カテゴリー別アーカイブ: 医療

2017 . 9 . 14

口唇短縮術には口角挙上術を組み合わせる症例が大多数です。

本症例はいくつかの手術を受けていて、やはり最終兵器の一つとして口周りの愛らしさを目論んだ患者さんです。 症例は27歳、女性。上下骨切り術を受けて硬組織が短縮後退させたら、軟部組織が余ったと感じた。鼻柱基部~cupid's bowの底までの長さ17mm。外反も少ない。内眼角間39mm、鼻翼幅36mm、口唇幅45mmとバランス的に口がやや小さい。 いろいろ評価してもやるしかない訳ですが、デザインの微調整に反映されます。切除は白唇部(鼻翼基部~鼻柱基部)を切除5mm。やや裏返りを求めて皮下脂肪中間層まで切除。口角は45度斜めに5×5mmの三角を切除して、5/√2≒3.5mm上と横に引くデザインを提案した。術直前に相談して40度方向とし、上に挙げることを優先しました。 今回は各方向
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2017 . 8 . 17

美容医療の神髄-歴史秘話第102話-”口頭伝承”:美容整形屋と美容形成外科医”その77”「地方都市20:美容外科医は辛いよ!」

しばらく番外編が続いていました。美容外科医は辛いよ!のキーワードは”整形ゴロ”の暗躍です。3年以上の年月がありますから、話題に欠きませんが、やばい話もあります。しかも当初から波乱含みです。 A美容外科グループには、大分院の他に浜松院と松本院と旭川院がありました。私が大分院を開設したのは医師歴16年次は平成14年、2002年でした。大分院は数十年来有名な美容外科医が持っていたものを私が行く前年に譲り受けたのですが、その件は以前に説明しました。松本も前年に開設したのですが、私は東京から行けるの隔月に一回ほど行きました。信州大学も訪問した話は長々と書きました。浜松院はA美容外科グループの本部事務所が岡崎市にあるために近くの中都市を狙って出したのと、開設者として皮膚科上がりの美容形成外科もどき
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2017 . 8 . 1

美容医療の神髄-歴史秘話個人編-美容整形屋と美容形成外科医「番外編1:美容外科医の家族も辛いよ!」

何故突然歴史秘話が中断したのか?。その訳は、美容外科医の家族もツラいよです。とは言っても父の家族、そこには私も、彼の孫つまり私の子供達や配偶者も入りますが、今回は父の配偶者である私の母の一生について書きます。数日前急逝したからです。実はそのため数日ブログが中断しました。再開するに当たって番外編として、書き添えます。キーワードは”美容整形と女性”です。 亡くなったばかりの故人を偲ぶ内容なのですが、両親批判するを内容になるのはお許しください。父は平成17年7月に亡くなりましたから、一回り過ぎました。母は昭和10年産まれですから、享年満81歳でした。ちなみに私の両親つまり父母は昭和33年に結婚しました。 それよりなにより、この数日間忌引きとなり私が休業したために関係者の皆様や、患者さん
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2017 . 7 . 28

美容医療の神髄-歴史秘話第101話-”口頭伝承”:美容整形屋と美容形成外科医”その76”「地方都市19:美容外科医は辛いよ!」

美容外科医は辛いよ!とはどうゆう意味でしょうか?。これから延々と書くエピソードを読みましょう。キーワードは”整形ゴロ”の暗躍です。 時は、私が医師16年目、平成14年、2002年にA美容外科を開設していた前後の話題でした。A美容外科グループの話題が地方中都市チェーン展開の話題に移りました。三院あるうちの一つ、松本院の話を始めたら信州大学形成外科を訪問した際の話題に移り、眼瞼下垂診療の中心人物である松尾教授との面談について書き始めたら、松尾教授の眼瞼下垂症診療における概念の解説に終始し始めました。これ迄に無く、話題がアッチコッチに跳んでしまい、計5回も費やしました。 今回から、やっと美容外科医の話しに戻ります。A美容外科は地方3院でも診療しますが、かいつまんで述べます。 A美
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2017 . 7 . 20

美容医療の神髄-歴史秘話第100話-”口頭伝承”:美容整形屋と美容形成外科医”その75”「地方都市18:美容外科医は辛いよ!」

前回予告しました様に記念すべき(別にぃ~と云われたらそれまでですが!)100話です。そこで、これ迄の流れを見返してみて今後の流れを予告します。ブログはこの時点で私の医師歴は1987年=昭和62年からで16年次。今は2017年=平成29年ですから現在医師歴は30年次を終えたところですから、やっと半分まで来ました。という事は後100回は書けそうです。 医師になる前からの父、銀座美容外科医院(私の幼少時は銀座東一診療所から銀座整形となった。)院長である森川昭彦との想い出または教育も書き加えて来ました。何故私が美容外科医を志したのかの一端が垣間見えると思います。思い返してみると、学生時代から美容外科医への道を引かれて来ました。それどころか父は、私が物心つく頃から、美容整形医の崇高な哲を、私に植
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