症例は32歳、女性。一重まぶたで15年前に他院で舞いぼる法をしたが戻った。皮膚も伸びてきたように思うとのこと。LF12mmと効いている。フェニレフリンテストでさらに挙筋を一時的に強化するとよく開いてなかなかきれい。
手術は切開法で定着する希望。ラインは前回の高さで、その分切除を5mmとしました。
今回右眼瞼の一カ所に腫脹が起きまして、コメントが不能となりました。従いまして術前、術後の画像は左眼瞼だけ提示します。次回抜糸時または2週間後くらいには解消します。その際に細かい説明をさせて下さい。
敢えて腫れていない左眼瞼についていえば、結構いい形が見えます。いずれにしても術中にはよく仕上がっていました。術中終了直前数分の間に腫脹が亢進して、気がついたら右眼瞼の開瞼が落ちて
▼続きを読む
カテゴリー別アーカイブ: 美容医学
美容医療の神髄46-歴史的経緯第46話- ”口頭伝承”:父は美容整形屋、私は形成外科・美容外科医。自分史話へ”その24”
その後も二つの美容外科学会は合併しません。その流れと動勢は今後話していきますが、平成7年当時の一瞬の合併策は私には、大きな動きをもたらしました。何故かと言うと、JSAS側のクリニックに大手を振ってバイトに行く事が出来るからです。こうして、当時最新の美容外科医療をともに研鑽する機会を得たのです。
それでは私のアルバイト歴を記していきます。今でこそ私は、美容整形上がりの美容外科医の下で育ち、”産まれながらの美容外科医”として生きて来たつもりです。でも、北里大学医学部を卒業した際に、母校の形成外科医局に入ってから形成外科の道に浸かっていました。
ところが、9年目に北里研究所病院に出向してからまた、新たな道が開けました。何が変わったのかと言うと、アルバイトを勧奨されたのです。しかも病院で
▼続きを読む
▼続きを読む
ハムだかソーセージだか知らないが、これは治したい。こんな感じでいい?。
こうしてしまうと修正が難しい。それでも少しでも良くしたい。当然症例患者さんは求めて迷い歩きます。運よく当院に辿り着いたので、私は「これは困りますよね。どうにかしましょう。」と、問いかけました。
症例は26歳、女性。5年前新興の(若い=経験不足)美容皮膚科的クリニックで重瞼術埋没法を受けたのち、眼をもっと大きくしたいとの希望で再診したら、何故か切開法でやたら広い二重にされた。
もちろん根本的には、切開法での修正術の適応ですが、患者さんの希望も有り、ダウンタイムの養成でもあり、敢えて今回はハム状態の解消法として、切らない眼瞼下垂手術=黒目整形=NILT法を利用します。
8mmで切開されていて、LF11mm。眠そうでハム状態と見える。早速症例を提示します。左が術前、右が術直後です
▼続きを読む
▼続きを読む
ハムだかソーセージだか知らないが、これは治したい。どうなるか?。
こうしてしまうと修正が難しい。それでも少しでも良くしたい。当然症例患者さんは求めて迷い歩きます。運よく当院に辿り着いたので、私は「これは困りますよね。どうにかしましょう。」と、問いかけました。
症例は26歳、女性。5年前新興の(若い=経験不足)美容皮膚科的クリニックで重瞼術埋没法を受けたのち、眼をもっと大きくしたいとの希望で再診したら、何故か切開法でやたら広い二重にされた。
もちろん根本的には、切開法での修正術の適応ですが、患者さんの希望も有り、ダウンタイムの養成でもあり、敢えて今回はハム状態の解消法として、切らない眼瞼下垂手術=黒目整形=NILT法を利用します。
8mmで切開されていて、LF11mm。眠そうでハム状態と見える早速症例を提示します。左が術前、右が術直後です。
▼続きを読む
▼続きを読む
美容医療の神髄46-歴史的経緯第46話- ”口頭伝承”:父は美容整形屋、私は形成外科・美容外科医。自分史話へ”その23”
1996年=平成8年=私が10年生(北里研究所病院に出向2年目)に父は日本美容医療協会の理事選に立候補をすることにしました。JSAS側の重鎮として、JSAPSが主導して作った公益法人にも足場を置く事で合併の方向性を後押ししようという決意です。その方法から書きます。
そもそも、私が非形成外科の美容整形外科医(父は好んで自称していました。)の父の下で美容外科医を目指していたのに、当時既に増え始めていたチェーン店系に就職しないで、北里大学形成外科に入局し、同時進行で父の下で父と共に美容医療を研鑽して来たので、二股になるのが当然でした。父はJSASでの立場は重鎮として確立していたので、次第にJSAPSにも頻繁に顔を出す様になったのです。
その際、私がそちら側にスタンスを置いているから、「
▼続きを読む
▼続きを読む