今回はNILT法=切らない眼瞼下垂手術=黒目整形の症例を掲示します。
症例は22歳、女性。とにかく広い二重を求めて来院。皮膚の余剰は年齢的に少ない。となれば切らないで重瞼を作りましょうということになります。でも、開瞼が強くないから、広い二重瞼にすると、相対的に眼瞼下垂になり眠そうになる。前葉を持ち上げる量が増えるので重さで開きにくくなり得る。これを医原性眼瞼下垂症といいます。他院で受けられてとく起こします。であるから、埋没法で重瞼を作る際に切らない眼瞼下垂手術を併施するべきです。
でも初療医は、そのような説明なしに診察中に身体局所の所見も取らずに私に手術を回してきました。私は一目見て判断できますが、若造はそんなに経験ないのに、とにかく手術を入れてくれました。私はありがたいのですが
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カテゴリー別アーカイブ: 美容医学
片側ずつの切開法眼瞼下垂手術症例。目頭切開術もしました。何故か一度落ちましたが、やっと治せました。。
本症例は数か月前から提示してきています。みなさんに長期経過を見せていくのがこのブログの特徴ですが、きりがないので通常3か月までにしています。ところが今回は訳があって半年以上の経過を出させていただくことになりました。 症例は40歳代の女性。一重瞼だった。20年前に埋没は受けているが、ご覧の様に外れてきた結果ラインが乱れている。LFは11.5mmで、眼裂横径23㎜、内眼角間34㎜、角膜中心間距離58㎜と眼球の位置が離れていないのに、目の窓の間が離れている。つまり蒙古襞が被さっているし、ピーンと突っ張っている為にまぶたの内側が開かない。所謂吊り目っぽくて、キツい目元の感じに見える。くぼみ目や三重瞼も生じているし、黒目の上が2㎜以上隠れている(=MRD<2㎜)から後天性腱膜性眼瞼下垂を伴っていると考
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美容医療の神髄-歴史秘話第87話-”口頭伝承”:美容整形屋と美容形成外科医”その62”「銀座から地方都市へ4:美容形成外科学医」
16年目に医局を辞して開業するにあたり、E先生のクリニックを居抜きで継いだのですが、開業した結果私も臨床形成外科医会に加入しますし、学会の世界でも人脈が広がります。また父は元美容整形の非形成外科の美容外科医として昭和36年以来の開業歴ですから、一匹狼なのに人脈は広かったし、美容医療の世界でも顔役でした。しかもOm.先生とも交流があったのです。そしてE先生とも交流を深めていきました。話題は続き、そこから再開します。
私が北里大学に入局して2年目に、日本美容外科学会JSAPSを北里大学形成外科が箱根で主催したのですが、父も参加しました。Om.先生は特別講演を依頼していたのですが、空気が薄いせいか噴火の煙のせいか、冠動脈疾患が悪化したのです。とにかく運ばなければまずいと、形成外科医の伝説の人
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細胞培養は究極の再生医療だ!。
昨今再生医療が持て囃されていますが、ノーベル賞を受けた名医が売りつけているからですし、失敗研究を改ざんした女性研究者が騒がれたからでもあります。
まずは画像を!術前(注入前)と術直後(注入後)の比較です。当院での初めての症例ですから、対象患者は例によって池田先生で、実験させてもらいます。
再生医療は、組織の再現のため用の細胞を作製することで、失われた成人の体組織を補うことを目的としています。体細胞のうち多くは自己再生能力に限界があるか、再生しないものも多いのです。そこで自己の細胞を取り出して人工的に増やすのが細胞培養です。また同種細胞を移植しても抗原性が問題にならないものもあります。いずれも、使える量は限られ、資源も限られるので実用化されている部位は皮膚や、角膜、臓器移植
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美容医療の神髄-歴史秘話第84話-”口頭伝承”:美容整形屋と美容形成外科医”その59”「銀座から地方都市へ1:美容形成外科学医」
私は、医師歴15年で大学医局を辞して雇われ院長として開業するのは、平成14年は2002年です。その後経営者のK氏とは深く関わっていくことになります。そして私の周囲の医師も巻き込んでいきます。
K氏とは深い付き合いになりますが、何しろ医師ではなく、かといってコムロで美容外科の診療には携わっていて、素人では無い。下手な医療関係者よりも美容外科の内容に付いての知識が広く、時には深かったので使えました。あくまでも医学的知識ではなく、美容外科というか非形成外科の美容整形のビジネス手腕です。反面、経営手腕はまあまあでも、金の使い方が汚い。その意味でも美容整形屋の端くれというか、整形ゴロの一人ですが、かなり一流のゴロでした。
用語の説明をしますと、整形ゴロというのは父から教えられた概念で、会社
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