知れません。もちろん私は形成外科に入局してよかったと考えています。そうさせてくれた父に感謝しています。

もう一人、この塩谷先生の講演に入る際にもチラッとあいさつした先生=古山先生も、私の学生時代、医学部5年生の際にすでに声をかけてきた先生です。形成外科は臨床実習が一日あり、その日の夕方に懇親会をするのですが、そこで学生担当の古山先生に「森川待っているから!」と念を押されました。かっこういい先生だな!この人の下で形成外科を学びたいなぁ。と思いました。

ところが、実際には、私が入局した時代の形成外科医は、この分野で長年反目してきた美容整形医出身の美容外科医を忌避する暗黒の時代だったのです。

ブログの”歴史的経緯”にも書いている途中ですが、戦後興ったといえる美容整形と昭和30年代に起こった形成外科の二つのグループは。本音と建前を使い分けながら、イニシャティブを取ろうとしてきました。昭和50年代に標榜科となってからは戦火が勃発したといえ、昭和62年に私が入局したころには、反目していたともいえる状態でした。

当時は、美容整形に手を出すなんて形成外科医にあるまじき事だというムードでした。と言いながら、北里大学形成外科では、まともな美容外科診療は形成外科医がするべきだという立場をとっていました。少ない症例もありました。塩谷先生を始めとして、外部の医療機関での美容形成外科診療をしていました。

なんか、変だなと思うのは私だけではありませんよね。でも、私は大学病院や関連出向病院での形成外科診療が面白くなっていきました。もちろん、父の医院での美容外科の修行も並行していました。

1998年の日本美容外科学会で急に、塩谷先生が、「これからは、形成外科医は美容外科をしていきましょう。」と、宣言し、雪崩を打ったように参入します。その後の経緯はまたの機会としますが、今では、形成外科出身の美容外科医の方が数の上では優位です。

塩谷先生は美容外科診療が好きなんですね。今回の講演で、美しさについて、容貌の基準について、または、容姿のよい生物について話しているときの、先生の楽しそうな、うれしそうな、にやけた顔を見ていて、亡き父、森川昭彦にそっくりだと思いました。父は美容外科が好きだったから、または美しい女性が好きだったから、四六時中「美」を語っていました。私は忙しいときは面倒に思いつつも、一緒に楽しんでいました。深い美容学(父は美学とい言っていた)を突き詰めようという気になるのは、まじめな医師のさがです。

夢見心地で講演を聞いてたら、目が覚めました。

今回の塩谷先生の講演を見て、父と師の遺志を継いで、まじめな美容外科医を求めていく気持ちが高まりました。

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