眼瞼のアンチエージングは難しいのです。いろいろやってやっと若年時に近づいて来た症例です。症例は66歳の女性で、これまで、下顔面と中顔面のスレッドリフトを紹介して来た症例です。上顔面とは、瞼から上部分をいいますから、瞼を若返らせるのが優先順位です。
まず眉下切開で、皮膚性下垂を除去しました。次に切らない眼瞼下垂手術=黒目整形=NILT法を外側だけ行いました。上の画像の如く、外側が下がっていて三角目になっていたからです。術直後は逆三角目になりましたが、これまでも述べて来た様に、いくつかの原因で術直後はオーバーだから、戻って丁度いいでしょうと言いました。
ところが1週間経ても、左は良好なカーブが出来たのに対して、右はやはり外上がりが残りました。更に、左の目尻の上に皮膚が被さっているのが
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眼頭切開=蒙古襞による拘縮解除術=Z-形成法は黒目整形の一部で、切開法による眼瞼下垂手術も黒目整形の一種です。こんなに雰囲気変わっていいの?
当院の売り!、黒目整形が大流行となっています。本来、切らない眼瞼下垂手術を皆様に浸透させるために命名したのです。切らない眼瞼下垂手術NILT法は、黒目整形に有用です。しかし、適応が限られる。戻りもあり得る。もう一つ黒目そのものを大きくするのではないのに、考え違いしている患者さんがいらっしゃるので説明が大変なのです。
こうなれば、定着する切開法も黒目整形の一種だと主張し、さらに眼頭切開=蒙古襞の拘縮解除術=Z-形成法も黒目整形の一種だとしてしまおうと考え、今回提示症例とさせていただきました。
今回は、こんなに可愛い症例結果をお示し出来て、私達としましても嬉しい限りです。因みに本症例はパーツの提示条件ですから、お見せ出来ないのですが、顔面の画像はあります。実は素敵な写真です。
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ハム状態は治したい。難しいんですが、でーきたかな?!
こうしてしまうと修正が難しい。それでも少しでも良くしたい。運よく当院に辿り着いたので、私は「これは困りますよね。どうにかしましょう。」と、問いかけました。
症例は26歳、女性。5年前某美容皮膚科的クリニックで重瞼術埋没法を受けたのち、眼をもっと大きくしたいとの希望で再診したら、何故か切開法でやたら広い二重にされた。
8mmで切開されていて、LF11mm。眠そうでハム状態と見える。早速症例を提示します。左が術前、右が術直後です。患者さんはいつも、一生懸命力を入れて目を開いてハム状態を隠そうとしている。
今回3ヶ月目に完成状態を見せてもらいました。
よく出来ましたというところです。力を入れないでも目が開く様になったので、優しい目元です。
接写画像でも
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美容医療の神髄53-歴史秘話第53話- ”口頭伝承”:美容整形屋と美容形成外科医の二人の行動が歴史を語る。”その29”
その頃の斯界の動きを羅列すると:日本美容医療協会、日本美容外科医師会、日本美容外科学会JSAS、日本美容外科学会JSAPS等で私達は多方面に渉って活動しはじめます。コウモリというか、あくまでも二股です。四股ではありません。その点から説明していきます。
時代は平成9年=西暦1997年で私は11年次です。実は年代をよく覚えていません。
私が日本美容外科学会JSPSに加入したのは形成外科入局時、つまり昭和62年=1987年です。通常北里大学形成外科入局時には、日本形成外科学会には入会しますが、日本美容外科学会JSAPSには入りませんが、私は出自からして特殊なのですぐに入れました。教授陣の推薦が必要なのですが、特別に配慮されてサインをもらいました。父は昭和53年の立ち上げ時から入会して発
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美容医療の神髄52-歴史秘話第52話- ”口頭伝承”:父は美容整形屋、私は美容形成外科医、二人の行動が歴史を語る。”その28”
平成9年、1997年は11年次ですが、茅ヶ崎徳洲会総合病院形成外科・美容外科部長として意気揚々と赴任しました。もっとも東京勤務の際に東京都大田区に居を構えたので急に引っ越す訳にもいかず、病院の持つ寮もあるのですが家族と離れるのは辛いのでほとんど使わず、片道1時間半の道のりを自家用車で通う事にしました。徳洲会に出戻りですが、私が離れていた2年間の部長があまりにも悪評を得ていたので、私は歓迎されました。院長は前回と変わらず、彼には気に入ってもらっていた。他の医師団も2年前とほとんど変わらないから気心が知れている。
この年の茅ヶ崎徳洲会総合病院では医療講演に盛んに参加した事がまず上げられます。月1回以上は、市中の市民センター等で専門分野の講演をします。他科との持ち回りです。もちろん私は形成外
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